見出し画像

一万文字の壁を越える

生産性を上げたいと切実に考えている。ひとくちに生産性と言っても様々な基準があるが、小説家にとっての目安になるのは一日あたりの執筆文字数だろう。たくさん書けばたくさん儲かるという仕事ではないが、執筆速度の速さはひとつの武器だ。書くのが早ければ〆切に怯える必要もないし、思索や取材や資料読みに回せる時間も増える。そしてなによりも筆が速ければ、生きてる間にたくさんの作品が書ける。とても嬉しい。いや違う。執筆速度が遅いのは苦しいのだ。頭の中で物語が思い浮かぶのと同じ速度でアウトプットができないのが、ものすごく苦しい。泥濘ぬかるみに足を取られながら闇の中を手探りで歩いている気分。死ねる。

私の執筆量は1日フルタイムで執筆した場合に平均5,000文字くらい。調子が悪いと3,000字前後まで落ちこむことがあるし、7,000文字書いたら「今日は仕事したな」って感じになる。1日10,000字を超えるのは〆切が差し迫ってきたなどの非常時で、この状態を維持するのはかなりつらい。人間らしい生活のかなりの部分が犠牲になる。

しかし世の中には筆の速い作家もいて、彼ら(彼女ら)は私の限界を超える執筆量を毎日コンスタントに叩き出す。それでいて小説執筆以外の活動もアクティブにこなしている(ように見える)。正直とても羨ましい。それが才能の差だと言われたらそれはそう。しかし私はべつに彼らと一列に並んでよーいドン!で執筆速度を競っているわけではないので、そこは負けてもいいのである。むしろそういう才能のある人たちをお手本にして、自分の生産性を上げていきたいと思う。

どうやれば執筆速度が上がるのか

生産性を高めるという触れこみのビジネス書は大量に出ているが(100冊くらい読んだ)、小説執筆においてはそれらの(定時に帰る技術などの)情報はあまり役に立たない。というのも小説執筆において使用できるリソースは、事実上、作者の集中力だけだからだ。そのため単位時間あたりのアウトプットを増やすためには、いかにして集中力を持続するかが鍵になる。その意味では、集中力のロスを防ぐことを目的にしたライフハック的な技術は比較的有用かもしれない。

個人的に役に立つと感じているのはポモドーロテクニックで、これと快適な環境音や音楽を組み合わせたYoutubeの動画を流しながら作業するのは悪くないと思う。また、毎日の執筆時間を固定して、執筆を習慣づけるのも効果的だといわれている。原稿が進まなくても、その時間はデスクの前に座ることを義務づけてProcrastinateを避けるのだ(人間のやる気というのは、実際に作業を始めることで活性化するらしい)。

おそらく道具にこだわるのも効果的だ。快適なパソコンと周辺機器、お気に入りの筆記用具などはモチベーションの向上や維持を助けてくれる。

相馬屋源四郎商店さんの原稿用紙。とても良い。

そしてもっとも重要なのは、集中力を支える体力だろう。村上春樹さんがマラソンを趣味にしていたことは有名だが、長期間の執筆に耐える肉体を作るためには、運動だけでなく食事や睡眠についてもストイックに管理する必要があるのかもしれない。

しかし、そこまでしても、10,000文字/日以上の執筆速度を維持するのは簡単なことではないと思える。意味わからんくらい筆の速い才能のある人たちの執筆速度というのは、それくらい異常で圧倒的なのだ。仕事術的な小手先の技術でその差が埋まるとはとても思えない。

迷わずに線を引く

以前イラストの描き方についての本で興味深い話を読んだことがある。イラストの上手な人というのは、下書きラフで描いた幾つもの線の中から、もっとも優れた「正解の線」を迷わずに選び出すことができるらしい。だから彼ら(彼女ら)は作業が早くて上手い絵を描くことができるのだそうだ。

仮にそういう人が実際にいたとして、その正しい線を選ぶ能力というのは、先天的に持って生まれた才能というわけではないのだろう。上達の早い遅いはあるにせよ、膨大な数のイラストを描き続けているうちに自然と身につけたスキルなのではないかと思う。

この話が事実かどうかは知らないのだけど、執筆速度を上げるということに関してここに大きなヒントが隠されている気がする。

清書用の線を引く作業と、様々な文章表現の中から最適な語句を選び出す作業はよく似ている。イラスト上級者が迷わずに正しい線を引くように、執筆速度が速い人たちというのは普通の人間よりも短い時間で正しい語句を選んでいるのではないだろうか。

脳内データベースを最適化せよ

ものすごく単純化した話をすると、文章を書く作業というのは、脳内のデータベースに収められている語句や表現にアクセスして、適切な表現を選び出す作業の繰り返しだと考えられる。文章を書くのが下手な人というのはデータベースの中身がスカスカか、またはデータベース管理システムのパフォーマンスに問題があるということになる。

逆に執筆速度が速い人というのは、このデータベースがカリカリにチューニングされていて応答速度がバカっ速いのではないかと想像する。人体というサーバーの基本的なハードウェア性能が同じでも、データベースが最適化されているかどうかでパフォーマンスに絶望的な開きが出ているのだ。

つまり小説家が執筆速度を上げるためには、脳内データベースの最適化作業が必要になる。残念ながら人間の脳の場合はハードウェアを取り替えて高速化することができないし、SQL文も見えない。地道に自己適応させて最適化していくしかない(日本語LLMがもう少し賢くなれば、クラスタリングや並列処理はいけるかもしれない)。

幸い神経回路というやつは使えば使うほどパフォーマンスが向上するという特徴がある。ここから導き出される結論は、たくさん書けば書くほど脳内データベースの最適化、すなわち執筆速度の改善が期待できるということだ。執筆速度が天才的に速い才能のある人たちは、執筆速度が速いから執筆量が多いのではなく、執筆量が多かったために執筆速度が上昇した(そして今現在も執筆速度の向上が続いている)のではないかと考えられる。

なんだか鶏と卵のどちらが先かみたいな胡乱な話になってしまったけれど、生産性を上げるには生産性が高い人たちと同じように振る舞うことである、というのは案外まっとうな結論にも思える。
そんなわけで、実は長らく休眠状態だったこのnoteを復活させたのも、こうして駄文を書き散らすことで執筆速度を上げようという姑息な目的があったりするのです。

これで本当に私の執筆速度が上がるのかどうかはわからないけれど、上がったらいいなとかなり本気で思っている。毎日の執筆文字数を記録するようにしたので、そのうちいずれまた報告します。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?