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写真と時間とは

昨日は春らしい天気で、ちょっと期待した気分だったのに今日になったらまた冬っぽい冷え込みで、起きてから1時間も布団から出られなかった。
春は、誰でもそうかもしれないけど、無性に写真が撮りたくなる。何か新しいことが始まる予感がして、外出している人たちが皆どこか浮き足立って見えるから見ていて面白いし、こちらもつられて気分がノってくる。

桜が咲いた、散ったで一気一憂するのも気持ちがいい。
起源を調べてみると花見は奈良時代から行われているらしい。(花見=桜となったのは平安時代)その頃は神事としての意味合いが強かったらしいが、あの淡い色の花びらが一斉に咲き誇る様子は昔の人からしたら今よりも「忍の季節が終わったんだな。。」という安堵が強かったんじゃないか。
今では花見は「集まる」ことが目的になっているけどまあそれはそれでいいじゃないですか。人は昔から今でも事あるごとに酒を飲む機会を作ってきたんだから。
早く春の暖かさが来てほしい。。


そんな話はほっといても勝手にくるので置いといて、写真の話です。

写真を語る上で一番最初に言われるのが「なに撮ってるの?」ってことです。
この場合の「なに」は、ほとんどの場合「被写体はなに」の意味で聞かれる事が多い。その場合、「人物」とか「モノ」「街」とか「動物」とか、もっと漠然と「自然」とか、分かりやすくカテゴリー分けされた領域の中で語られようとする。
言うまでもないけど、写真にはそこにはカテゴライズできない作品もたくさん存在するし、被写体で分けられないものも多い。

たとえば「"時間"を撮っています。」と突然言われてもどんな作品か全く想像がつかないし、概念そのものを撮ることは不可能だからなにかと被写体が必要になってくる。(例外を除いて。写真表現の中には被写体を必要とせずに光だけを使ったり印画紙の紙だけを使った作品も存在します。)

その場合、「時間」というものを表すために何かしらの被写体をただ"装置"として写真に写すことになる。でも、写真をまだ見てない時点でその作品について話したとするとその「被写体」の側のカテゴリーになんとなく分けられてしまうようなことが多い気がする。
特に、今まで写真ばかりやってきて、それ以外の世界は何も知りません。写真バカですから。みたいな人はほとんどこの「カテゴリー分けされた写真」の中で語ろうとする印象がある。(あくまで個人の印象なのでそんなに深く考えてません。)


このあとに実際作品を作る時、じゃあ「なにを撮ろう?」ということになる。
その時、さっきみたいなカテゴリー分けされた「被写体」の中で写真を考えると、当然撮るべき被写体を探すとこになるし、運良くそれが見つかる場合はいいけど、
もしそれが見つからなかった場合は、「なにを撮ったらいいか分からない。」という状態に陥る。

でも、何を撮ったらいいか分からない場合は、「とにかくなんでもいいから撮り続けろ。」というのが一番写真らしい態度なんじゃないかと思う。
毎日外に出て違う被写体撮りまくってもいいし、毎日同じもの撮り続けてもいい。

例えば、カール・バーデンっていうアメリカの写真家は25年間自分の顔を撮り続けたその変化によって作品になったし、リー・フリードランダーもセルフポートレートや家族写真を何十年も撮り続けてそれが素晴らしい作品になっている。
日本では我らがアラーキーなんてずっと同じ場所からの空とか街の路地とか、猫とか被写体は違えどずっと同じものを撮り続ける。


これらは一枚だけ見せられても、ただの何の写真でもない。(もちろん何の意味も持たないわけではないし、本物の表現者なので1枚1枚も素晴らしい写真だけど、話を分かりやすくする為にそう言わせていただく)
しかし、それを何年、何十年単位の幅をもったものとして見せられると急にそこに大きな意味が出てくる。それを勝手に想像するのはこちらの見る側の人達だし、その解釈の大きさは人それぞれだけど、そこには確実に「時間」っていうものが発生する。

写真は「時間」と親和性が高いメディアだから、ある程度の長い時間をもったその「流れたもの」を表現するのはすごく得意なのだ。
だから、何を撮ればいいか分からないなら自分の身の回りにあるもの、なんでもいいからとにかく撮り続ければいい。考えながらでもとりあえず一つ続ければいい。
家族でも、自分の顔でも、通勤路でも猫でもいいけど、しつこく異常なほど撮り続けたら何かにはなる。
それらは一枚だけでは、またあの「カテゴリー分け」された写真のどれかに収まってしまうけど、日々過ぎていく毎日の幅を持つことでそこに「時間」が出てきたり、「愛」になったり「生きる」になったりするものだ。
普段接することの多い、消費されていく写真、一目見た時のビジュアル的強さを目的とした視覚的強度の強い写真、そういうものとはまた違う意味を持った写真。

写真に限らずそういう表現の仕方ばかりではないけど、そういう写真もあるよ。というお話です。
考える前に撮ればいいよ。










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