Abstract で拡張する《わたし》
Abstract というサービスを使った。
Abstract は Elastic Projects, Inc. が提供する、デザイナー向けの GIT みたいなものだ。
GIT というのはプログラムのソースコードなどの変更履歴を記録したり、追跡したりするための分散型バージョン管理システムだ。
複数人でソフトウェアの開発を行うプログラマーの間では当たり前に使われていて、デザイナーでも、そこにデザインリソースをコミットしたり、デザインカンプのバージョン管理をする程度には使用していたりする。
私自身、GIT をはじめ、いつも何らかのバージョン管理システムの恩恵は受けていたし、Abstract というサービスの登場について、そこまでのインパクトはなかった。
ただ、複数人でデザインする時に、声掛けとか、マージする手順、説明の面倒さが少しは改善されるのはいいな、程度の期待だった。
実際試しに使ってみると、確かに便利だった。
なんだ、プログラマーのみんなは、こんな便利なものを日常的に使って開発をしていたのか、と羨ましかった。
私も GIT は使っていたけど、その便利さの 10 分の 1 も享受していなかったではないか。
もっと早く言ってよ、と思った。
これはかなり、作業効率があがるな。積極的に使うべきた。そう確信した。
しかし使っているうちに、だんだん不思議な気分になってきた。
《自分が広がっていく》感覚だ。
これまでのデザインのワークフローは、基本的に思想が自分の中にあって、それをひたすら出力していた。
作業を分担するとしても、たとえばこのアイコンをブラッシュアップしてほしい、
とか、このデザインを踏襲して他の画面を量産してほしい、といった類のものが殆どで、全体を要素ごとに分断して複数人で作業するのはかえって手間だし、やっていなかった。
忙しくて手が回らないとき、手伝ってほしいと思っても、手伝ってもらえるようにするために、膨大な時間がかかる。
マージすることを考えると、かえって手間だったりもする。
したがって、複数人で作業といっても、必ず《わたし》を追いかけて《あなた》が作業するのであって、《あなた》と《わたし》が完全に並列で作業できていたわけではなかった。
でも、Abstract はそれが可能なのだ。
日常的に GIT を使っているプログラマーや、自身でプログラミングも手がけるデザイナーには
何を当たり前のことを言っているのだろうと思われるかもしれない。
でも、私には衝撃的だった。
私はGITを使っていたのに、全く分散できていなかった。
プログラマーとデザイナーは同じ言語で動いていると思っていたのに、私はなんだか、弾かれていたのだ。
分散して並列にデザインを制作できるということは、今までにないスピードで、今までにない規模のものが手がけられるということだ。
それは《自分が広がっていく》ことに他ならない。
人類は道具を手にして使うことによって、遺伝子を変化させるために必要な膨大な時を経ることなく能力を拡大していくことができた。
Abstract を手にして、デザイナーの出来ることが増えていく。
デザイナーは、やることがあまりにも多くて、いつももどかしさと格闘していたのではなかったか。自分の分身がほしいと何度となく思ったはずだ。
それが出来る未来が直ぐ向こうに見えている。いや、自分の分身とは違う、別の能力を手にしてもっと良いものが作れる。これは革新だと思う。
協業するデザイナーの経験と実力のバランスなど、課題がないわけではないが、そんなものはいづれ解消されるだろう。
そもそも、協業する相手が人間である必要すらない。
ツールなど、所詮道具にすぎないというのは、道具を見くびっている。
テプラを手にした人は、すべてのものにラベルをつけて式神にしたがるし、妖刀を手にした人は、人を切りたくなる。
道具は《わたし》を拡張させる。
道具を使えば、遺伝子が変容して背中に翼が生えるよりも早く、空を飛べるようになる。
道具が与える影響が分かっていたからこそ、昔の人は道具に神が宿ると思ったのではないか。
Abstract という道具は《わたし》を拡張させる。
拡張するのが《わたし》なのか、それとも《わたし》が全体の一部になるのか。どんな未来がくるのか、よく分からないけれど。
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