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昭和の北海道で 【庭でバドミントン】 オリジナル漫画

50年前の北海道。
こうした娯楽も一般的になってきました。
倹約家の父でしたが、何を思ったのかバドミントンセットを買いました。

とはいうものの、私の家は農業だったのでいつもは忙しい。こうして四人で遊ぶことは珍しいことでした。バドミントンの記憶が鮮やかに残っているのは、きっとそれがめったにない家族の時間だったからに違いありません。

北海道の土地は広いとはいえ、庭の中央にある広場のようなところは、ギリギリの広さ。特にプラスチックの羽を使った場合は良く飛ぶので、うわーと背中が家の壁にぶつかりそうになったり、反対側はビニールハウスに当たったり。

こうして親子で遊べるのは人生のほんの一時期。思いつきで父が買ったバドミントン。こうして50年後に、私が家族の思い出としてマンガにするとは思いもよらなかったことでしょう。

母のこと

当時は町内で地区対抗のバレーボール大会があり両親も参加。特に母はバレーボールが大好きだったので、とても楽しんでいました。

母はもともと体を動かすのが好きでしたから、農業という仕事も合っていたようです。

歌も好きなので、バスガイドになりたいという夢もあったようですが。
 
父が亡くなったのは母が45才の時。(父は50才心筋梗塞にて死去)
その後しばらくは土地を縮小し農業を続けていました。
50才で日本舞踊を始めて名取を取り、そのほかカラオケクラブ、社交ダンスに参加したりなど思う存分生活を楽しんできました。

今80才を過ぎても、体操クラス、脳トレクラス、老人クラブの旅行、家庭菜園など、退屈知らずの忙しさで元気に暮らしています。

私は今ニュージーランドで生活しているので母と会う機会は限られていますが、毎週一時間ほど電話で話しています。私も還暦まじかになり、ようやく親を理解できる年齢になってきたので、友達同士のように昔のことをあれこれと話すようになりました。

今でも、母について知らなかったことがたくさんあります。驚くようなことを聞かされることもよくあります。

家族でさえそうなのですから、ましてや友人や知人については、理解しあっていると思っていても、もっともっと知らない部分があるでしょう。

自分がこうして考えたり感じたりするように、周りの人もまたそれぞれの考えを持ち、感じて生きているということ。知り尽くせないからこそ、やはり人間は面白い。時に人を傷つけたり、間違いを犯したりすることもあるけれども、そういう部分も含めて面白いというか不思議というか。そんな意味もあって、やっぱり私は人に対する興味が尽きることがありません。

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