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意識改革が急務

今まで、「人」を意識して生きてきたと思う。


というのは、例えば、「○○先生の授業だから行こう」とか「○○さんに会いたいから朝早く学校に行こう」だとか、これまで人の存在を理由にして行動を起こしていたと思う。

Fラン大生だけど、きちんと大学に行く。きちんと大学に行くけれど、行きたくない日ももちろんある。そういった時に、人を理由にして学校に行くモチベーションを高めていた。

一限からの日は憂鬱だった。

電車はメチャクチャ混んでいるし、眠いからだ。けれど、ある時期を境に憂鬱ではなく、楽しみに変わった。 

なぜなら、電車の中に好みの人を見つけたからだ。

(これは、好きとか憧れとかいう感情ではなく、同志に近いのかもしれない。おそらく、単純接触効果によって生まれた親近感でしかないと思う。)

その人は、すごく私の好みにハマっていて、電車の中できちんとしていて、周りの人に迷惑をかけないように気を使っていて、立派な人だった。

その人の存在に気づき始めたのは、去年の暮れで、それから今年の夏まで、一限のある日の朝は、割と顔を合わせることが多くなった。もちろん挨拶とかはないが、恐らく相手も私を認識しているのだろうと思う。


しかし、夏休みに入ってからは、もちろん学校に行く用事が無いので朝の電車に乗ることも無く、それゆえその人と顔を合わせる機会もない。

心の支え?のようなものだったので、やっぱり夏休みもその人の姿を見たいなと思い、なんかしらの理由をつけて学校に行くのだが、なぜか電車内にいないことが多い。


「なーんだいないのか。寂しいな。」と思うと、急に無気力になる。学校に行ってから、虚無感に襲われる。生産性が落ちる。

本来は、こうであってはいけない。不確実なもの(そもそも電車で乗り合わせるか分からない)に期待して、それをモチベーション向上の要因としてしまうのは、あまりに危険である。

だから、早く止めなければ、と思う。

あらゆる行動を、人を理由にするのではなく、理由なしに、もしくは自分を理由として出来るようになりたい。

早く馬鹿な自分から卒業したいと思った。

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