人の趣味を邪魔するオタクにはなるなよ
こんにちは、にんふぇあと申します。
最近は各種メディアで「オタクの在り方」について取り沙汰されていますね。
直近だと、「推し疲れ」や「映画を早送りで見て手っ取り早く知識を得る」ことの是非についての記事が話題になっているのを見た方も多いのではないでしょうか。
そういった記事では、「忙しさや金銭面からついていくのがしんどくなっている」「話題についていくためには膨大な作品をチェックしなくてはいけない」「回り道なしで最短距離にオタクになりたい」という、様々な意見が紹介されています。
これらの悩みに共通するのが、自分のペースではなく周りのペースに翻弄されているということです。
本来であれば、忙しさや金銭面で趣味あるいはオタク活動の遂行が難しいのなら、そのことで苦しむのではなく消費する時間や金額を減らせばよいのではないでしょうか。
「話題についていくためには膨大な作品をチェックしなくてはいけない」「回り道なしで最短距離にオタクになりたい」というのも、もし主目的が他人との話題についていったり他人よりも知識をつけてディープなオタクになるためなのであれば必要ですが、もし主目的が「自分が楽しむこと」であれば、自分のペースでゆっくり作品をチェックしていく方が、精神的にも追いつめられずにすむのではないかと考えます。
趣味とは、人間が自由時間に習慣的に繰り返し行うことを指しています。
可能であれば、せっかくの自由時間に行う行為は、精神的に追いつめられ翻弄されるものではなく、楽しいものである方がいいですよね?
では、人はなぜ趣味およびオタク活動で追いつめられてしまうのでしょうか。
「話題についていくためには膨大な作品をチェックしなくてはいけない」「回り道なしで最短距離にオタクになりたい」という例を最初にあげたことからも分かるように、ここでは他者という存在が重要になります。
突然ですが、仕事ができる人と仕事ができない人がいる場合、仕事ができる人の方が偉いですよね?(どちらの方が仕事を真剣にやっているかとか、苦労しているかとか、そういう精神論的なやつはここでは考えないものとします)。
それと同じで、オタク趣味では、知識が多かったり、のめりこんでいる年数が長かったり、つぎこんでいるお金が多い方が偉いとされますよね?
ここで「そんなことねえよ」と思ったあなたは、本来であればその方がいいのでそのままでいてください。
趣味とは、自由時間に習慣的に繰り返す行動にすぎないのですが、時にここにも優劣が発生します。
そこで舐められないように自己防衛するために、自由時間に心をすり減らして知識をたくわえるか、いっそのこと早送りで知識をつめこむという考えにいたるのだと思います。
ここで突然自分語りをするのですが、私は旅行が趣味です。
ただ、私の周りにはTwitterが更新されるたびに別の国にいる人、旅行関連のトークイベントを開催するたびに満席になる人、バラエティ番組で旅行トークのコメント要員としてよく呼ばれる人がごろごろいます。
それに対して私は、そもそも47都道府県すら制覇していません。海外も、せいぜい10か国くらいです。
前述のやばい方々と比べると私は圧倒的にど素人なのですが、一応外部のメディア様で記事を書いてお金をもらったり、旅行ライターとしてのコメントを求められたこともあります。
なので、その気になればそういった数少ない実績をふくらませてふりかざし、旅行オタク、旅行のプロっぽく見せかけることは可能です(余談ですがTwitterや Instagramって何かのプロっぽくふるまってるけど何者か分からないインフルエンサーが多いですよね)。
ただ、ここで私が旅行メディアで書いてきた自己紹介文を紹介したいと思います。
東京に生まれて東京の大学に進学し、そのまま東京で電機機器メーカーに就職するという無味乾燥な人生をおくってきました。
(https://www.travel.co.jp/guide/navigtr/775/)
メジャーではないけどマニアックすぎない、「もっと評価されるべき」スポットを中心に紹介します。
(https://tripnote.jp/writer/1293)
ちなみに、旅行メディアではなくnoteですが、このような記事も書いています。
・永遠の旅行中級者
何をいいたいかというと、私はなるべく、旅行にくわしくないように見えるムーブをすることが多いです。
上記の情報だけで、私が専業ではなく副業ライターであることも、マイナーな観光スポットは紹介しない(できない)ことも、旅行上級者ではないことも分かりますね。
あとは、某メディアでは「一人旅ブロガー」を名乗ったり、個人ブログに「国内一人旅ブログ」とつけるなど、「ひとり」を強調しています。
これはまあ私に友だちがいないからなのですが、強調したかったのはそこではありません。
私は、自分が「旅行にくわしくないぼっち」であることを強調することで、「私はあまり旅行にくわしくないよ、だからあんたらオタクの知識や経験のマウント合戦に参加しないよ、そんなものにまきこむくらいなら一人にしておくれ」という意思表示をしたかったのです。
旅行自体は楽しいので、そんなつまらないことにまきこまれたくないんですよね。ただ、「うるせえ俺をまきこむな」と怒鳴るのもアレなので遠回しに主張をする形になっています。
趣味の一番の障害は、忙しさや金銭不足ではなく、マウントを取りたがり界隈の治安を悪化させる「厄介オタク」ですからね。
私が「一人旅」にこだわるのも、結局は邪魔されたくないからです。
では、趣味やオタクとしての活動において他人は邪魔で不要な存在なのかというと、もちろんそうではありません。
私はコミュ力がアレなので前述のように「まきこむなひとりにしてくれ」というスタンスを取っていますが、世の中の大体の人は、きちんと趣味あるいはオタク活動を通して交流を楽しんでいます。
では、どうすれば健康的に趣味やオタクとしての活動を他の人と楽しめるのでしょうか。
私が上手くできていないので、ここは私ではなく他の例を紹介します。
皆さんはマニアフェスタを知っていますか。
私の記事では過去に何度かふれているのですが、簡単にいうと、様々なマニアが自分の好きなものを形にして発表・販売するお祭りです。コミケみたいなものだと思えば大体あってます。たぶん。
ここでは、廃墟やシャッター、信楽焼のたぬきなど魅力が分かりやすいものから、架空の町の地図の自作マニア、夜景を背景におじさんを撮るマニア、道端に片方落ちた手袋マニアなど、説明がほしいマニアも多く出展していました。
このマニアフェスタですが、ニッチなマニアが多く参加しており知識や分野がかぶらない関係上、他人にマウントを取ったり対戦をしかけるケースが発生しにくくなっています。
他の参加者の話を聞き、「私は今まで知らなかったのですがそのような面白い世界があるのですね」と、最近はやりの「多様性」を認め互いを尊重するような空間であり、「オタク界隈、みんなこの空気であってくれ〜」という感想を抱きました。
マニアフェスタは極端な例ですが、様々なオタクが存在する以上、個人個人の知識や経験は異なってきます。
例えば、世間をさわがせがちな「鉄オタ」を取っても、乗り鉄、撮り鉄、時刻表鉄、音鉄など細かく分類があります。私は鉄道にうといので想像の世界になりますが、それぞれハマっているポイントが違うので、知識の深浅にかたよりがあるのでしょう。
私も旅行が好きですが、国内一人旅に特化しており運転が苦手なので、海外や親子で楽しめるスポット、サービスエリアの知識はほぼありません。
そういった知識のでこぼこでマウントを取ったり逆にあせったり早送りで知識を得るのではなく、他のオタクとでこぼこを見せ合い、「私は知りませんでしたがそのような面白い世界があるのですね」とみんながいえるようになると、もっと平和な世の中になるんとちゃうんかなあと思います。
自分で書いていて説教臭さや思想系っぽさを感じたので無駄にエセ関西弁を入れてごまかしてしまいましたが、オタクというか趣味を楽しむ人ひとりひとりにそういう余裕ができると、私みたいに「かまうな、私ひとりで楽しむんだから放っておいてくれ」みたいなことをいいだす逆方向に厄介なオタクがいなくなるのではと考えています。
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