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オリジナル漫画

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58才、アラ還で始めたマンガ描き。液タブ使うのも、悪戦苦闘しながら、一つ一つ習得。子供のころから、大好きだったマンガを、今こうして描いているなんて、夢みたい💛
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#私の作品紹介

【ショートマンガ】私の心の傷、そして自分の子どもはシュタイナー学校へ

自分に行動力がないとか、積極性がないこと。 この年齢になれば自己評価ができるようにになります。 それをあえて指摘することに 何の意味があるでしょう。 しかし、私はこの先生に何度も指摘されました。 この時も含めて。 特にこの先生は ”率先”という言葉を モットーにしていたので、 私のような生徒は それに反するわけです。(古めかしい言葉ですが) そもそも、この”率先”という言葉は強制的でせかされるような感じがしてなりません。 子供達が率先して行動することによって、喜ぶのは大人

【8コマ漫画】自慢したかった先生、でも残念

まさか お経を知っている生徒がいるとは 先生も思っていなかったでしょう。 先生は、不機嫌になると沈黙します。 先生の沈黙をよそに、子供達で適当にワイワイやっていました。 もっと、気に障ったかもしれない。でも、そんなことお構いなしですよね、子どもって😆

【ショート漫画】承認欲求を満たすための仕事、教師。そんな先生もいた。

当時はコピー機はなかったので、印刷物はガリ版で書いていた。 小学校5,6年になると、グループごとにガリ版で新聞を作ったりもした。 ガリ版で書くことが、なにか大人になったような気がしてうれしかったのを覚えている。 そのガリ版印刷で生徒の作文を毎日印刷してくれたのだから、先生頑張ったね~と、言いたいところだけれど。 私は、この先生が褒めるほかの生徒の作文に 感動もしなければ、共感もしなかった。優等生的な、健康的な作文が褒められていたように思う。正直、つまらなかったし、うんざり

始めると楽しくてやめられない、編み物

北海道の長い冬の間、母は いつも編み物。 冬に暖かい靴下や手袋は必需品でしたから、家族の分を、何足も編んでいました。 子供は自分の家庭しか知らないわけですから、私は母親というものは 編み物をするのだと思っていたのです。 実際、母方の祖母も 手芸が好きな人でしたし。 当時は、物も大切だったし、お金も大事。自分で作れるものは作って、なるべくお金をかけないという意識はあったと思います。 でも、この毛糸(当時はまだウールが主流、アクリルはもう少し後に出回る)は お店で買って

母はきれい好き、そして起きた 恐怖の出来事

母は とてもきれい好き。 だから うるさく飛び回るハエが気になったんでしょう。 私が4歳の時に建てた家は、汲み取り式のトイレ、ボットン便所というやつ。当然ハエがわきます。 不思議ですが、ハエが多くわく時期とそうでない時期がありました。ハエも動物と同じように繁殖に適した時期があったんでしょうか。 さておき、ハエが気になった母は殺虫剤を使ったんです。 私が玄関から、外に出た時 悲鳴も上げられず、飛び上がってしまいました。地面を埋め尽くすように、何かうごめいているんです

【4コマ漫画とエッセイ】初めてマフラーを編んだ

母とゆったり過ごした時間 家は農家でしたから、春から秋までは両親とも忙しく働いていました。 もちろん日中は家の中にはいません。 冬の間だけ、昼間も母と一緒にいられたのです。 編み物をする時間は、ゆったりと母と過ごした貴重なひとときでした。 私も編み物を始める 母は、徹夜してしまうほど編み物が好きでしたが、その影響で、私も小学生になると 編み物を始めました。 私専用に、かぎ針と毛糸を用意してくれて、私も いつでも好きな時に編み物ができるようになりました。 始めは、

【4コマ漫画 北海道の生活】#29 &私のマンガを描くプロセス

漫画のプロセス 今日は、私の漫画を描くプロセスを紹介します。1,まず、アイデアになる 言葉を 箇条書き。 2,そして、このように”ラフ” らしき、下絵の下絵を 使用済みのコピー用紙に描きます。👇 だいたい いけるかなと思ったら、 3,次にポーズや背景、物などをネット検索。大まかに正確に形をとらえます。 4,クリスタで描き始めます。 しばらく、このテーマで描き続けようと思っているので、クリスタEX のマンガ設定にして ページに描いていきます。 今日は 29個目の 4

【4コマ漫画 昭和の北海道】#30 ある楽しみ

姉から聞いた話をもとに 実は 私は父が入院していたことを覚えていません。 4才くらいでしたから。この話は、最近 2才年上の姉に聞きました。 バスを降りて、病院まで歩くのが寒くてつらかったこと、売店の牛乳を飲むのが楽しみだったこと、牛乳のフタを開けるためのピンが、珍しかったこと。 テレビに映る世界へのあこがれ この父が入院していた病院の記憶は、私にはないのですが、子供の頃 牛乳のフタを開けるピンに、とてもあこがれを持っていたのは確かです。 家ではビンの牛乳は飲みません

【4コマ漫画 北海道の生活】#31  子供って、とても傷つきやすい

リンゴ畑にカエルが 私の生家は水田農家でしたが、家で食べるための リンゴと梨の木の畑がありました。 リンゴ畑の草むらで 見つけたカエル 🐸 やっとつかまえて 誰かに見せたくてたまりません。 いとこ姉さんに見せると、意外な反応 父と母は、田んぼの向こうで仕事をしていて、つかまえたカエルを見せに行くには遠すぎます。 そこで、国道を渡ってすぐの 父方の本家にいる いとこのお姉さんに見せてあげることに。 得意になって、つかまえたカエルを見せると、 彼女の反応は、私にとって と

【4コマ漫画 北海道のくらし】#32 ”おいしかったー”カボチャの記憶

何を食べてもおいしかった  子供の頃は、食欲旺盛で 何を食べてもおいしかったし、いくら食べても太らない 幸せな時代。 当時は、近くの農家に 同年代の子供たちが たくさんいました。 たまたま、その子たちが家に集まった時、大鍋に塩ゆでしてあったカボチャを おやつに。 カボチャは 時期になると ごろごろ採れるので 煮る時は、惜しげもなく 一個か二個 丸ごと使っていました。 たぶん、両親は そうして作っておいたものを、農作業の合間のおやつにしていたのだと思います。 その作り

【4コマ漫画】#33 子供より親が未熟なことは よくある。

父も大変だったのかもしれない、でも、、、 私の生家は農家でしたが、父は 時間のある時は いろんなことをしていました。 倉庫を建てたり、庭の手入れをしたり、、。 もしかしたら、この慣れない大工仕事は父にとって、大変だったのかもしれません。 しかし、どんな理由があったとしても、こんなしかり方はないでしょう。 曲りがねを知らなかったことは、私の罪でもなんでもないのですから。 ”怒りっぽい、人を責める” は 精神的に未熟だから 曲りがねを使いたい時に、それがすぐに手に入らなか

【4コマ漫画】心に残る原風景 北海道、雪の結晶 静けさ 止まった時間

北海道の雪は、結晶が見える。 北海道 東部は気温が低いので、降ってくる間に溶けることがない。 だから、団子のような雪にならずに、結晶ひとつ一つがそのまま降ってくる。 フワフワと軽いまま、舞うように。 軽く 舞い落ちてきた雪は、手にのった時の衝撃がないので、結晶の形がそのまま。 それ以前にもずっと、雪を見てきたのに、結晶を見たことはなかった。 理科の教科書を通して、雪の結晶を知ってはいたけれど、 それは、顕微鏡を使わなければ 見ることができないと思っていた。 ”へ~、

4コマ漫画 東京旅行-何を着るか?重要な問題!?

50年前、北海道の果てから東京旅行。 何を着ていくかは、大きな問題。 なぜなら、北海道と東京の冬の寒さはケタ違い、服装も全く違います。 今でこそ、カジュアルな服装が旅行スタイルの主流ですが、 当時は 出かけるときには きちんとした身なりでという感覚でした。 母と私たち姉妹は 冬用の上着はアノラックしかない!! 父は、サラリーマンをしていた時期があって、それなりの服を一通り持っていましたが、 母と私たち姉妹は 冬用の上着はアノラックしかありません。 さすがに いつも着て

4コマ漫画 北海道から東京へ ドキドキ車内販売

車内販売 北海道をつらぬく ”特急おおとり” の列車内を行ったり来たりする車内販売。 駅弁、サンドイッチ、ホタテの貝柱など、いつもは食べないものが、ぎっしりと積まれていて、次々とお客さんが何か買っています。 それを見ていると、どうしても何か欲しくなります。 ”買って―” ではなく ”買わないの?”と聞く。 でも、私たち姉妹は、”買ってー”と、両親に駄々をこねる習慣はありませんでした。 買ってほしいと言っても、買ってもらえないことは 何度も経験していましたから。 だか