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7年間勤めたNPOを退職しました/これからのこと

7年間、走り続けてきました。
NPO法人HELLOlife(当時スマイルスタイル)とは、学生の頃に出会いました。大学時代足つぼサークルという特殊な所属だった僕が、「カタタタキを広めたい!」という活動をしていたころ。ユメコラボという企画で活動を応援していただいたのがきっかけです。

梅田ロフトの前でイベントをさせていただいたり、活動をバックアップするCMを作ってもらいました。

(若いぞ…!)

その後社会人になり、1社目を退職後「寺子屋をつくりたい」と起業準備をしていた僕に「キャリア教育がしたいなら、働く支援を知ってからでも遅くない」みたいに代表に声をかけて拾っていただいたのを覚えています。


「働く」と向き合う日々。そこから学んだこと。

そこからは怒涛の日々でした。
無力感を味わい続けるし、落ち込む暇もないぐらいすぐ次の仕事が始まる。
でも楽しむ時は楽しむ。家族のようなチームでした。
26歳からの7年間。人生の中で多分、もっとも仕事で成長する時期をハローライフの仲間と過ごせたことは、僕にとって生涯の財産です。

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ここでは概ね10代〜30代までの就労支援を行う「ハローライフ」や、「地域若者サポートステーション」の責任者を務めてきました。そこには日々、多様な生きづらさ、働きづらさを抱える若者がやってきます。はじめは右も左も分からずただ目の前の方と向き合い、励まし、伴走する毎日でした。

上司との関係が悪く職場でパニック状態になってしまった方、不安から電車に乗れなくなってしまった方、トイレが近くにないと心配でストレスを感じてしまう方、環境音が気になりすぎて集中できない方、人間関係を築くのが苦手で長期間同じ職場で働くことができない方…

いろいろな方の話に耳を傾け、僕よりもずっと経験豊富な相談員の方からも様々なことを教えていただきました。そして何年か経験してやっと僕にも分かった、当たり前のことがあります。それは、「人には個性がある」ということです。

それまで僕は個性という言葉を性格的な意味だけで使っていましたが、もっと広い意味で個性というものを捉えるようになりました。たとえば能力検査をすれば、様々な身体的・知的な能力値の個性が出ます。「障害者」と「健常者」は2分類にできるものではなく、グラデーションがあります。LGBTsという分類もはっきり分かれるものではなく、少しゲイの要素も持つストレートという人もいます。五感も人によって感度が違います。水風呂が得意な人もいれば肌が敏感で苦手な人もいます。

ところが他者の個性は見えづらく、時にそれは「努力不足」や「甘え」だと糾弾されてしまうことがあります。自分の個性を基準に考えることで、「自分はできるのに」と他者を見てしまうからです。
その一方で実は多くの人は、「自分の身体の個性」が分かっている訳でもありません。だからよく失敗したり、無理をします。就労支援の現場で会う若者の多くは、自分の個性と社会とのミスマッチを起こしているようでした。

次第に僕は、「自分の個性を知り、自分の個性に合った生き方・働き方を選ぶ人が増えてほしい」と思うようになりました。

今の社会は、さまざまな制約からそれが難しい現場が多いのも事実です。時代に合わせて法や制度に柔軟性を持たせ、古いマネジメント手法を変えていかなくてはなりません。仕事に個性を合わせるのではなく、個性に合わせて仕事をつくるべきです。

新たな価値観で働ける仕事をコーディネートしていき、個性に合わせて働き方を選択できる社会をつくること。これが僕のベースの想いとなりました。


一度いい出会いがあれば、二度目を信じられる

そしてもう一つ、ハローライフで働く中で考えた仮説があります。
それは、「人はいい出会い方をすると、いい関係性が築ける」ということ。
人と人が出会う時もそうですし、人と社会が出会う時もそうです。

これまで、「社会と悪い出会い方をしたために、悪い関係になってしまった人」と多く出会ってきました。すると社会を怖いと思うようになったり、ときに憎んだりするようになります。

その状態を変えられると僕が信じている方法が、いい出会いをたった一つでいいから経験すること、です。
いい出会いが0の状態を絶望と言います。この先いい出会いがあると信じることができません。(この世でいい出会いなんて存在してこなかったから)
でも、たった一回でもいい出会いを経験すれば、「もしかすると、次もあるかもしれない」と、信じることができます。きっと、これを希望といいます。

就労支援でも、キャリア教育でも、僕の活動は「その人にとってのいい出会いを一つ作るため」にやってきました。

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少し話が変わりますが、6年前からカレー屋を移動販売でやっています。
助手席が空いているので、僕が各地を回る時に、色々な若者に助手席に乗ってもらっていました。
ずっと一緒に小豆島に通っていた、当時ひきこもり状態だった男の子がいますが、通って1年ぐらい経ったころに「このカレー屋なら俺後継いでやってもいいっすよ」と言ってくれたことがあります。小豆島でいろんな人と出会う中で、彼にとっての社会とのいい出会いがあったのでしょうか。

そんなカレー屋の名前はニモアルカモと言います。(1があるなら、2もあるかも、です)
今後僕が始める仕事はすべて、この店名と同じ想いで始めていくことになると思います。

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これからのこと

ここまで書いた、7年間かけてたどり着いた現在地点の想いは、
働くということが、雇用の縛りや慣習に制限されず、もっと自由で在ってほしいということです。

これからは自分を実験体として、まずは自分の個性に合わせて自由に働いてみながら、そこで得られた知見をYou Tubeで発信したり、起業の準備を進めていこうと思っています。
(またボチボチ発信していきますね!)

ちなみに・・・
並行して「働く」に関する仕事の実践経験も重ねたいと思っています。
キャリア相談や、「働く」に関するセミナー、ワークショップなど、お仕事あればいただけると幸いです。(なにとぞ。笑)
また、モニターとして転職・就職相談(Zoom)を無料で何名かさせていただきたいと思っています。また募集しますので、お声がけください。

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さあ、人生の第4章ぐらい始まった気持ちです。
まず、これまで一緒に働き育てくれたハローライフの皆への感謝を。
そして、これまでの人生で出会っていただいたみなさま、これから出会うみなさま、どうぞよろしくお願いいたします。

サポートいただいたお金は、今行っている若者の就労支援などへ充てさせていただきます。