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自分の機嫌は自分でとるしかない

泣きっ面に蜂とはよく言ったものだ。仕事のトラブルに見舞われたうえに楽しみにしていた旅行を台風のため泣く泣くキャンセル。続くときは続くのだ。

嘆いていてもしようがない。大人だから自分の機嫌は自分でとるしかない。豪華なホテルステイをしようと思い立ち、急遽ニューオータニのレディースプランを予約した。

チェックイン予定の14時よりも少し早く着いたので、お昼ごはんにSATSUKIでショートケーキを食べる。SATSUKIのケーキたちは名前に「スーパー」がつくと四捨五入で2,000円、「エクストラ」がついたものはなんと四捨五入で4,000円。

しがないOLの私は、スーパーもエクストラもついていないショートケーキを食べる。

そうは言ってもドリンクとセットで2,000円を超える。

無印のショートケーキはとても美味しかった。絶妙な甘さと口どけの生クリーム、ふわふわのスポンジ、「ちゃんと美味しい」いちご。ショートケーキって、シンプルだからこそ誤魔化しが効かないだろうなと思う。

そして、いちごの美味しさに安堵する。フルーツがいまいちだと、素晴らしいスポンジもクリームも台無しになってしまうのに、そこそこのお値段のケーキでさえもフルーツに落胆することが時々ある。ケーキにそれなりの価格を払うのは「価格にふさわしい、質のいいフルーツを使っているだろう」という保証を買っているのに近い。だから、フルーツの質がいまいちだと裏切られた気分になる。ご機嫌とりのスタートを、おいしいショートケーキで飾れてよかった。

SATSUKIを後にし、部屋には14時過ぎにチェックイン。案内してくれたボーイさんがブラインドを上げてくれたとき、目の前に広がるビル群と迎賓館の緑に思わず歓声をあげた。あいにくの雨だけど、これはこれでいい。

備え付けのBOSEのスピーカーで藤井風のプレイリストを流しながら部屋を物色していたところ、ほんのわずかの時間、陽が射した。

ベッドに腰を下ろして、降り続く雨と陽の光と足早に流れていく雲をぼうっと眺めていると、自分の心に溜まった澱も一緒に流れていくようだった。

雨が上がった隙を見て、足早に日本庭園を見物しコンビニで水と食料を調達する。

かねてからガーデンラウンジの「パーフェクトプレート」を食べたかったのだけれど、予算オーバー。泣く泣く横目で見るのみ。

昭和日本のイケイケ感が漂う。椅子もシャンデリアも上等なもの。極め付けは真っ赤なグランドピアノ。
晩餐はどん兵衛。しがないOLなので。

晩ごはんのどん兵衛をサクッと食べて、いよいよレディースプラン部屋のウリのひとつ「お部屋備え付けのヒノキ風呂」を堪能する。

お湯にうかべるレモンまで用意されていて、
至れりつくせり。

お部屋にヒノキ風呂があるって素晴らしい。ヒノキのいい香りはもちろん、大浴場タイプの面倒さ(部屋との往復、ロッカールームでの着替え、etc.)が全て排除されているうえに、お風呂のドアを開けっぱなしにしてBOSEのスピーカーから流れる音楽を楽しめる。女性をターゲットにした部屋にヒノキ風呂を備え付ける提案をした企画者の方、ありがとう。どなたか存じませんがとにかくありがとう…。

結局、滞在中4回もお風呂に入った。持参した本を持ち込んでゆっくりお湯に浸かり、汗をたっぷりかく。

2冊とも読了。どちらも丸善のちくま文庫コーナーに面出しされていて、たまたま手に取ったもの。両方、大アタリだった。特に宮地尚子さんの「傷を愛せるか」は、生涯のお守りになりうる一冊だった。ときどき、そういう予感を抱く本と出会う。弱いまま強くあるということ、何もできなくとも見ていることや「あなたの幸せを願っている」という言葉が誰かの命綱になりうること。

本を読み、溜まっていた日記を書き、そしてまたお風呂に浸かる。

部屋に備え付けのネスプレッソでコーヒーを入れて、夕方買っておいたSATSUKIのチーズケーキを手づかみで食べる。

ベッドに入り電気を消す。ブラインドは上げたまま。霞がかった夜に浮かぶビル群の灯りを遠目に見ながら眠る。

翌朝は7時に起きた。ルームサービスのモーニングを8時に頼んでいるから、その前に一風呂浴びる。朝なのでご機嫌な曲をかけたくて、終始EarthWind&Fireの「September」を流す。

お待ちかねのモーニングは、エッグベネディクトとアメリカンフルーツサラダ。ドリンクにはミントティーを選んだ。

のりの効いたテーブルクロス、パジャマ、テーブルナプキンのどれもが真っ白でうっとりする。日常生活ではありえない。すぐに汚してしまうから。白は非日常の色だ。

たまたまもかもしれないが、付け合わせのブロッコリーが、人生で一番というくらいおいしくなかった。しかし私はオータニに癒されすっかりご機嫌なので、「逆にどうしたら茹でるだけのものがここまで…」とかえって感心するほどだった。余裕は人を優しくする。精神的・金銭的余裕のないなかでも他者に優しくあれる人が真に優しい人だろうと思う。

以前、友人が私にかけてくれた言葉がある。「あなたにはのび太くんのような男性があうと思う。人の幸せを喜び、人の悲しみを一緒に悲しむことのできる人。あなたはいじめの現場を目撃したら、いじめられている側に寄り添う優しさを持っているから、そういう優しさに見合う人がいい」

彼は「もちろんあなた以上に『いい人』はいる」と前置きしたうえで、私の優しさを「弱者への優しさ/利己的なところのない優しさ」と表現した。

自分が優しい人間だとは思わないけれど、こうした気質に全く無自覚だったわけではない。私の「優しさ」ゆえに、利己的な人やわがままな人に寄りかかられたり甘えられたりすることが時々あって、疲れる。

でもこれだけは忘れないようにしたい。こうしてときどき旅に出たりおいしいものを食べて自分の機嫌をとるのは、そうした人たちに寄りかかられても大丈夫でいるためではない。自分がご機嫌でいると、私が幸せなのだ。同時に私は気持ちに余裕がなくても優しくあれる、できた人間ではない。大切な人たちにはせめて優しくいたいから、自分で機嫌をとる。

おまけ

ニューオータニのときめき

黒に白抜き!カッコイイ。
朝食のはちみつとミントティー。
白いクロスとぴったりな色合い。
照明。レトロでおしゃれ。
レディースプランのアメニティ。
箱の色とホワイトタイガーのイラストが
気品があってカワイイ!

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