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潮騒の音(ね)は笛にならない

 がりがりがりがり、と手首を掻いている。発疹も何もない、痒い訳でもない。ただ、掻いている。それが使命のように。
「そういうのって、そのために作られたキャラクターがやるモンじゃあない訳」
せせら笑うような音がしていた。海の音に似ていた。そうかもしれないな、と返す。それは何処か夢見心地だ。この、話し掛けてくる妙に正しそうな顔をした男が、大人のかたちをしたそれが、この現実においてそぐうものかどうかなど、俺には分からないのだ。
―――だって、俺は失敗作だから。
「いるじゃん、いるでしょ、水宮かがみ。忘れたとは言わせねえよ。消える名前だったくせに、失くなる予定だったくせに、息吹き返して、ひでえ話だよな。死んでた方が絶対楽だったのに、ピンクだからだめだったんだよ、お前も分かってるだろ」
「分からない」
「いいや、お前は分かってる。分かってて分かってないふりをすることを選んでるんだよ」
物書きは不幸でいなくてはいけないだっけ? いつかのコメント欄が蘇る。
―――貴方は幸せになるべきです。
 それが、どれほどに悍ましい言葉なのか、説明する術を持たないまま、ここまで来てしまった。
「…お前、海、好き?」
「嫌い」
「だろうなあ」
「だってお前、死なねえし」
「うん」
「死なねえから、ずっと此処にいるし」
「脚があるくせに」
「カッターだって、ずっと、ピンクで」
もっとなんかあっただろ、と言われる。でも掃除機のコードだってなんだって、全部失敗したんだからもうそういうことだった。本当は死ぬ気がないのか、それとも単に全部下手くそなのか、分からない。分かりたくもない。ただ、こうしてがりがりがりがり、と手首を掻いていることだけが現実だ。
 すう、と。
 擦れて赤くなった肌に、真っ白な線が浮かび上がった。
 それがまるで車道外側線のようで笑ってしまった。

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