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ハンドブレンダー

ショートショート 840文字 

 下の子の離乳食の為にジャガイモとブロッコリーをハンドブレンダーで潰していると、また急にあの感覚がやってきた。私は慌ててブレンダーから手を放して後ずさりをする。手のひらと背中に油のようにぬるぬると生暖かい汗がにじむのを感じた。生後半年を過ぎた娘と、その妹にガラガラを振ってあやしてくれている四歳の息子のところまで行って私は息子を抱きしめた。どうしたの、と聞くのでなるべく普段通りに何でもないよ、と答えて笑顔で顔を覗き込む。うん、いつも通り笑えたはずだ。

 数ヶ月前から、突然自分が操り人形のように見えることが起こるようになった。私の意識が少し後ろにずれて体からはみ出して、自分が何かに操られているのが見える気がするのだ。それはいつも突然やってくる。お皿を洗う泡を見たとき、浴槽の排水溝に流れていく水の渦を見たとき、そして今日はブレンダーで混ざり合う野菜を見ていたら起きた。自分が自分で無いように感じるのは一瞬で、そのあとは紛れもなく自分のものとして不快感が残るのだがなんとも不気味で仕方がない。
 ネットで調べると離人症や現実感消失症などと出てきたがどちらも極度のストレスに起因するとのことで私には当てはまらないように思うが、何度も起こっているので一度カウンセリングを受けたほうがいいのかもしれない。しかし夫に「私強いストレスを感じているかもしれない」と説明するのは気が引けた。周りの話を聞く限り夫はかなり家事育児に協力的な方だと思う。繁忙期で仕事も忙しいところに、実は私強いストレス感じてますとは言い出しづらい。

 そもそもこんな気持ちになったのは少し前に夫に勧められたソラリスとかいうSF小説を読んでからなような気もする。あんな変な小説を子守で忙しい私に渡すのが悪い。きっとそうだ。

 十秒もせずに気分は良くなった。よろしくねお兄ちゃん、と息子に声をかけてキッチンに戻る。台の上で銀のボールが待ち構えていた。混ざり合った野菜を睨みつける。大丈夫。
 私はハンドブレンダーのスイッチを再び押した。

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