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過去を引きづって

「過去は変えられない」

よく耳にします。
過去起こった事実は、単なる情報として(出来事として)それは確かに変えられないし、その瞬間に戻ることはできないでしょう。

しかし、自分自身が経験した「過去」っていう時間や事実は、
現在の自分が認識して解釈した「過去」っていう思考の片隅みたいな空間だと思っている。

「現在」っていうのは過去の積み重ねでしかない。
当たり前すぎる動かせない事実。

いつの瞬間も、そして今この瞬間も、
他にあったかもしれない無限の可能性の中から何かを選択して、
その選択の連続で一つの時間を生きている。
一つの時間を生きているけども、その時間や認識の仕方とタイミングは100人いても全員が違う時間を感じながら生きている。

「振り返るな」「前を向いて進め」
とはよく言われる未来型の言葉だけど、この言葉をそのまま表面的に受け止めることはどうしても何か違う。

自分が選択して、今もどこかで必ず影響している過去を捨て去って生きることなどできるだろうか?
そんなことは絶対不可能だと思う。
記憶を喪失でもしない限り、過去はこれからも自分から離すことはできないし、
死ぬまで影響を与えつづけるだろう。
もっと広い空間でみれば、社会や地球で起きていることのすべては過去の蓄積であって、それはこれからも影響を与え続けて永遠に続くもの。


現在の自分が話す言葉も、性格的な性質も、環境も、歩き方ひとつとっても、
過去自分がどこかのタイミングで影響を受けたことが膨大に積み重なってできた建築物のようなもの。

それは、人が作る形式に基づいた左右対称な建築物ではなく、
「自然」の世界でいつでもたんたんと続くもっと流動的な非対称的な建築物だ。

それは形を変えながら次々と生まれ変わっては消えていく。
影響を受けることでその瞬間の性質や形が現れる「水」みたいなものだろう。


過去は捨てられない。
捨てようと思って捨てられるものではなく、忘れることで認識できる空間からいなくなったように錯覚できるもの。
それはまた夢で突然ボコっと出てくるものかもしれないし、
そのまま深く見えないところで静かにしているかもしれない。
しかし、本当にきれいさっぱりリセットボタンを押したように消えてなくなることは絶対ないだろう。
過去は現在のすべて。

「過去」という思考と時間をどんどん膨らませながら、それをズルズル引きづって生きていくしかない。
それは自然なことだろう。
いつか死ぬ時にそこにできた、自分の周りの建築物の重さが、
その人の人生そのものではないかと思う。



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