ラベリング

 正直いつもは気にしていない、と言えたら良かったのかなあ、とこの日になると思うことがある。寧ろ、何かもっと大々的にやってもらった方が気にする・気にしないをそこまで気にする、みたいな冗長なことは言わずに済んだかもしれないな、と思った。
 僕は、所謂ところの被爆三世である。上の上の代が中心地にいて、でも地下か何処かにちょうどいたらしいから直撃(という言い方もどうなのだろうか、物書きとして失格だろうがどうにも正しい言葉を今は使えているようには思えない)は免れたのだと聞いていた。ちなみにまだ上の上の代は生きているが、もうあまりしっかりしていないので今、話を聞いてみようとしても無理かもしれないなあ、と思った。僕も広島に住んでいる訳ではないし。でも若い頃の記憶は割合はっきりしていることもある、と聞くので機会があったら聞いてみたい、と思う。こんな状況だから無理かもしれないが。
 原爆投下の是非についてはもう散々やっていると思うから今更僕が取り上げるのも違うと思う。過去は変えられないのだから、これからどうするかを結局考えるしか僕たちには道はなくて、言い方はすごく悪いけれど、僕たちのような〝前例〟が出来たのだからデータを取るなり何なりして後世に役立てて欲しいと思う。何もないならそれでも良いし、そういうものをデータとして出していくのが科学なんじゃないのかなあ、と思う。上の代には追跡調査が来たらしいが、僕には来ていないのでそう思うだけかもしれない。一応これを書く前に「被爆三世」で検索をかけてみたのだけれど、大抵が消費されたもののように感じられてしまって、やるせなくなったから結局これを書いている。ひねくれ者なので。人間なので感傷やら憤りやら、あって当然なのかもしれないが、それを〝消費〟で終わらせてしまうのは違うなあ、と思った。何もないのであればそれを大きなラベリングとして表に出すのに何の意義があるのだろう、と感じてしまうし、自分の知らないことを新しい世代に語らせることに強制感を思うのかもしれない。好きでやっている人はさておいても。まあ一応影響しない、という研究結果が出ている?ようではあるのでそこで終わり、なのかな、とも思います。でもそうなら何故いちいち取り上げるのだろう、とも思う。はっきりしていなくてもやもやして今これを書いているのかもしれないので、そこは反省しています。
 平和なんてクソくらえと思っている訳ではないけれど、人間の思いや思惑の結果が僕たちだろうので、いつかそれが反転しないといいですね、と思いました。

 最後になりましたが、この一連の件に巻き込まれ亡くなった方々に哀悼の意を示すと共に、今も尚戦っていらっしゃる方々に恭敬の意を示します。そして、このようなことが今後起こらないことを切に望みます。


作業BGM「サラの刹那」さとうささら(清水コウ)

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