いつか何かがカチッとはまって

はてな匿名ダイアリーで、こんな記事を読みました。

いつも「ここにいちゃいけない」気がするhttps://anond.hatelabo.jp/20220822194538

この匿名ダイアリーの肝は「居場所がない」ではなく、「ここにいちゃいけない」となっているところだと思います。

ダイアリーの筆者は、居場所や所属がなくてふわふわただよっているというより、「いちゃいけない」といることを禁止されたり、「ここにいるな」と蹴り出されるべきと感じている。
それなのに、理由をつけて「いてしまっている」「いさせてもらっている」と感じている。
疎外感ではなく、「今まさに疎外されている『圧』」を感じている。

わたしはそんなふうに読み取りました。

ダイアリーの筆者は、賃貸の家にいても、学校にいても、会社にいてもこの「疎外の『圧』」を感じているといいます。
じんわり苦しいだろうなと思います。

おそらく、この筆者とはだいぶ違うのですが――。

わたしにも、この「疎外の『圧』」を常時感じていたことがありました。

それは新卒で入社した会社。

通路側に面したデスクがわたしの席で、後ろをひとが通るたび、「椅子を蹴られるのではないか」と感じていました。

おかしなことが多い会社でしたが、さすがに誰かが椅子を蹴られる前例を見たことはありません。

それでもなぜか、いつも「椅子を蹴られる」「上司や同僚は蹴りたいと思っている」と感じていました。

思えば「社会に自分の椅子がない」感覚は、就職活動のときからあったように思います。
適性検査では模範解答を選んでいるつもりなのに選考落ち、面接を突破したことはほぼありませんでした。
就職活動マニュアルを読んでも、自己分析もPRもよくわかりませんでした。

最初の会社では、書籍編集という業務内容がそもそも自分に合っていなかったのでしょう。いつも仕事が遅く、「校正がザル」といわれていました。

結局、物理的に椅子を蹴られることはありませんでしたが、オブラートにくるんだ言い方をすれば「育つまで待っていられない」というわけで、クビになりました。

その後、紆余曲折あって、会社勤めのライターになりました。

スパンが短い雑誌でのライティングの仕事は、性に合っていたようです。
前にやっていた書籍の編集は1冊作るのに3か月から半年とスパンが長く、人にいろいろなことを頼まなければいけませんでした。
一方で雑誌のライターの仕事はせいぜい1仕事せいぜい1か月ぐらいの短距離走。動くのは自分です。

書籍編集時代、「ザル」と言われていた校正は、「すっごく丁寧!」と喜ばれました。

入社当初は人間関係に恵まれ、会社の居心地は良いものでした。

社会のはしっこであっても、歯車になれた。代替品がある部品のひとつになれた。それは大きな喜びでした。

その時期、はじめて、「ご飯が楽しみ」という感覚を理解しました。
忙しくてコンビニ弁当の連続であっても、おなかがすいて、「何を食べよう」と考えるのは楽しいことなんだ――。

それはおそらく、「社会にいていいんだ」と安心できたから。
だから、生きることの基本である「食べること」が楽しみになったのでしょう。

それでも会社で「椅子を蹴られる」恐怖はずっと感じていました。
「この場所は、絶対にわたしを追い出したがっている」確信がありました。

そのころになると、「追い出したがっている」の主語は、上司でも同僚でもなく、会社でした。

会社はわたしをいつも蹴り出そうとしている。
わたしにとって、そういうものみたいです。
それは認知のゆがみなのですが。

フリーになるときは怖かったです。
人並みに悩んだ覚えもあります。
でも、なってみたらすごく楽になりました。

あいかわらず、会社の論理みたいなものが、わたしにはわかりません。
でも、個人として働くことは理解できるみたいです。
編集さんがなぜかわからないけれど、「平凡さんに」と仕事を発注してくれる。
それにできるだけ応えようとする。
お仕事1本いくらで原稿料を稼いで生活の糧にする。
新しい仕事がほしかったら、ポートフォリオをもっていく。
そういうことは、すんなりと理解できます。

フリーランスは福利厚生もない、厚生年金もない、病気をしたときに休職、傷病手当などのクッションがない。
でも、そういうのが「ある」ことは、わたしにはよくわからない。
路頭に迷うなら迷うしかない。いつもそう思っています。

ライターになって、フリーランスになって、わたしは情緒が安定しました。
「社会にいてもいい」という承認を得たと感じたからでしょう。

そういえば、あるひとに一度、言われたことがあります。
「就職活動なんて、何をやればいいか、だいたいわかったでしょう?」
わたしは驚きました。そんなこと、わかるひとがいるんだ!
就職活動や会社だけではなく、わたしにはほとんどのことがわからないのだと思います。
人生で「わかった」と感じたのは、小論文の書き方と、雑誌でのライティングだけじゃないでしょうか。
ほんとうにわかっているのかは別にして。

就職活動も、会社で働くことも、わかりません。何がよくわからないのかもわかりません。

でも、数少ない「わかること」である仕事のおかげで社会の歯車になれていることが、わたしを支えてくれます。
「ここにいていいんだ」と思えるのです。
いつかなにかが潰えて、また蹴り出される恐怖を感じたとしても。
一度でもこう感じたことは、きっとわたしを支えてくれるでしょう。

匿名ダイアリーの筆者とわたしはだいぶ違うのでしょう。
それでも――。
いつか何かがカチッとはまって、「いちゃいけない」と感じない場所・ものがひとつでも見つかるといいなと願っています。
たったひとつでも、きっと生きることを楽にしてくれるはずだから。

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