【詩】流される
この酷く落ち込む憂鬱といふ名の大河に吾は
唯、流されるに任せるのか。
とはいへ、この川幅を泳いで渡る気力もなく、
また、幸ひにもこの大河は静かに流れ、
吾はそれに浮かんでたゆたふのが悦楽なのだ。
憂鬱に身を堕すことが悦楽を齎す逆説でしか吾は
生を繋げぬこの捻くれた存在にはいい薬だ。
生とは闇の中を生きるのに似てゐる。
何処まで行っても周りを見渡しても御灯明などありはせぬ。
光が希望と言ってゐるものはその誤謬に気付かぬのか、
それとも、闇ばかりの生に灯明がまるであるが如く嘯いて人心を惑わすし、
基督のやうに磔刑に処す生贄を探すことに精を出しては、
虚しくも充実した生を終へるのか。
どう転んでも生きるとは闇を生ききること。
光はだから誑かすのだ。
何故なら光とは悪魔の別名で、
光を謳うものは何も信じてはならぬ。
只管に真摯に闇に向かって、
自身の位置すら解らぬ闇の中で、
藻掻くのが人生といふものではないか。
何を闇を怖がってゐる。
さあ、立ち上がれ。
さうして一歩ゝ踏み締めるやうに暗中の中を
手探りして歩くのだ。
さすれば、己の道が見えるはずだ。
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