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わたしはロボットではありません。
最近ありがちなフレーズですね。
味といってもいろいろありまして人間味、風味、味があるなんちゃら、
機械では出せない感覚のようなモノ、
対局に人間では出せない数値化されたモノ、
よくAIに将来変わって…とか話を聞く、機械をうまく使いこなせればいいと思うが全て機械任せというのも人間の必要性を考えます。
機械は少しずつ便利という言葉を盾に人間社会に入り込んできています。便利というのは本当にいいだけのものでしょうか?不便というのは古い?悪?なのでしょうか?便利の前は普通だったのに便利が出てきたら「じゃあ不便」というのも寂しい話、もちろんいろいろな分野では必要不可欠になりそれがスタンダードとなるでしょう、それもまた必要、長くなるのでこの辺でやめますがほぼほぼ全ての人が恩恵にあずかっている今日この頃なのです。
そのうちこの料理は何が200とこれが100とあれも100入っているからこんな味(400)です。と表記されるかもしれない。それもわかる人にはわかる時代も来るかもしれない。
既に糖度を測る機械もあれば塩分濃度、水分量
温度etc、周りを見れば機械だらけ、人間に残されたのは思考だけ?な状態だがそれまでも入り込もうとしている?人間が頼る?のかどちらかわからないが人間味の出る分野にまで出てくると寂しいと思う、端的というかドライというか…昭和脳にはも少しゆっくり進んで欲しいと思った次第、

釣りをしている時のるかのらないかの夢中になってる時の感覚、パチンコでキテる時の感覚、競馬とかドーパミンが出まくってる時の感覚くらいしか残らないのでしょうか?
人間味も残しつついってほしいのもです、
携帯の予測変換もですよ、先回りしすぎなの、便利だけど…堂々巡りになるのでおしまいにします。便利を求めるもの人間性ならしかたないよね。

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