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最初の担当編集者さんの話

こんばんは、もしくはこんばんは。

編集さんとのエピソードを語るのが流行りのようなので、ボクもここらで1つ。

初めて担当編集として仕事をしてくれた人との出会いは、コミカライズの企画モノだった。
コミカライズの作画担当を公募し原作さんや編集長らが審査した結果、ボクが選ばれたんだけどその審査に担当編集さんは関わっておらず偉い人だけで決めた結果を押し付けられるという形だった。

公募は全然人が集まらず、またみんなネームばかりで完成原稿で出す人もいなかったので、ほぼ唯一と言ってもいい完成原稿で応募したボクが消去法で選ばれたように思う。

というわけで実力がないまま運よく仕事にありつけたボクと、上が決めた企画を遂行するハメになった担当編集さんに縁が出来た。

初めて会ったのは審査してくれた人たちが集まっての顔合わせの挨拶だったけど、2度目からは2人で進めて行くことになった。
その2度目の打ち合わせの時「私が審査員なら君は選ばない」と言われ、実力がプロの及第点に達してないという自覚はあったので「でしょうね」と思いながらも決まったからにはやらせて貰うといった感じで進められた。

描きおろし単行本という企画だったので150ページ前後のネームを、月1~2回の打ち合わせで作り続け、約1年かけて最後までネームができた。

ネームが全部できた時点でキャラデザに魅力がないと言われ、コンペ時に応募していたキャラデザのイメージのままでネームを作っていたのに何で今更と思いながらもキャラデザを作り直した。

そのキャラデザも何度もリテイクを貰いながらなんとか決定し、いざ作画だと思った段階で次は「絵が下手過ぎて始められない」と言われた。

ネームを作ってる1年の間に多少は上達していたけど、それでも商業でスタートラインに立てる及第点に達していないということだった。
正直その自覚はあったので、そこから2ヶ月ほど必死こいて画力を向上させた結果、一応ギリギリ及第点と呼べるぐらいの絵が描けるようになった。

正直担当さんはもうこの企画を白紙にしたかったんだと思うけど、それでも1年かけて作ってきたし今更引き返せないとできることをやった結果、コロナ禍が来たことで始められないと結局白紙になった。

それを言い渡された時どう思ったかは覚えてないけど、ダラダラとアシスタントを続けて背景ばかり描けるようになりキャラクターは一向に描けず漫画も全然作れなかった人間が、その企画の準備をしていた1年でネームも作画もプロの及第点にギリギリ達するぐらいにまで伸びたので、無駄だったとは思わなかった。

その後お詫びとして別の企画を貰い、そちらはトントン拍子に進んで3ヶ月後には連載開始し晴れて商業デビューを果たしたので、結果オーライ。

言葉にすると結構ヒドい編集さんのような感じだけど、大元の原因はボクの絵や漫画が下手過ぎることなので、恨みとか負の感情は無い。
むしろこんな下手クソな漫画の描けないド新人を1年見てくれたし別の企画も貰えたので、どちらかと言うと感謝寄りの感情があったりもする。

デビュー作の連載終了後に別の企画を考えてもらったり打ち合わせしつつ「今バタバタしてるんで落ち着いたら連絡しますね」という連絡を最後に数年経ち、その担当さんとの縁は終わった。

ボクの感覚では、この話を読んで「ヒドい」と思う人はあまり商業作家に向いてない気がする。
腕一本で喰う世界で、その腕がないのに人間扱いしてもらおうって考えだと、どこかで心が折れたり挫けたりしそう。

勿論そういった対応が良いことじゃないとは思うけど、出来なくても優しく教えてもらいながら仕事やお金が欲しいならそういう世界に行けばいいワケで。

そーいった経験から紆余曲折あって今は他社で2本同時連載という好待遇で暮らしてるけど、まだまだ人権を得たとは言い難いので

早く人間になりたーい(売れたーい)

というお話。

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