見出し画像

大丈夫、どこでだって生きていける

「どんな街に住みたいか」は「どんな街に住む自分が好きか」に近しい問いだと思う。

友人に「あなた、週末はほとんど東京にいないよね」と言われたことがある。

「いやいや、ほとんどってことはないでしょうよ」と反論しかけたものの、振り返れば確かに月に一度はどこかに行っている。近場だと鎌倉、少し遠出するなら軽井沢、もっと遠くなら京都or盛岡。

特に、軽井沢・京都・盛岡は大好きで、リフレッシュしたくなるとだいたいそれらの街に行く。

3つの街の共通点は、

散歩が楽しくて、

コーヒーのおいしい喫茶店やひとりでふらっと入れるお店があって

その街の美学めいたものがあって、

いい本屋さんがあり、

冬はしっかり寒くて、

人が多すぎず、街と自然が近いこと。

大好きな街をのんびり散歩していると、普段と違う感性が働く実感がある。

たいてい、ホテルだけ予約してノープランで過ごす。ぶらぶら町を歩いて目についた器屋さんを冷やかしたり路地に入ってみたり、野良猫の写真を撮ったり、本屋さんでなんとなく惹かれたエッセイをいつもの喫茶店で読んだり。

そうしていると、脳や気持ちに余白ができて、普段は見過ごしてしまう優しさや美しいものに気づく。

例えば、薄いフレーバーにスプーンを刺してくれるジェラートやさん。ジェラートはだいたいダブルを頼む(シングルに絞れっこない!)。味が分からなくなるから、さっぱりした味から先に食べたいという人は私を含め多いと思うのだけど、気を利かせて、味の薄いほうにスプーンを刺して渡してくれるのだ。

こうした優しさに気付ける状態がすごく好きだし、そんな自分になれる街も好きだ。

同じ街に何度も行くものだから、周囲から「そんなに好きなら一年くらいお試しで住んでみたら?リモートもできるでしょう」と提案されたこともある。

でも、私はずっと東京に住み続けている。移住となると(たとえお試しでも)いまいち気乗りしない。どうしてだろう?と考えていたのだけれど、簡単なことだった。

東京も、東京に住む自分も好きなのだ。

東京にいる私は、平日はほぼ仕事の世界に身を置いている。仕事が好きだし、どちらかといえばワーカホリックな人間だ。

なんとなく世間にただよう「労働なんてクソ喰らえ」という風潮に勝手に居心地の悪さを感じてきたし、人といるときでも目についた広告や新サービスがあれば仕事のことを考え始めて呆れられたこともある。

私と同じワーカホリック族の友人と富山を訪れたとき、平日の昼下がりに公園でピクニックをする親子を見て、「私たちってこういう選択もあったのかねえ」と話したことも、

仕事を辞め京都に戻った友人の暮らしぶりを聞いて「人生の勝ち組じゃん!」と言ったことも鮮明に覚えている。勝ち組、なんて言葉を普段は使わないのに。

でも、やっぱり私は東京に住み、東京で働くことを選ぶと思う。

東京には私のような「仕事がめちゃくちゃ好きな同志」もたくさんいる。そういう人たちと一緒に、仕事で何かを成し遂げたときのあの達成感や昂揚感を、他で感じたためしがない。

「60歳になったら隠居して田舎で小さい店を持つ」。会社の先輩の口ぐせだった。あるとき「今すぐしたいとは思わないんですか?」と聞いたことがある。

「私ね、東京には勝負しにきているんです」

そうか、先輩にとって「東京」は勝負の場なのか。

他のひとの「東京」を聞いたことで、私の東京はまた少し違う場だなあと気づいた。

私は東京で「地元でも学生時代を過ごした街でも見られない世界」を見たいのかもしれない。勝負というよりも、好奇心と冒険心を満たしてくれる場所。地元では公務員か銀行員か医療系の選択肢しかなかったのに、東京では仕事を頑張ればその先にまた新しい世界が見えてくる。

「この山を登りきったらどんな景色が待っているんだろう」そんな感覚だ。「山登り」なので道中はキツいこともたくさんある。でも少なくとも今は、それがたまらなく楽しい。

東京でがんばろう。ときどきは大好きな街に行って、散歩をしておいしいコーヒーをゆっくり飲んで野良猫を愛で、また東京に戻ってこよう。

そしていつか「東京はもうたくさん!お腹いっぱい!」そんな日がきたらすぐに離れる。

東京を離れても大丈夫。大好きな街が日本にいくつもあるのだから、どこでだって生きていける。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?