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魔術師とゴーレム

「甲様、ちょっと」
詠唱を中断して振り返る。
乙がいるのはテラスのはずだが、伸び放題になった草花のせいで庭に出ているようにも見え、彼女の立っている場所は特に花が密集している。テラスに伸びてきたものも含めて全て一からやり直そうと思っていたけれど、あそこはそのままでもいいかもしれない。あとで伐採用魔法陣を書き直す必要があるだろう。
「『様』は要らないって」
と言うと、はっとした様子を見せ、申し訳なさそうに肩をすくめる。それも注意したかったが、するとさらに落ち込みそうなので、やめておいた。
色々試してみたが、ゴーレムのこの性質だけは変わりそうにない。
乙に近づき、差し出された人差し指を見る。
第一関節から先がなくなっている。
「指先は鍋に落としてしまって。作り直しになるので定刻には間に合わなさそうです」
「いいよ。今日は一緒に作ろう」
手をとり、呪文を唱える。正常に発動したことを確認する紋章と共に、手全体にかけられた呪文が可視化される。数百数千という文字が列をなして、乙の手に絡みついている。
いや、「手に」絡みついているわけではない。「手に」呪文がかけられているわけでもない。呪文を元にしてこの手が出来上がっている。呪文を取り払えば、この手はただの土くれでしかないのだ。自分で編集を加えてきたにもかかわらず、そんな当たり前のことを忘れてしまう。
手に顔を近づけて、呪文の読み取りに集中する。
乙の身体はこの瞬間も稼働しており、中枢からのフィードバックによって、文字列は波の満ち引きのように揺れる。息遣いのようにも見える。
どの種類の呪文をどのように組み合わせたか記憶を辿り、どの呪文とどの呪文が食い違ったのかを確かめていく。ぼんやりとしていた欠陥が輪郭を帯びてくる。
「代わりの土だけど。なにか好みのものとかある?」
「いえ。お気になさらなくて結構です。あ、より精密な動作が可能になる土質のものであれば」
「あなたの好みのことを聞いているの」
どうにも強い言い方になってしまう。もしかするとこの言い方自体が、乙が道具や人形の領域から脱することを妨げているのかもしれない。
脱する?
自分の考えに驚く。
そもそも最初は道具として作ったのだから、こういう気分になることの方が異常なのだ。
造られたばかりの乙の姿を思い出す。のっぺりとした、土でできたマネキン。そこに虹彩の収縮を疑似的に再現した瞳や、人間を模した挙措が足されていった。全てその場その場の必要に応じて付け加わっていったものだ。なのになぜなのだろう。
「そうでしたら」
私は我に返る。
「こちらで補っていただけないでしょうか」
そう言って、足下を指す。
「いいの?まだ時間があるから街の方にひとっ飛びして買ってこれるよ?」
「いえ、そういうことではなく」
彼女の説明を聞き、修復にかかった。

鍋をかき混ぜる乙の指先で、淡い青色が揺れている。指の中には貯水嚢も作ったので、すぐに枯れてしまうことはないし、枯れたとしても植え替えればいい。
「とても綺麗だったので」というのが乙がその花を選んだ理由だった。
交配が行われたからだろうか、他の場所では見ない種だった。それがアクセントになって乙の指の動きのなめらかさが際立ち、美しく感じられる。
ふと頭痛を感じた。久しぶりに頭を使ったからなのだろうか。
乙の身体はいわば、場当たり的に増設されていった呪文の継ぎ接ぎだ。だから、ときたま、呪文の間で干渉が起こり、昼のようなことが起こる。呪文の複雑さは昔はそうでもなかったが、最近は頭が追いつかなくなってきている。
「あ」
と驚いたあと、火を消して駆け寄ってくる。
今度は鍋から逸れたので作り直しになることはなかった。
「だから、そう遠慮がらなくていいんだって」
申し訳なさそうに小指の断面を見せる乙に言う。
「今度は何がいい?」
そう尋ねながら庭に目を遣る。
不意に、乙の四肢に花が咲き、彼女の身体が色とりどりの花びらに覆われていく光景が脳裏を過った。
「どうしました?」
声をかけられて、頬に滴が伝っているのに初めて気づいた。
「なんでもない」
そう言いながら、彼女の小指を手にとった。



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