とりとめもないこと
良いことを書くのは簡単で。
同調されることを書くのも簡単である。
ただ、書かずにはいられない。
「それを選んだのは貴方ではなかったのか」と。
全員が何かを犠牲にしてその職についている。
全員が何かのリスクを背負ってその職についている。
もちろん、「このリスクは織り込み済みだった」という人も周囲にはたくさんいる。だから、冷静なコメントも多い。
だが、無職も、ネットカフェ難民も、飲食業も、派遣も、契約社員も
個人事業主も、自由業も、フリーターも、アルバイトも。ホストも。キャバクラ嬢も。独立したての美容院も、石を投げれば当たる歯医者も、石を投げれば当たる美容院も、石を投げればあたるコンビニも。石を・・(やかましい)
3か月ぐらい食えるリスクヘッジしとけや。というのは簡単だが、
もちろんそれが難しいことも分かっている。
突然で準備もできなかったことも分かっている。
だが、あまりに他責ではないか?というコメントが多い。
人生は選択の連続で、私たちは息をするのと同じように選択をしている。
ちょうどテレビで「たまたまコロラドのある農場でとられたメロンを食べたら細菌の感染者が多く死亡者が出た」という話をしていた。
人生は選択である。「メロンを食べる」も選択。それで人生が変わる。
今の状況は、すべて選択の結果である。
在宅できるサラリーマンも選択。
そして在宅になることによって、自分の稼働が貢献しているのか、評価されるものなのか。アフターコロナの世界で、会社に生き残れるのか。
それも今までの仕事の仕方と、仕事のスキルの選択の結果。
全てが自分の選択の結果である。
呼吸と同じように。
人は選択をしなければ生きていけない。
運がない自分にするのも自分の選択。
全ての状況は自分の選択の結果であるという「ベース」を受け止めるべきだと思う。もちろん、デコレーションは他者による影響もあるが、ベースは自身の選択だ。
だが、すべての今の結論が「仕方がなかった。これしか選べなかった」というのは、選択を放棄したか、「選択しようとしなかった」過去の自分に原因がある。選択の意識をもっていなかっただけだと思う。
何を選んだのか。その一言を発する前にもう一度考えてほしい。
自分の選択を後悔しないでほしい。
その選択の結果を他責にしないで。
人がいたら輝ける事を前提にしないで。
選択を人にゆだねないでほしい。
自分の選択の結果を正面から受け止めようよ。
大なり小なりあるかもしれないが、今は全員が、過去の自分の選択と向き合っている気がする。
まずは、自分の選択と向き合っていることを認識しよう。
他者のせいじゃない。
そこからだと思う。
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