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【ショート漫画】昭和の北海道で 聖徳太子の一万円

私の生きてきた 60年近い間に お金の形も随分変わりました。
当時 普段の生活は もちろん現金が当たり前。
インターネットの支払いや、カードを使うことなど想像もしませんでした。
この聖徳太子の一万円でお年玉をもらい、初給料 初ボーナスの封筒の中に入っていたのもこのお札でした😄

50年くらい前のある秋の日

 
風変りなおじさんが家に来ました。
いかにも 腹巻の中に 札束をしのばせているような。
陽気な気のいいおじさん。

おじさんと父はお金の勘定を始めて、
そのお金をテーブルに置いていきました。
それは その年の 収穫の一部である小豆を売ったお金でした。

一般的には 農家は農協と取引しているのが普通でしたが
農協だけと取引しなければならない、というわけではなかったようです。

一部とはいえ、一年間(厳密には7~8か月間)かけて働いてきた結果としての収入。両親にとっては、笑みがこぼれるのも当然でしょう。

この夜は 父も多めに見てくれたのか、この大金に触れることを許してくれました。

本物の一万円札だから、数えてみたかった。
それが 手作りのお金だったり、新聞紙では臨場感がないですもんね。
純粋にお金の感触を楽しみました。

もしかしたら このような俗っぽいお金というものを、子どもにいじらせるのはいかがなものか、と言う声も聞かれそうですね。

お金によって 人生を台無しにしたり 人間関係を失ったり、強欲になったりするのは、それぞれ個人が作り上げたストーリー。

お金そのものは むしろ生活するうえで非常に便利な物。
真面目に働けば 当然手に入り 手に入れば生活できる。
運よく昭和の時代に生きた父は、それを身をもって証明していました。
そんな父は こうしてお金を受け取る姿を子供たちに見せることに対して なんの躊躇もなかったのではないかと思います。

実際 子供の私にとって、お金はそれほど意味のあるものではありませんでした。
そのお金を見ても欲しいとは思いません。なぜなら 自分が使えるお金はこのお金ではなくて、月々もらうわずかなお小遣いだと知っているからです。そこに不満はありませんでしたから。

ただ、両親が働くことによってお金を得る、そのお金で自分たちが生活している事は理解しました。

お金があるから物が買ってもらえる、お金がないから買ってもらえない
という事もありませんでした。
物を買う基準は ”必要かどうか”。
厳密にいえば父が必要と認めるかどうかによって 買い与えられるものが決まっていました。

当時は欲しいものが買ってもらえず、悲しい思いをしたこともありました。
でも今は、父のやり方があながち的外れではなかったと
子育てやいろんな経験を通して 思うに至っています。

最後まで読んでくださって ありがとうございます💗


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