優しさの悪影響と限界
優しさは絶対的に素晴らしいものか?
皆が優しさを持てば全部うまくいくのか?
⇒そうでもないのでは?という話。
1.そもそも優しさとは?
ここでは必要以上に深掘りせずに、シンプルな解釈に留める。
優しさとは、
「社会生活において健全かつ快適な自分の状態を長期的に維持する目的のための手段の一つ。行動や思考の方針」
としておく。
(より良い定義があれば教えてください)
2-1.優しさの個人的な悪影響
自己犠牲による短期的な損
優しさ的な行動には、他人に与えたり自分の欲求を我慢したりといった何らかのコストが伴っているはずだ。
ではどうして好き好んでわざわざ自分が損をするようなことをするのだろうか。
それは、(無意識的に)長期的あるいは不確定的な利益を期待しているからだと思う。
例
「もしかしたら恩返しがあるかも」
「人徳を積めば何かいい事あるかも」
その期待は叶うかもしれないし叶わないかもしれない。
どちらにしても、優しさによる行動をすると短期的な損が確定するということだ。
2-2.優しさの人間関係への悪影響
配慮過多によるストレス発散困難
優しさについて、人間関係への悪影響が考えられる。それは優しさの影響を長期的に考えた場合だ。
例:優しい2人の関係
優しさから、互いに相手への配慮が多くなり、不満を言ったり喧嘩をしたりすることが少なくなりやすい。
すると互いがストレスを発散する機会が不足して、最終的には不満が爆発して再起不能なヒビがはいってしまうかも。
このような感じで、長期的には関係が悪化あるいは破綻することに繋がるかもしれない。
ここまでで、優しさが悪影響を生む可能性があることを示した。
優しさを運用する場合は、どのような影響があるのかを考えてみてもいいかもしれない。
3-1.優しさの質的分類
動的、静的という分類を提案する。
優しさは、次のようなものだと捉えることができる。
時間や経験の累積によって内容が変化していくもの
従来の優しさでは上手く扱えなかった事例の経験を反省することにより、より多くの状況に好ましい判断を下せるような汎用性を得る方向に更新していくイメージだ。
例
優しさから、相手にケーキをプレゼントした。その結果、相手は甘いものが苦手だと分かった。だから次のように方針を改めた。
◆プレゼントは甘くないものにする
◆プレゼント内容を事前に確認する
◆食事するとき甘いものを選ばない
これが更新された優しさである。このように内容が更新されていく優しさを”動的優しさ”と呼ぶことにする。
それに対して、内容が固定的な優しさは静的優しさと呼ぶことができる。これは動的優しさの ある時点のみをピックアップしたものとほぼ同じだと思う。
定義
静的優しさ:内容が固定的
動的優しさ:内容が更新される
3-2.動的優しさの例
先ほどの『優しい2人』の例を再度考えてみる。
例:優しい2人の関係
優しさから、互いに相手への配慮が多くなり、不満を言ったり喧嘩をしたりすることが少なくなりやすい。
すると互いがストレスを発散する機会が不足して、最終的には不満が爆発して再起不能なヒビがはいってしまうかも。
このトラブルを既に2人が経験していたらどうなるだろうか。想像を書いてみた。
例:優しい2人の関係(改)
相手への配慮が多くなり過ぎると、互いにストレスが溜まる一方になってしまうだろう。(過去の経験より)
だから、たまには本音を言ったりすることも必要かも。それで喧嘩になっても、ストレスを溜め込んで大噴火するよりはマシだ。
でもなるべく喧嘩はしたくない。穏便に本音を言い合ったりストレスを発散したりするにはどうすればいいのだろう。(以下略)
こんな風に一歩進んだ配慮ができるようになるかもしれない。
これが優しさの更新であり、動的優しさだ。
4.優しさの限界
動的優しさは、実際の経験に基づいて内容が更新され続けるため、静的優しさよりも対処可能な状況が多く、より強力ということは想像できたと思う。
では、動的優しさを働かせれば、あらゆる状況に必ず好ましい対処ができるのだろうか。
例えば、『優しい2人の関係(改)』の例では優しさの方針が更新されたが、これで完璧なのだろうか。
優しさの更新
「とにかく相手に配慮しよう」
↓
「配慮し過ぎずたまには本音を言おう」
配慮を抑制したことによって喧嘩になり、かえって関係が悪化することは普通に起こりうるはずだ。
優しさの更新は、繊細なさじ加減の問題で逆効果にもなりうるということだ。
そしてこの不安定さは、動的優しさを最大限磨いても解決することはできないのではないだろうか。
どこまで高めても失敗する可能性がある、という風に思える。
5.優しさ運用の心構え
どうして優しさは失敗しうるのだろうか。
優しさが失敗する理由は「未来予測の難しさ」と深く関係しているような気がする。
例えば株価の予測が難しいのと同じように、どれだけ経験を積んだり心労を費やしたりして優しさの向上を試みても、どうしても完璧にはならない。
これが優しさの限界なのだと思う。
ただし、限界があるからと言って優しさがダメなものだと言いたいわけではない。
建設的な意味で、優しさの限界を知っておくことは有意義なことではないだろうか。
それは、「優しさ」という自分の能力に未熟さや想定外といった欠点があることを認める姿勢に繋がるように思えるからだ。
このことを重要な心構えとして提案したい。
優しさ運用の心構え
自分の優しさは完璧ではないことを自認すること。
「優しさ不完全」の自認が重要な理由
◆相手への影響に興味を持つため
◆優しさ以外の方針(*)を検討する柔軟性を持つため
◆能力の過信による濫用を防ぐため
◆優しさの更新を活性化するため
(*:正しさや気持ち良さなどもある)
6.まとめ
優しさによる悪影響を例示した。
⇒優しさは絶対的に素晴らしいものではないことを示した。
⇒運用には注意が必要だということを示唆した。
優しさの分類をして可能性を考えた。
⇒優しさの強化方法を示した。
⇒優しさの効果には限界があることを示した。
⇒優しさを運用する場合の心構えを提案した。
以上。
何かのお役に立てれば幸いです。
飲み込みづらい部分は無視してください。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?