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Please Calm Down a Little

空が斜めに裁断されていた。
端末であればそこで画面が破損しているかのように断ち切られていた。言い換えれば、そこから先は「語る」必要はない、というように「オチ」を付けられていた。
「綺麗にオチてねえなあ」
オチ。話の結末とか、クライマックス。読者がそれを境に物語から関心を失っていく特異点。
—世界を、それを認識する者にとっての物語、と捉えてみましょう。器官を通して得られる感覚情報を題材に、即興で書かれる物語、と。物語だと劇的過ぎますね。落語、小噺くらいにとどめておいた方がいいかもしれません。
「空が欠けていたって困らないだろう。他の物もそうだ。オチがついてしまっている以上、誰もそこから先の欠損には注目しないし、する必要もなくなってるさ」
事態の張本人の癖して、この余裕と来る。
—さて、世界を小噺として捉えた場合、世界の側で小噺の「オチ」に当たる部分はなんでしょうか。考えてみれば、オチというものは不思議です。なぜ特定の文字列や身振りがその物語の終端として成り立つのでしょうか。
俺は相棒を少し苛めてやることにする。
「やめてもいいんだぞ。俺たちはもうあと二、三世紀もすれば滅びる。どうせ終わる世界なら、その中の住人に好きにオチを付けさせとけばいいじゃねえか。それをどうしてわざわざ修正しようとする?」
—オチは、ものの輪郭です。この筆、この机のように、世界を構成するエピソードやシーケンスという小さな物語を他の物語と区別するために付与されたオチ。では輪郭とは?それは物の存在と非在を分ける境目です。
—もし、オチを認識する様式を抽出し、一種の文法として形式化することが可能だとすれば?つまり、任意の文字列、延いては言語にオチとしての役割を付与させることが可能だとすれば?この場合言語というのは、世界全体を指すことにご注意ください。
「語られえなかったものがあるからさ」
その言葉を合図に俺達は摩天楼から飛び降りる。

【続く】

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