台湾に住んでいる父親と十年ぶりに再会したら、めちゃくちゃ大物になってた話

  幼いとき、多分貧乏だったんだと思う。チョコチップのスナックパンをよく食べていた。平屋の家の中が蟻まみれになったこととか、すごく覚えている。団地に住んでいたこともある。父親の記憶は全くと言っていいほどない。物心ついたときには父親はすでにいなかった。東京に行ったらしい。小学生くらいの時に、親戚のお葬式で一度だけ会った。ココアを買ってくれて、二人だけでしゃべった。恐ろしいほど会話は盛り上がらなかった。苦し紛れなのかなんなのか、「好きな漫画とかあるの?」と聞かれたけれど、私が多分「こち亀」とか言ったせいか、そこで会話は終わった。

 それからずっと会っていなかった。私が高校生になるころには、父は台湾に住んでいた。母に父の話を聞くと「インタビューの予定もないのにインタビューの練習をしている人だった」とか「たまに料理したかと思うとローリエとか買って来たから高くついた」とか言っていた。父は多分、東京ですごく頑張って、大成したんだと思う。父の名前でGoogle検索すると、画像一覧の結構上の方に父の顔が出てきた。Youtubeにも出ていたし、なにやら台湾の会社で結構上の役職にいるみたいだった。インタビューの練習の成果を発揮する場も得たのだろう。

 そんな父に会いたいと、ずっと薄っすら思っていた。大学を卒業する前に、会いに行くなら今しかないかもしれないと思った。
 台北101の前にある「LOVEオブジェ」の前で父親と待ち合わせた。10年以上あっていない父親と「LOVE」の近くで待ち合わせるのはすごく嫌だったけれど、分かりやすい目印がそこくらいしかなかった。父親は中国語で誰かと電話していた。インターネットで何度も何度も確認した顔と同じだった。父は私に気が付かなかった。期待はしていなかったけれど、やっぱり寂しかった。台北101のショッピング街を二人で上から下まで見て回った。
「お母さんは元気にしてる?」
「うん、元気だよ。妹も生まれた」
「そうなんだ。お母さんは何回結婚したの?」
「3回目だよ。これより多い?」
 私がそう尋ねると、多いかなと言葉を濁した。回数は教えてくれなかった。めちゃくちゃ子供もいるんだろうな(おかげさまで私には外国籍の腹違いのきょうだいがいる)、と思ったし、そんなに何人もいたら私の存在に重みなんてないだろうなとも思った。相変わらず会話は盛り上がらなかったけど、私は前よりも喋るのが上手くなったので、なんとか話は続いた。多分父親はそんなに変わってないと思う。台北101のやたら高いブランド品の店を見ながら「何か欲しいものとかないの?」と聞いてきた。父はこういうブランド品をあっさり買えるくらいにはお金を持っているんだなと驚いた。
「別にこういうの好きじゃないよ」と私は笑って答えた。父親は私の好きなものも知らなかったし、どこの高校を出たかも知らなかったし、私が運動神経が悪いということも知らなかった。でも、その日父親は好きなものをたくさん聞いてきたり、お酒を飲みに連れていってくれようとしたり、すごく良くしてくれようとしているのは伝わってきた。
 二人で台湾のレストランでご飯を食べながら、昔一緒にびっくりドンキーに行ったときのことを思い出した。あの時から、多分父親は私が何を好きなのかあんまり分かっていなかった。けれど、犬が好きということだけは知っていたみたいで、びっくりドンキーのお会計をするときに、盲導犬の募金箱をじっと見つめる私の前で募金箱にお金を入れてくれた。そのことは本当にすごくよく覚えている。昔から、父親なりに何かを私にしようとしてくれているんだと思う。それが嬉しかった。

 父と解散してから、母親に父親と会ったことを連絡した。
「すごいお金持ちになってたよ」
と言うと
「これが本当のパパ活だね、なんか買ってもらえばよかったのに!」
「写真撮ってないの?」
とあっけらかんと返してきた。私が母親なら、元旦那が金持ちになっていたら正直イラっとしてもしまうかもしれない。けれど、母は何も気にしていない様子だった。

 そんな母のことも、台湾で成功した父のことも、私はすごくすごく尊敬している。二人ともめちゃくちゃ結婚した回数多いけど。


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