![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/80165809/rectangle_large_type_2_778c1a7016cf1b031e48eb16cd6f3d2e.jpg?width=800)
京都 大徳寺/瑞峯院 利休の茶室『待庵(復元)』 京都レポート①
久々の関西でのライブが決まった。
いつも演奏させてもらっているSPENSRの、心斎橋でのライブに帯同した。
本当は当日中に東京に戻る予定だったけど、僕だけ泊まって、翌日京都へ行くことにした。
目的は2つ。
・千利休の最高傑作の一つと評される茶室『待庵』のオリジナルを復元した『平成待庵』を見学する
・Brian Enoの音楽と視覚芸術のインスタレーション『Ambient Kyoto』へ行く
この2つは自分の中で同じ文脈で繋がっていて、今回体験して非常に感銘を受けたので、一つずつ感じたことを書いていきたいと思う。
まず、京都駅に着いて、レンタサイクルで借りた自転車で、平成待庵がある大徳寺の瑞峯院へ。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/80165994/picture_pc_27784071fdd35b023d9f1913a42506ab.png?width=800)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/80166050/picture_pc_2f7eaba5c0ebee4060e1fbaba206f4a3.jpg?width=800)
この木造も、利休の自害に関わってくる。
平成待庵の見学は事前予約制なので、受付で「予約した池田です」と伝えると、まず茶室(平成待庵ではない)に通してもらった。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/80166144/picture_pc_c983dcc801e736bead0cc55f66cc1f8a.jpg?width=800)
受付してくれた方が茶道家の方らしく、そのまま茶室でお茶を一服たててくれた。
一切作法が分からないことを伝えると、丁寧に教えてくれたので、その通りの出順を追って口へ運ぶ。
抹茶を飲むのは自分も初めてで、強烈な苦味を想像していたけど、これが口当たりまろやかで飲みやすい。美味。お茶の温かさも心地よい。じんわり身体がリフレッシュされてる感じが新鮮だった。
お茶を飲み干すと、いよいよ平成待庵へ。
茶道家さんの案内に従って付いていく。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/80166198/picture_pc_493ca39e53af0978f9cb3ca6c0440434.jpg?width=800)
入ったときの最初の印象は、暗い!狭い!低い!の三拍子。たった二畳の間と、漆黒の土壁に低い天井。立っていると圧迫感を感じる。とても人を寛がせてもてなすような空間には思えなかった。
しかし、座って茶道家さんの話を聞いていると、不思議と圧迫感は消えて、力が抜けた。一気に情報量が減って、脳が解き放たれる感じ。身体的にはタイトの状況にいるのに、心は緩んでいく不思議な感覚だった。
利休の「豪勢な施しはなくとも、発想で客をもてなすことは出来る」と言ったような哲学を感じれた。
それは、経済力を軸に天下取りを実行していった時の権力者、豊臣秀吉とは真逆の感覚で、実に批評的かつ、過激な哲学であったと思う。
自害にまで追い込まれてしまった所以も解る。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/80166251/picture_pc_202edef68ffbf760a25bf20bfd19432a.jpg?width=800)
帯刀していると入れないサイズで、
ここを全員潜って入ることで、互いの身分差が失われていく。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/80166471/picture_pc_34e32a2fb6c38ff6abfe3fc274366c05.jpg?width=800)
茶道家さんの説明で知ったが、待庵は秀吉をもてなす為、京都と大坂(当時は大阪ではなく、大坂)の間の山崎に建てたのだが、結局最後まで秀吉が待庵に来ることはなかった。
秀吉をもてなすための空間を、あくまで秀吉に忖度せず、自分の感覚で表現してしまうあたり、やはり批評的な感覚を持ったアーティスト/プロデューサーであったと思う。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/80166627/picture_pc_2c131084bd01b4948b08eb42f1473a2a.jpg?width=800)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/80166660/picture_pc_ce747c2b25dac32b2fdf570932d82d4c.jpg?width=800)
土に炭を混ぜてこの色が生まれているそう。
もちろん利休のアイデアである。
16世紀末にそのような感覚を持った人物がこの国に存在したという事実に驚きつつ、儒教的な主従関係が不安的に揺らいでいた、下克上の時代だったからこそ、この千利休哲学が育まれたのは必然だったかもしれない、とも思う。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/80166709/picture_pc_ab7fbce49c45139e448477fa51b479c5.jpg?width=800)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?