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詩 詩を書くこと その六(個人的な理由)

 ある日、自分でも書いてみたくなって、〈確信を持って〉詩が書けそうな気がして、書いてみたらすらすらと書けたんです。客観的な出来不出来は兎も角、自分が納得出来る詩が書けたんです。それで書き始めました。〈へえ、自分にも詩が書けるんだ〉そのことが嬉しかったんです。それに詩の世界は何の制約も無くて自由だし、短いから書くのも読んでもらうのも気楽でいいなと思ったんです。
 ところで書いてみたくなったのには、直接的なきっかけがありまして、それは坂本慎太郎さんの曲の歌詞なんです。始めて詩を書いた三か月前のことですが、あるきっかけで坂本慎太郎さんの音楽を知って好きになったんです。
 坂本慎太郎さんの音楽はシンプルで心地が良いんですが、歌詞が優しいんです。少数者に対しての優しいまなざしを感じるんです。歌詞を紙に書き出してみたくなって、書いたものを自分のお店の隅っこの方に飾ったりしてたんです。
 何回かそんなことをやっていて、ある時どういう加減か、書き間違えが続いて書き直しているうちに、もう書き写すのが面倒になって自分で書いてしまおうかと思って、試しに書いてみたのが最初なんです。
 そんなわけで、書きたいことを思いつくままに書いているんですが、ぼんやりとした目的はあるんです。
 何となくこの三年くらい、ちょうど(今も続く)あの感染症騒動の頃からでしょうか。鎮魂ということばが頭に浮かんできて、ずっと頭の中の片隅にあるんです。どうせ詩を書くなら、何か鎮魂に繋がるようなことが書きたいなと、何となくですが思うんです。
 書くことでまず自分自身の魂をしづめて、そしておこがましいけれども詩を通して(今生きている人でも、既にこの世にいない人でも)誰かを鎮魂して差し上げられたらいいな、そんな風に思うんです。
 誰かお一人にでもそれができたら、もう十分だなと思うんです。


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