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OMORI感想 ネタバレ有り

↓ 以下ネタバレ








サニーベストルートのみを終えた感想
(これを書いている時点では他のエンドは迎えていません。メモのために残しています。)

配信用のメモなので箇条書きになっています。


世界観を考慮して、「幽霊」が存在するものとして考える。

・配信中、サニーやバジルは心療内科に向かうべきだと言ったけれど、それでどうにかなるはずがなかった。誰にも恐怖の根源を話すことができないから、それを抱えて生きていくしかない。
お互いの存在を認めて共に許して、そして相手を許すことで自分を許して生きていくしか救われる道はなかったんだな。

・夢の中に存在する自分をOMORIという名前にしたのは、マリに愛されていたピアノの名前だったからなのかな。
「ひきこもり」という意味が含まれている、というのは少し調べたところ公式から出ている情報でわかっているみたいだけど、マリを殺してしまったことを忘れたいはずなのに、その理由になってしまったともいえるピアノのブランドの名前になっていることが純粋に不思議だから。

・最後の戦いでOMORIくんは何度もサニーにお前は最低なことをした、みんなが愛していたマリを殺した、お前なんて死ねばいいのに、と言ってきたことを踏まえると、マリを殺したことを忘れたいというよりは「そんなことをしてしまったサニーなんて人間はいない」ということなのかもしれない。だから、かわりにマリの愛したピアノのなまえをもらったのかもしれない。

・同時にバジルの、優しいサニーくんがそんなことをするはずない。がすごくのしかかった。バジルはサニーを信じていると言っていたけれど、バジルが信じているのはサニーという幻想でしかなく、それはOMORIくんが夢の中で「マリを殺したことを思い出してしまうバジル」を殺し続けていたことと同じなのかもしれない。というか、サニーを殺すのと同様バジルもマリを自害に見せかけた共犯者であり、OMORIくんはそうすべきだと殺していた可能性すらあるなというのが改めて配信を見返した所感です。
自分を許せないから相手も許せなくて、相手も許せないから自分も許せなくて、お互い、理想的な嘘の事実を作り出すしかなくなってしまっていたのかな。

・バジルが謝り続けているのは、自分が偽装を提案してしまったからなんだろうか。ひとりぼっちで逃げ出さず現実と向き合ってしまったバジルは、「something」を生み出してしまったのは自分だとわかっているからなんだろうか。確かにバジルから逃げ出したのはサニーだったかもしれない。でも、「サニーがそんなことをするはずない」とサニーへの幻想を押し付けたのもバジルだった。
その結果あったはずの幸せな思い出もサニーは次々と黒い電球の中に詰め込んで隠してしまった。それをわかってずっと謝っていたのだろうか。
ずっと逃げ出したサニーを責めているようにも見えたけど、それはバジルくんの心も二つに分かれてしまっていたからなんじゃないかと思うからな。

・そういう意味で親友3人の、もっと俺たちを信用しろよ、というのは、かなり大事な言葉なんだろうと改めて思う。確かに、バジルのためにみんなに話す必要があったと思うしサニーが今警察に行ってしまえばバジルを巻き込むことにもなる。
子供の過ちとして流してしまうにはあまりに恐ろしいことだけれど、過ちは重ねて生きていくもので、過ちをしない人間はいない。
それをしたことを4年間悔い続け存在しない「マリ≠なにか」に生活を奪われた二人は二度と過ちを犯さないように生きるだろう。
少年院や刑務所に入るというのはそれを強制的に行わせるということであって、自主的に4年かけて罪に苛まれ続けた二人がそこにいる。

・それでもわたしはどうしても硬い人間なので白状すべきは警察と母だろうと思ってしまうけれど、父と母は全て知っているような気もする。
そして、幽霊が存在すると仮定したこの世界で、本物の「マリ」がそれを絶対に望んでいないと思う。これについてはあとでまた話の流れで書く。
全ての人の生活を守るためには、それをしてしまったサニーを、バジルを、ちゃんと言葉を交わしてお話をすれば必ず理解し許しててくれる3人に話すことが最善なんだろう。

・オーブリーが湖に泳げないバジルを突き落としてしまうこと、それをサニーが追いかけることがここまで繋がってくると思わなかった。
あそこでヒロが帰って来なかったら、本当に二人とも死んでいたのかもしれない。
このエピソードがあるからこそ、ケルがサニーとバジルが「してしまった」話を聞いて感情任せに言葉を選ばないだろうことがわかるし、オーブリーがもし、自分だったら、子供だったらどうしてしまったかという前提を持って話を聞くことができるのは、エンディング後を憂う必要がないということを教えてくれているようだと思った。

・オーブリーも自分がその場にいられなかったことを悔いていた。話を聞いたら、また自分を責めてしまうかもしれない。オーブリーは優しい子だから。

・ああ、でも、繰り返し、そう考えると、ヒロの心が一番つらいな。どうして二人を救えたのに、マリを救えなかったんだろうって、思っちゃうよね。わたしがヒロほど全能で強かで優しければきっとそう思うよ。

・ヒロは二人を責めるだろうって思うみんなの気持ちも、ヒロがどれだけマリを愛していたか、マリが居て救われていたかを想像したらわかるけど、(少しだけ感想をツイッターで検索したりもしてみた、そういう意見が多かった。)
ただ、オーブリーがバジルを突き落としたことについても、本当にその行為をしたとしても何か意味があるはずだという意味で、あの子がそんなことをするわけがないと言えるヒロがその事実を知って、寝込んでケルを蔑ろにしていたことを反省したヒロが、頭ごなしに二人を責めるとは思えない。
というか、むしろきっと深く深く二人の感情を想像してくれるだろう。

・そしてヒロが自分を責めればきっと二人がまた自分を責めてしまうし、お互いを呪ってしまうだろうから、それをわかっているだろうヒロも自分を許せるだろう。なんて誠実で悲しい人だろうとヒロを見ていると苦しい。

・あと、ヒロの後悔って「自害させてしまったこと」にだいぶあるんじゃないかなと思うんですよね。
マリが自害なんてするはずないっていうのがゲームを見てるだけでも伝わってきて、よりそばにいて話を聞いて、お互い愛し合っていたヒロは余計そう感じるだろうし、どうして自分に言ってくれなかったんだと苦しむだろうし、気づけなかったことを悔いて悔いてたまらないと思う。
ヒロって本当に強くて、周りを見られる子だから、自分が閉じこもってしまったことでケルが蔑ろにされていたことに気づけない、オーブリーの大変な状況に気づけない、サニーとバジルの様子がおかしいことに気づけないのはちょっと動転の度合いが大きい気がする。
むしろそれが事故だとわかって救われる可能性すらあると感じました。
何にもできない自分があんなにかっこよくてなんでもできるヒロにそうするのは申し訳ないけど、結構自分だったらどうかとヒロに自分を重ねて考えているところがあります。

・幽霊として、マリは存在していると思っている。なぜならそうでなければ作品としてあの演出をする必要がないから。
わたしだってものを作るのが好きなのでそう思うけれど、そこについては正直、メタ的な意味で、物語をわかりずらくさせるような意味のない変化はつけないと思う。
だからわたしは、「OMORIと同じ姿のマリ」はすべて霊体として実在する、マリ本人の意志であるという前提で考える。

・マリだって、事故で自分が死んでしまったというせいでサニーが不幸になったり、辛い思いをするのは悲しくて苦しいことだっただろう。
マリはサニーを心の底から愛していたから、自分が発表会を成功させたかったから、構ってあげられなくてごめんねと後悔していて、その後悔は=サニーが自分を殺してしまったことに繋がるのではないかと思う。
マリはサニーに生きて欲しかったし、あなたのせいじゃないと何度も伝えたかっただろうし、わたしはあなたを許していると教えてあげたかっただろう。
かつて湖から救ったサニーを抱きしめて泣くマリを見て、とくにそう感じる。

・二人で探索した時橋の通路の果てで伝えられた「サニーはこの窓を湖で見たことがあるはず」この台詞の意味がわからなかったんだけれど、配信を見直している時に過去の話で、上述した蜘蛛に驚いて湖に落ちたエピソードがあって、これは黄泉へと繋がる扉なのかなあと思った。
だから、重ね重ね、やっぱりあそこにいた「サニーに戻って来てほしい」と願ってくれたマリは本物の幽霊のマリなんだと思う。

・マリは発表会を完璧にしたいという思いが弟を追い詰めてしまったと思ってたようだった。もちろん寂しく思わせてしまったこともあるけれど。

・マリの気持ちはもうわからない。でも、マリはきっと大学に行ってしまうから、だからサニーと二人で発表会に出て、それを素晴らしい思い出にしたかったんじゃないかな。
家から通えたのかどうか、とか、そういうのはもう想像の域でしかなくとも、マリはとても優秀だったようだし、ヒロと同じように、能力として行ける行きたい大学に行こうとしたら家を出ることになっていたんじゃないだろうか。

・あと、ゲームをプレイし直していた時、前回ははっとしてすぐにメインストーリーに興味を持ってしまったため調べ損ねていたところで、マリが足を悪くしていたことを知った。元々ソフトボールをしていたのに、辞めたらしかった。
何かに挫折した人間が何かを成し遂げようとする時、つい必死になってしまうというのはとてもわかる。
マリはやりたかったソフトボールを置いて来たからこそ、ピアノは完璧にやり遂げたかったのかもな。

・マリにとってそれは自分勝手な行動だと感じたんじゃないかな。
というか、今ここで思い出したけど一度やめたバイオリンをまた「買おう」と言い出したのもバジルだったのか。そしてそれを買ってサニーに渡したのはみんなだった。
サニーは思い出を見る限り「みんなと過ごせないくらいならバイオリンなんてやめたい」と考えていたから、期待に応えるためのものであって他を投げ打ってまでやり遂げたいものではなかったんだろうな。
こんな悲しいことがあるのかと苦しくなるけれど、全てがみんなの善意や優しさからくるすれ違いで、足が悪かったマリはどうしようもなく下に落ちてしまったのかもしれない。

・OMORIは消滅したんじゃないかな、と思う。なぜなら思い出は二つ持てないから。思い出のせいで思い出が消えてしまうと、そう井戸で教えられたから。
わたしはあの世界を作っていたのはサニーくんで、そこを探検していたのはOMORIくんと幻覚であるみんなだと思っているので、OMORIくんが何か、という問題につながるけれど、OMORIくんは旅の果てに辿り着き消えなければいけなかったのだと思う。

(この後はBADENDを見た感想です)
OMORIくんというのは「サニーなんてものは存在しない。悪いことをしたサニーなんて奴は死んだ方がいい」という潜在意識であって、それは最終的にサニーの意識が負けた時サニーが自害することからわかる。
あの場から逃げ出したサニーは逃げ出したサニーでしかなく、正直引っ越した先で同じように引きこもり「なにか」に苛まれいつか罪の意識であるOMORIくんが勝利し自害するのではないかと思う。
もしかしてバジルを殺して回っていたのはマリを思い出したからではなく、同じようにOMORIくんにとってはバジルは「悪いことをしたやつ」だからだったんだろうか。

・OMORIくんという人格のことを考えても悲しくなる。救うために生み出されて、救うために殺された人格

・赤い手についてぶっきょうてきないみがあるのかしらべてみたけれど、どうやら海外に「blood one's hands」は「自分に責任がある」という意味らしいのでそのままの形なのかもしれないですね。
「RED HANDS」で現行犯という意味もあるとリスナーにおしえてもらった。

・MY TIMEルートを見て、どれだけ3人がサニーとバジルにとって信用できる、きっと人生でこれ以上ない親友であるのだなということがわかった。
なぜなら3人に罪を共有したからといって、本来は2人の罪は2人の中から消えるわけではないはずだから。

・やっぱり、絶対にあの3人は、サニーとバジルを責めたりしない。それが「ハッピーエンド」だからだ。

・2人がもし自分を許せたとして、しかし他の人に責められたら逆戻りでしかない。そこで開き直ってでももう十分苦しんだ、なんてそんなことを言えるわけがない。ああやっぱり自分達は死ぬべきなんだと思うだろう。誰も自分達を許さないし、自分達も己を許してはいけない。ストーリーとして冒頭に戻るよりももっと酷い精神状態になるしかない。消えたはずのOMORIくんは簡単にまた顔を出す。人間なんてそんなものだと思う。

・だから、あのハッピーエンドはきっと本当にハッピーエンドなんだと、他のエンディングを見たからこそ思った。

・正直わたしは社会不適合で、当たり前のことができません。なんというか、一番苦手なのかみんなができることをやること。ここだけ聞くとすごく失礼に聞こえるかもしれないけど、続けられない理由はその仕事の内容的な意味ではなく、それをなんとかこなしているときに、たとえばもし誰かに嫌われた時「じゃあ自分は居なくなった方がいいな」と思うんですよね。だってそれは、わたしじゃなくてもできることだから。

・わたしはあんまり自分が生きていることを肯定できなくて、ずっと、生きてることを許されるために、自分にしかできないことを探し続けているんです。だから流行りのものやみんながやってることをやれないってだけなんですよ。それをやったとして、もし多くの人に見てもらえるようになったとして、でも理不尽に野良犬に噛まれた時に耐えられるかと想像すると、無理だとわかるんです。だって、誰もがやっていることをやっているのならそれをやるのはわたしじゃなくていいから。わたしは消えた方がいいから。

・ちなみにですが前提として、OMORIくんが持っている感情と同じように「わたしなんて居なければいいのに!」があるからこう考えるだけで、他人に対しては一切思いません。

・わたしはわたしが望むわたしの形が好きです。元気で明るくて楽しくて、誰かの助けになる自分が好きです。だからそうであれと思う。バジルがサニーに求めたように、サニーが自分自身に求めたように、こんな自分であれという理想があって、それからはみ出た自分を他人に見せたくない。

・わたしは隠したい何かや明確な事件があるわけじゃないけど、サニーやバジルにはそれがあった。そんなことをするのは自分じゃない。という、「そんなこと」が存在した。そして、その「そんなこと」がどれだけ恐ろしいことかとても理解していた。

・だから「そんなこと」をした自分を受け入れる、まではハッピーエンドまでの過程でしかないんです。
まず受け入れて、恐ろしい自分が存在することを認めて、それを、言葉を選びますがつまりは「部外者」に理解してもらわなければ救われないんです。
それを共有したのは3人が「2人がそれほど苦しんで、死んでしまうくらいなら、その恐ろしいことを共有してほしい」と絶対に思っているからなんです。
望まれたから乗り越えられた、望まれなければ2人は死んでいただろうし、望まれたからにはそれは必ずハッピーエンドなのだとわたしは思います。

・BADENDにMY TIMEが流れるから正史、という考えもあるかもしれないけどあれは元々存在する曲で、歌詞がおやすみなさい、いろんな後悔があるよ、時間が首を絞めるよ、こんなつらいことに苛まれる必要はないよ、おやすみ、おやすみ(銃のリロード音が聞こえる)→この後は個人的に走馬灯が見えているのではないかという予想という曲なので、これは罪に苛まれ自害する、永遠のおやすみをする曲だと思われるので、これがもともとハッピーエンドに流れるはずがないんですよね。
バッドエンドで「おやすみ」、ハッピーエンドでは「おはよう」なんです。引っ越すよりも前に3人に話は伝えたはずで、車の中で流れるのが「おはよう」である限り必ず「みんなの」ハッピーエンドを迎えているはずなんです。
Good moningがフェードアウトしていくのもこれから生活が続いていくという表現だと思いました。

・ただ、それほど重い罪を背負ったことがないのでサニーの立場で考えようとすると気が狂いそうになってしまう。わたしが警察に言いに行きなよ、と言ってしまうのは「その方が楽になれるよ」と思うからなのかもしれない。
わかってる、人は過ちを犯すもので、大小に関わらずみんな過ちを重ねて生きている。過ちは反省して正すためにするべきで、失敗を繰り返さないといつかとんでもない失敗をしてしまうから。
でもはじめからとんでもない間違いをしてしまった時ってどうしたらいいんだろう。

・ライブラリーを英語版で読んでみたら「おもちゃを与えられることは迷惑でしかなかった」とまで言っていた。サニーにとって本当にバイオリンは邪魔でたまらないものだったのかもしれない。それでもサニーなりに嫌な練習を頑張って、できる限りをやったのに、大好きで大好きで塾でいないことすら寂しくてたまらないのにその上ピアノで構ってくれなかった大好きなマリに不出来を叱られて……12歳の男の子が。それで怒って手が前に出てしまった。悲しすぎる。

・写真のアルバムにて、マリを突き落としたことについて、理性を失った、ような書き方がされていたけど、日本語では少しニュアンスが違うような気もした。これでは怒り任せに「突き落としてやる!」と思ったというふうに読めてしまう。
だけど、前日にオーブリーが泳げないバジルを突き落とすイベントがある限り、それはあり得ない。あのシーンはサニーとマリの再現のはずだから。ストーリーテラーはそこに矛盾が生まれるようなことはしないと思う。しかも6年以上もかけた企画なのだから、必ず。

・全然関係ないけど、ゴーストパーティーにマリが用意してくれたご飯が全部並んでるの、めちゃくちゃ皮肉ですね。

・バッドエンドを見た上でハッピーエンドについて考える。
わたしだったら、わたしは弱いし、サニーのようにそこまでして生きることを選ぶのって本当にしんどい。
でも、わたしが友人や両親や、こうして活動をしている上で出会った人たちがどんな気持ちになるかと思うと、自分がどんなに苦しんででも、何か仕方がない理由で死ぬまではちゃんと生き続けたいなと思うのと同じように、サニーがOMORIくんに打ち勝つというのはやっぱり「大切にする」ことを覚えたからなんだよね。
本当に心から自分を愛してくれたマリ、自分達をもっと信じろとそう言ってくれたヒロ、親友だと言ってくれるケル、優しくて可愛くてとても深い心を持った、自分を好きになってくれたオーブリー、事実をもしかしたら知った上で愛し続けてくれている母、いなくなってしまった父、町に住む、出会ってくれたみんな。お花をくれたみんな。サニーがいたから救われた人たち。そして、バジル。みんな。みんなみんな。

・正直、生きなきゃいけない人なんかいないし、使命を与えられた人もいない。これは自論で申し訳ないけど、人間なんて全部脳の錯覚と勘違いでできていて
(例えば、この世に色なんて存在しない。人間が自分の目に届いた光の波を見てそう脳が感じているだけで、他の生き物には色はほとんど見えない。しかも、ピンクなんて波長が存在すらしない。相対色である緑に対し、「全く緑とは違う、真逆の、存在しない波長」を脳が勝手にピンクと思い込んでいるだけ)だから、人が死んだら何もないと思う。
OMORIの世界と違って、この世には幽霊なんてものは存在しなくて、人が死ぬというのは、息が止まって、心臓が止まって、脳の動きが止まって、それで終わり。その後は何もなし。
特別で素晴らしい人なんていないしみんな本当は平等で、それぞれ生まれつきや育ち方でできることやできないことがあるだけ。
人に多く支持されたからって、好きになられたからって、それが素敵な人なわけでもなく、どれだけお金を手に入れても、地位を手に入れても、虚しくて悲しい人だっている。
米津玄師だってライブで「人生はクソだけど今日くらいそんな日じゃなければ良いなって思ってやらせてもらっています」って言ってたし、米津玄師ですらクランベリーとパンケーキなわけで、多すぎる現実に事実に対して忘れるために酒飲んでヒッピヒッピシェケダンディダンディドンしてないと生きていけないわけなので、幸せとは他人を見たら視界がぼけてわからなくなる絶対的なものですから。

・もちろんそんなこと考えないでもいられるひとはたくさんいるし、わたしは正直そう生まれたかった。脳の構造の問題で、わたしはちょっと作りに間違いがあって、良し悪しはさておき普通とは違うから多少生きにくい。そういう人はきっとたくさんいるだろう。
それでも人が生きるのは「大切にする」を覚えているから何だと思う。

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396字

にっき

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