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オリジナル漫画

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58才、アラ還で始めたマンガ描き。液タブ使うのも、悪戦苦闘しながら、一つ一つ習得。子供のころから、大好きだったマンガを、今こうして描いているなんて、夢みたい💛
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記事一覧

生れて初めて、歌を作ってみた(^-^; 【ハサミムシの歌】

9月からはガーデニングに忙しく、その上 血迷ってyoutube を始めたものだから、note の記事が全く滞っていました。本当はnoteを描くのが大好きなのに。 今日は 自作の歌を紹介。 私はピアノも習ったことはないし、特別な音楽教育は受けていない。でも、歌謡曲が好きだったので、1970年代の歌謡曲なら、ほとんどすべて口ずさめる。そのくらい、歌は好きだった。 小中学校の音楽の知識、そして実家には電気オルガンがあったので楽譜を読んで鍵盤を両手で引くことはできた。 そんな限

昭和の北海道で コミックエッセイ【500円札でお買い物】& 文【春はガーデンの季節】

50年以上前の北海道。 500円はコインではなくお札でした。今では、ワンコインと言って、500円が安いというイメージですが、当時はそうではありません。 お札の500円は、今よりもずっと高い価値に感じられていました。 そんな大切な500円札を私にくれた伯父。 まさか本当に4歳の私が買い物に出かけるとは思ってもいませんでした。 道順としては単純でしたが、国道わきを歩かなければありません。今のように国道に沿って舗道もありません。 余談ですが、この国道わきの路肩を自転車で通学し

昭和の北海道で コミックエッセイ【悪ガキ】& 【いじめについて】

昭和の北海道、50年以上前のこと。 私が小学1,2年の頃だったと思います。 私が泣き出すと男の子たちすぐにやめたので、たった数分のことでしょう。 私はその時、いじめられていた女の子を見てかわいそうだとは思いましたが、泣くほどのことではないと内心思っていました。けれども、いざ自分がされてみるとものすごい恐怖でした。二人の男の子に抵抗できませんでしたから。 自分が同じような目にあってみないとその感覚は理解できないものですね。いじめる人はもちろんいじめられる人のことなど考えな

昭和の北海道で  オリジナル漫画【お月さん】& エッセイ【親ができること】

50年前の北海道。 母方の祖父が直腸がん入院していた隣町の総合病院。 その帰り道は、いつも真っ暗。 厳密に言うと、日はすっかり暮れていたけれども月と星は光っていた。 ”月が一緒に走って見えるね~”と姉と話していた。 本当に月が走ってついてくる。 私の実家は農家で、家の周りはほとんど真っ暗。家の明かりが点のように見える場所だ。月や星をさえぎるものは何もない。 病院の帰り道は、子どもの私が思いにふける時間がたっぷりあって誰にも邪魔されなかった。 もし、私が今もなお想像

昭和の北海道で 【庭でバドミントン】 オリジナル漫画

50年前の北海道。 こうした娯楽も一般的になってきました。 倹約家の父でしたが、何を思ったのかバドミントンセットを買いました。 とはいうものの、私の家は農業だったのでいつもは忙しい。こうして四人で遊ぶことは珍しいことでした。バドミントンの記憶が鮮やかに残っているのは、きっとそれがめったにない家族の時間だったからに違いありません。 北海道の土地は広いとはいえ、庭の中央にある広場のようなところは、ギリギリの広さ。特にプラスチックの羽を使った場合は良く飛ぶので、うわーと背中が家

昭和の北海道で 【放送委員の仕事】 オリジナル漫画

昭和50年頃。 北海道の小さな町の小学校で、放送委員になりました。 放送委員は 女の子に人気があって4人が立候補。 運よく選ばれました。 当時は大きなリールのテープに朝の音楽が録音されていて、それをセットして流し、朝の時刻をアナウンスするのが仕事でした。 初めての朝の担当の日、思わぬ大失敗。全校生徒に聞かれたかと思うと、穴があったら入りたい気持ちになりました。 こんなことは自分は覚えているものですが、他の人は誰も気にしていないし、覚えているはずもありませんね。  恥

昭和の北海道で【かしこい猫】オリジナル漫画

50年以上前の北海道。 私と姉、そして母は動物が大好き。 でも、父は犬や猫をかわいがることがありませんでした。 私たちは 猫や犬を家の中に入れて飼いたいと思っていましたが、父は許してくれません。そこで、二階の自分の部屋で、こっそり飼っていました。 猫ドアという便利な物はないので、部屋の中に入った猫たちはトイレがしたくても自由に外に出ることができません。 猫トイレを部屋に作るという発想は全くありません。一歩外に出ればそこいらじゅうが猫トイレになりうる土がありましたから。

昭和の北海道で【給食のパンが残ったら】オリジナル漫画

50年以上前の 昭和時代の北海道。 食べ物を粗末にしないのは当たり前でした。 学校給食の主食はたいていはコッペパン。ジャムは イチゴや マーマレード、味噌ピーナッツもありました。 時々出されるカレーラーメンやカレーうどんはみんな大好き。 牛乳は北海道という地域性もあるのかもしれませんが、ビンや紙パックではなく アルミのカップに一人一人ついでいました。 私は基本的に好き嫌いはなかったので、何でもおいしく食べていましたが、全部食べきれずパンを残すことがありました。 残ったパ

昭和の北海道で 【どんぐり拾い】オリジナル漫画

昭和40年代、私は北海道東部の小さな町の小学校に通学。 ある日、木の実を拾いにクラスで出かけました。 かぶっていた体育帽子の中に どんぐりの実を入れていきます。 たくさん拾ってそのまま学校に持ち帰り、中をのぞいて見ると白い芋虫がうにょうにょ。 芋虫、毛虫、ミミズ系はとても苦手だったので、あわてて放りだしました。 どんぐり拾いと言えば、ただただ この虫の恐怖が真っ先に思い出されます。 そんな私が母親だったせいか、息子達は大の虫嫌い。彼らが小さかった頃は、ハエこわ~~いと

昭和の北海道での素朴な生活【折りたたみ傘】 オリジナル漫画 

およそ50年前の 昭和の北海道の生活です。 道東の小さな町で 4人家族の次女。 両親は農業を営んでいました。   戦後は終わったとされる時期で、家電も一通りそろい、自家用車も一般的。明日の生活に困ることもありません。 でも、物があふれて捨てるのに困るという今のような時代でもありません。 次々と出回る 便利な物。 周りの子どもたちの持ち物も変わっていきます。 私の父はとても倹約家でしたから、使えるものを捨てることがありません。 新しいものを買うときは 3度考えろ、と言ってい

オリジナル漫画 【大根洗い】

私の育った50年前の生活の一コマ。 親に言われてしぶしぶ大根洗い。 今思い返すと、 なんでも命令調な父に対する反感、手の冷たさよりも 大根の白さが記憶に残っている。

オリジナル漫画 【お父さん、テレビに出る!!】

わたしの育った昭和の時代。 北海道の小さな町で、親子4人の素朴な生活。 悲しいこと 嬉しかったこと つらかったこと 楽しかったこと 家族だけの秘密の空間。 私の記憶に色濃く残る 家族とのかかわり。 特に、幼少期の記憶は 年をとっても あせることがありません。 懐かしさが強くなる分だけ もっと鮮やかになっていくようです。 きっと、 もう決して戻らない過去に対して それが美しいものだったと思いたいのかもしれません。 **** 私の経験を 思いつくままに ランダムに描き 

【オリジナル漫画】 看護婦という仕事

看護師を退職23歳で、2年続けた看護婦の仕事をやめた。 解放感しかなかった。 挫折や屈辱感、コンプレックスは それまでに十分満喫したから やめる時は すっきりと ”婦長さん、やめまーす”と 笑顔で。 どうしても自分に合わない仕事、 または 職場環境はある。 私の過去7回の転職は そのたびに教訓を与えてくれる。 ”石の上に3年もいる必要はない。” ”石の上にも3年” と、昔の人は言ったけれど 3年も我慢する根拠は何? 私はこの職場を2年続けたけれども、 2年も我慢す

オリジナル漫画 【私が専業主婦になるまで】 

私は過去に8か所の職場を経験しました。本当に、いろんなことがありました。 子育ても終わっている今は、専業主婦というよりリタイアメントと言った方がいいかもしれませんね。 かなり簡略化したマンガです。おいおい、私の職場経験などを紹介できたらと思っています。