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人間は二つの足を地につけて歩む生物なので足の怪我は大変らしい
怪我って痛いし大変。
それはそう。
トイレットペーパーホルダーに肘をぶつけたり、紙で指を切ったり、ヘアアイロンでおでこや指をやけどしたり、怪我というものは生きている中でよく私に会いにくる。
今回は、直近出逢った怪我や、今まで怪我を中心として考えることについて書いてみようの回。こんなことTwitterなら「怪我して足痛くて草(※添付写真参照)」で終わるのにね。ではいってみよう。
怪我と私
言われてみれば怪我と向き合ったことないな~~と思った。新鮮な気持ちでメモ程度に書いてみる。
小学生時代
怪我したい!!!!!
松葉杖!!!三角巾!!!!使いたい!!!!
絆創膏だけじゃ格好悪い!包帯巻きたい!!!
そんな時期。
実家で褒められることも話を聞いてもらえることも少なかったからなのか、自分の体調が悪くなれば大人は気にかけてくれるのかなと考えていたのかもしれない。
そういう背景もあってなのか、怪我とは関係ないが、保健室で熱をはかるときもホッカイロを脇に挟んで体温調節していた。38℃を目指すのがこれまた難易度がとても高く、初めのころは40℃を超えてしまうこともあった。
授業中に机から落ちて倒れて怪我したら面白そうだなと常日頃から考えてはいたものの、6年間勇気が出ず断念。
一番思い出に残っている怪我は、タイヤ跳びの遊具で遊んでいたときのことだと思う。本来であれば跳び箱のように両手をついてタイヤを跳ぶ遊びであるが、私はタイヤの上に立ち、跳んで遊んでいた。そのとき、踏み外して顔から落下し、鼻の下を切った。鼻血に対して憧れを抱いていた(今も鼻血出たことがなくて憧れはある)ので「やっと私にも鼻血がきたか!!!!」と舞い踊っていたが、切り傷だけであった。残念メモリー。
中学生時代
松葉杖、三角巾には憧れはあったものの、自分が実際に使用する場面に直面しイメージがあまりよいものではなかった。授業中に机から落ちて倒れて怪我したら面白そうだなとは引き続き思ってはいた。怪我は単純に痛いし生きるのが難しくなるなという印象。怪我はできればしたくないなという思いに変化した。
思い出に残っているのは三つ。
一つ目、鎖骨骨折。
体育の授業でマット運動の準備運動で後転したときに折った。
準備運動とは・・・?
二つ目、右手打撲。
飛騨高山旅行のときだった気がする。初日は乗鞍岳を登って大変だったけれど頂上で食べたカロリーメイトの味は今でも覚えているくらいには達成感と景色がすごかった。その旅の二日目、高山にいったとき、写真係だった私はカメラをどこかに忘れてきて走って戻った。トレッキングシューズだったのでいつもより少し重量があった気がする。走ったら靴紐がほどけてその紐を自分で踏んで盛大に転倒。そう、走る靴ではない。痛かったね。
三つ目、右足捻挫。
雨上がりの校庭で体育の授業、種目はサッカーだった。
その年、ちょうど体育館の耐震工事で水はけのためなのか、グレーチングが校庭にあった。雨で濡れた金属の上にボールが転がり、そのボールの上に乗ってしまった私は見事転倒した。何かが切れるようなすごい音がして涙がとまらなくなり、一歩も動けず視界が真っ暗になった。担架で保健室に運ばれたのか覚えていないけれど、中学校のすぐ向かいにあった附属病院に救急車で運ばれたのは覚えている。救急救命士さんの「意識ありますか?」にコンマ1秒ほどで「はい」と即答した。そんなサイレンもならさないでくれ・・・と思うくらいには恥ずかしかった。その年、鈴鹿サーキットでエコカーの全国大会があったが、シュラフに入れないため参加することができず、とてもさみしかった。
残念メモリー。
高校生時代
怪我はしたくないなという気持ちは継続し、怪我をしないようにと細心の注意を払うようにもなった。
怪我という怪我は、通学途中(自転車)、自動車にはねられて打撲したくらいかな。転び方が上手くなった気さえした。
残念メモリー。
大学生時代
一年生のとき、単独事故で骨折。
以上。
25歳現在
通院するにも有休と医療費といろいろ面倒なことが多いし痛いし、良いことない。健康体が一番。身体は資本。
今回の怪我について
経緯
私は今、東北地方で暮らしている。実家は長野県。
私は実家は苦手だが長野県が大好きなので、まとまった時間ができると良く帰る。(実家がある場所だから帰るべきところという表現も好きではないので "訪れる" が適当かもしれないが)
今年5月の連休も従来通り訪れることにした。
5月4日、大学のサークルのOB会(個人的とてもとても嬉しかったイベント)が開催されるということで街に出ることにした。私は家からさほど最寄りとは言い難い距離の最寄り駅まで歩いていた。
イタアアアァァァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアイ!!!!!!!!!!!!!!!!
同日12時27分、私は厚底のマーチンで足を盛大に挫いた。
本当に痛かった。生を感じた。私も人並みに生きているらしい。
痛い…痛い……とぼやきながら私は目的地に向かった。
足を引きずりながらも何とか移動はできる程度だったので、骨折はしていないだろうなと感じていたし、何なら半日も経てば痛みが引くだろうと思っていた。
痛みは引かない。
足はぷくぷくに腫れて、クリームパンみたいだった。クリームパンって美味しいよね。
翌日5月5日、私は東北に戻る予定だった。偶然にも兄と母が日光東照宮に行きたいと言っていたのでついでに家まで車で送ってもらった。因みについでという距離ではない。さっきの最寄りとは言えない最寄り駅が最寄りだなと実感するくらいには、ついでに送っていくよの距離ではないが、歩くことも辛かったので正直大変助かった。
家に着く前に整形外科に通院した。祝日なのに人間働きすぎではと思ったが、これにも大変感謝。
見て触った感じ、医者からは割と(骨折)黒ですね~~と言われたが、折れるなくっついていろと思いながらレントゲン室に入った。祈ったところでくっつく訳ではないが最後の祈りだった。
診断結果は、多少のヒビと足関節捻挫と靱帯損傷。
言われてもよくわからなかったが、痛いのだけはわかる。
東北に家族なし、友人なし、車社会の右足損傷、生きるのへたっぴだなと思いながらも、乾麺や即席スープを買って家に帰り、家族は栃木へと去った。
早く治れ~~~!とお祈り。
![](https://assets.st-note.com/img/1715164618339-O3QNIWmN4z.jpg?width=800)
怪我を通して学んだこと
治療法
・とりあえず冷やす
・固定する
・足の場合は心臓より上にあげる
・無理しない
人間関係
生まれる時から助産師さんがいるし、人間一人じゃ生きていくことは難しいのだろうなというのは何となく感じてはいたけれど、怪我をしてからというもの、ものすごく実感するようになった。
実際、今、会社の先輩が食料を買って家に持ってきてくれたところである。ついでに部屋が綺麗でおしゃれだと褒められたところで気分がよい。
特大感謝・・・
怪我はないに越したことないが、なってしまったらもうそれは受け入れるしかなく、頼れる人間関係が必要となるなと思ったりしたりしなかったりした。怪我を材料にして人の注目を浴びたかった小学生時代の自分をすべて否定するわけではないが、自分も自分の大切な人たちもみな健康でにっこり笑顔で生きてほしいなと思った。
そして今、私は画面に向かってダブルピースをしている。にっこり。
みかん
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