エンタメを生き甲斐にするということ
※この記事はBUMP OF CHICKENのツアーSphery Rendezvousのセトリネタバレを含みます。
なんだかぼんやりしてしまう。
長年集めた様々なグッズでごちゃついた部屋をまっさらにしたくなる。
買った時のわたしにはきっと必要だったもの。ありがとうね。
クーラーがいらない時間が増えて、窓から抜ける風が最高の時期。
でも季節の変わり目は大体落ち込む。
だけど今のわたしは落ち込んでいるわけではない。と思う。
この間の週末、バンプの大阪公演2daysに行ってきた。
今回のツアーは、名古屋公演2日目が初だったから、大体のセトリの心構えはできている。
名古屋公演は1番前のAブロックではあったものの、めちゃくちゃ端っこで演出が見えず、更にスピーカーの真ん前でもあり特にギターがハウりまくっていた。
ので、大阪公演ではできればスピーカー真ん前は避けられますように…
あとは最前とは言いませんが…センステの近くでありますように…
なんてよこしまな気持ちと共にその日を迎えた。
こういうときいつも考えるけど、どれだけ広い会場であろうと、どれだけ公演数の多いツアーであろうと、その公演1回こっきりのお客さんだって当然いるはず。
というか、大多数はそう。
いつも全力ですべてを置いていってくれるバンプのライブを、どの座席であろうとこっちだって全力で迎えたい。
音響さん含めたくさんのスタッフさんが、どの席だろうと楽しめるように考えてくれてるんだろうけど、やっぱりなかなか難しい問題だ。
大阪公演1日目、いつも一緒にバンプのライブに行く友人と喋りながら始まるのを待っていたら、後ろから声をかけられた。
顔を上げると、女性がスマホのメモ画面を差し出していた。
そこにあったのは「後ろの席の者です。聴覚障害があり、聴こえにくい時はスマホで歌詞を見るから、画面の光が迷惑だったら言ってください」という感じの内容だった。
手でOKマークを作り、笑顔とガッツポーズのような身振りで楽しみましょうね!と言い合った。
今回の公演はsouvenirとstrawberryの2曲でモニターに歌詞が出る演出だった。(字幕とは違うなと感じたので演出とします。)
その瞬間、声をかけてきた後ろの席の女性のことを考えた。
彼女はきっとこの2曲は一度も顔を下げてスマホを見なくて済んだはず。
ドーム公演は3万前後の人で客席が埋まる。
それだけの人がいれば、様々な事情を抱えている人がいて当然。
たまたま自分に関わりを持つ形で出会わなかっただけだ。
わたしはすごく恥ずかしくなった。
ライブ会場で障害を感じている人を“意識”したことがなかった。
公演中スマホの光が気になることは一度もなかった。
ライブが終わって規制退場のアナウンスを待ちながら、友人と写真を撮っていた。
ステージを背にして写真を撮っていると、その女性が「撮りましょうか」と声をかけてくれた。
たくさんたくさん撮ってくれた。
その女性もお連れの方がいらっしゃったので、お節介かと思いつつわたしも撮りますよ!とスマホを預かり、めちゃくちゃ連写した。
「ライブ楽しかったですね!」と言い合って自分たちの席に戻った。
彼女は補聴器を着けていたけど、わたしの声は聞こえていたかな。
声じゃなくても喋る方法は他にもあったのに、全然頭が回ってなかったな。
家に着いてから、たくさん考えた。
わたしがシャッターを切ったとき最高の笑顔だったけど、今回のライブは楽しめただろうか。
後ろの席だったのにわざわざ声をかけてきた彼女は、もしかしたら今までに理不尽なことを言われたことがあるのかもしれない。
わたしも彼女もその他3万の人々も、バンプのライブを楽しみに京セラドームに集まっただろう。
その気持ちに差はないのに、彼女は自分がライブを楽しむためには周りに「ごめんなさい」と言わなければと思っている。
そう思わせているのは健常者基準の社会だし、わたしもその一部だ。
彼女が謝る必要なんてないのに。
わたしは彼女とたまたま関わった。
でも彼女に限らず生活に障害を感じている人が生でエンタメを楽しむのってめちゃくちゃハードルが高くないか。
視覚障害を持つ人は同伴者がいない場合、人混みの中を動くのはかなり危ない。
通い慣れていない場所に向かうのだって大変だ。
今回のバンプのツアー、ドーム公演は車椅子席がある。
だけど大きな会場でなければ車椅子が入ることすらそもそも想定されていないことの方が多い気がする。ライブハウス、階段や段差がめちゃくちゃ多い!
コミュニケーションに負担を感じる人はぎゅうぎゅう詰めになる席はしんどいかもしれない。
障害者差別解消法が今年の4月に改正され、民間企業にも障害者への配慮が義務化されている。
恥ずかしながら今回彼女との出会いで初めて調べた。
でもその中で繰り返されてる「負担が過重でない範囲の合理的配慮」の曖昧さにも違和感を感じる。
企業がすべての人に対応するにはどうしたって時間・お金がかかる。
ひとりひとりの力は無力なんかじゃないって信じたいけど、無理なくなんて無理な話じゃないか。
そこをどうにかするのが政府であって国じゃないんだろうか。
“今すぐ”わたしにできることはないのかと考えた。
今回の女性と出会ったこと、そしてライブの歌詞表示演出、もとい字幕がもっと増えるといいなとbe there(バンプの公式アプリ)のメッセージフォームから意見を送った。
上で、「いろんなスタッフさんがどこの席でも楽しめるように考えてくれているはず」と書いたけど、じゃあ障害を感じている人にとってはどうだろう。
音楽を愛しているすべての人が安心してライブに行けるようになってほしい。
諦めなくてよくなってほしい。
Irisというアルバムが発売されて、曲の9割がタイアップ・配信で発表済みで、面白みがないと批評する声を見かけた。
わたしは基本的にバンプの楽曲はスルメだと思ってるんだけど、Irisは本当にその真骨頂で、このアルバムになることでしか見えなかったものがたくさんある。
そして今回のツアー、新旧織り交ぜためちゃくちゃ考えられたセトリだなーと思う。
aurora arcからIrisまでの5年間、コロナ禍での空き期間もあったけど割とライブ数は多かったと思う。(というかツアー2本してる今年が異常。)
Irisに収録されている曲はその間のライブで聴けている確率が高い。
だからって、
アルバム発売後ツアーなのにアルバム全曲やらんのかい!!
2日間でこんなにセトリ分けるんかい!!
と思ったけど、名古屋公演で藤くんが「聴いてほしい曲がたくさんあるんだ」と言っていた。
わたしだって聴きたい曲がたっくさんあるよ。
それを地道に、地道に叶えてくれてる。
だってさあ、誰が2024年のアルバムツアーで太陽とレム聴けると思った?
レムなんて特にあんなアレンジしまくりで?
やっぱり俺たちのBUMP OF CHICKEN世界一かっこいいよ!!と叫び回りたいよ。
わたしには、聴けたらそのあとの人生は何が起ころうとかまわない、と思ってる1曲がある。
長いことライブでやってない。
それもいつか聴ける日が来るかもなと思えた。
20年前の曲に舞い上がると同時に、最新曲たちのきらめきと重たさよ。
青の朔日は特に、28年活動を続けてきたバンプのライブの素晴らしさと満たされなさでいっぱいだ。
擦り切れそうなくらいリスナーのことを想ってくれて、向き合ってくれて、バンプの曲はわたしの生活なのだけど。
きっとそれはメンバーにはわかりっこない。
メンバーの想いもわたしにはわかりっこない。
名古屋でも大阪でも藤くんが言っていた。
「終わってほしくねぇって俺が1番思ってんの」
そんなの藤くんだってこっちの気持ちはわかんねぇだろ!!と張り合いたくなる。
だから伝え続けるし、バンプの活動が続く限りわたしはライブに行き続ける。
一生満たされることはないと思う。
大阪公演1日目のアンコール。
虹を待つ人で、藤くんが「声聴かせてくれ!」「いけるよな!」と超煽っていた。
いやライブ1曲目かい!と言ったら隣で友人が爆笑していた。
2曲目がyou were hereだった。
めちゃくちゃ聴きたかったから大号泣してしまった。
こんなにラストに相応しい曲ないよ、もっとライブでやってくれ〜。
大阪公演2日目、最後の藤くんのMCがずっと頭の中をぐるぐるしている。
2日目は夫と一緒に行っていたのだけど、終わってから「今日の藤くんはアツかったな…」とつぶやいていた。
「飯食って寝て起きて、それだけの命じゃないって思いたい」
「鏡を見たって何もない、無だ。無だ。」
「鏡が穴あくくらい覗いたってわからない自分が、君の前でなら見つかるんだ」
ライブ中感極まる藤くんはもう珍しくないけれど。
長い前髪に隠れた瞳は涙をいっぱい溜めていて、ぎらぎらとしていた。
その涙が溢れる瞬間を隠す背中も、乱れた呼吸を整えようとするけれどどうしようもない表情も。
ずっと脳裏に貼り付いて忘れられない。
幼馴染とバンドを組み、家族も在り、3万人を前に歌う人間が、とてつもない孤独と戦っている。
わたしもそうだ。
大事な友人がいる。一緒にいると呼吸がしやすい夫がいる。
頼れるし甘えられる両親も健在だ。
自分でもこれ以上何を望むんだろうと思う。
だけど何か欲しいわけじゃないんだ。
でも満たされないし30過ぎても生きていくのは怖い。多分これは一生どうにもならない。
そんな世界で「ひとりで多分大丈夫」と歌ってくれることが、どれだけ寂しくてどれだけ心強いか。
どうにもならない一生のそばに、ひとりぼっちでバンプの曲を連れていく。
そんなままならないことばかり考えている。
今日は肌寒い。