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【大暴露】指導者になったキッカケ

最近外を歩いているとすごく嫌な気分になる。

それは「外を歩いている大人の顔がみんな死んでいるからだ」
信号を待ってる時、レジに並んでいる時。仕事をしている時。
正直死んだ顔で歩いている大人を見ると「ふざけんなよ」と思う。
死んだ顔で歩くかどうかはその人の勝手だが、それを見させられている側の気持ちになれよって話だ。特に電車にはゾンビのような大人達がたくさんいる。同じ車両に子どもがいるのに???子ども達は常に大人達のことをよーく見ている。大人が死んだ顔で外に出なければ日本はもっと豊かになると思う。理由は僕の大好きなメンター「鴨頭 嘉人」さんのyoutubeを見れば分かります。
鴨頭 嘉人 YouTubeチャンネル
→https://www.youtube.com/user/kamohappy

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「人は常に誰かに影響を与えて、誰かに影響を受けて生きている」

コニーはこのことを常に意識してる。
コンビニで買い物をした時も、飲食店で店員さんに接する時も常に。
もちろんいつも出来ているわけではないけど意識することにまず価値があると思い行動してる。

という自分も指導者として働くまではそんな考えは全く無かった。

僕の人生は指導に関わることによって変えられてしまった。(もちろん良い意味で!)

最初の投稿はその話をしようと思う。

僕が専門学校時代の話。
通っている専門学校は大阪にあるスポーツ系の専門学校で毎日1時間半かけて通っていた。スポーツ系なので基本的にはスポーツにまつわる座学。そして毎朝8:30から2時間プールの授業があった。どんだけ眠たくても朝からプールに飛び込めばパチッと目が覚めていた。(その後の座学はみんな寝ていた、もちろんコニーも)
そんな専門学校時代は特に目指すものもなく、何かに熱中することもなくただただ毎日を過ごす量産型の人間だった。

1回生の秋にある出来事があった。スポーツ系の学校なので体育祭が年に1回ある。(中々気合の入った)その体育祭前日に友達の家で泊まり込みでずっとゲーム(スマブラを10時間くらい)をして次の日の体育祭をサボってしまった。起きた時にはもうお昼過ぎで連絡もせずに「次行った時に怒られとけばいいか」程度で考えて学校に連絡せずそのまままたゲームをやり続けていた。

次の日の学校、もちろん教員室に呼び出され色んな先生に叱ってもらった。(当然だけど1時間くらい)
叱られるのは予想はしていたけど最後にペナルティを与えられた。

「幼稚園の遠足にインターン生として行って来い」とのことだった。

この出来事がコニーの人生を変えてくれた。

と今では思うけど当時のコニーは「は?」としか思えなかった。

そもそもコニーは子供が嫌いだった!(過去形です!)うるさいしわがままだし、店の中でも外でも走り回るし、自分勝手な生き物としか見ていなかった。(周りの人からはコニー自身が子どもみたいと言われてたけど。。。)
とにかくペナルティで行く羽目になったインターンには全く乗り気じゃ無かった。

で、迎えた当日。インターン生として初めて会う年長さん6人の担当をすることになった。詳しく書くと長くなるので簡単に言うと近くの公園に行ってお弁当を食べて、公園で遊んで帰ってくる。と言う流れ。

とりあえず怪我やアクシデントなく終われば良いと思っていた軽い気持ちは終わる頃には全く別の気持ちに変わっていた。

この子達ともっと一緒に遊びたい、もっと一緒にいたい

という気持ちでいっぱいになっていた。

一番最初に書いた「人は常に誰かに影響与えて、誰かから影響を受けている」このことを感覚的に体感した1日だった。

ジャンケンでも追いかけっこでもナゾナゾでも子ども達は必死に取り組んでこれでもかってくらい大声で笑う。そこに一緒にいる僕も同じようにつられて笑ってしまう。周りの人を笑顔にする最高の笑顔を子ども達はみんな持っていた。毎日をダラダラ過ごしていた僕にとって、あっという間に時間が過ぎる一日は久しぶりだった。

帰り際に子ども達は寂しそうな顔をしていたけど、自分の方がもっと寂しかった。そして感謝の気持ちでいっぱいだった。忘れかけていた純粋さ、素直さを思い出させてくれた。この出来事から形はどうであれ僕は子どもに携わる仕事に就こうと決めた。



そして2016年の2月にT&S(前職)にインターン生として行くことになり、子どもと関わる仕事を目指すに加えて「バスケ」の存在を思い出すキッカケとなった。最初はT&S健康スポーツ研究と言う名前を聞いて「研究所」って怪しくない?と思っていた。

高校を卒業して2年間全くバスケをしていなかったけど、子ども相手だから適当にプレーしても大丈夫と軽い気持ちで入ったら、本気で遊ぶ空間に鳥肌が立ったことを覚えている。

ただのドリブル練習を死ぬ気でやる子ども達、そして子ども以上に死ぬ気で練習する上田先生(僕の2個上の先輩でアルバイトスタッフでしたが熱量はアルバイトではありませんでした)そしてそして赤い服で死ぬ気でみんなを盛り上げる草野先生(上司)

もう今までの僕のバスケをしてきた環境はなんだったんだという気持ちがあり、軽くプレーしておこうと思った僕も、気が付けば膝に手をつき前のめりで参加してしまうほど、一生懸命バスケを楽しんでしまってました。

心の底からバスケを楽しんでいる子ども達を見て「俺もう一度全力でバスケがしたい!」と強く思った。

バスケってこんなに楽しいスポーツなんだと教えてくれたのは子ども達だった。

もう2度やることはないと思っていたバスケにもう1回関わらせてくれたのは子ども達だった。

僕は子ども達から影響を受けて今バスケのスクールコーチを日々全力で臨んでいる。

当時20人いた子ども達から受け取った「バスケの楽しさ」を今は僕から約300人の子ども達へ日々伝えている。そしてまた僕から「バスケの楽しさ」を受け取った子ども達も大人になった時、いやもうすで学校にいる友達やお母さん、お父さんに伝えてくれているかもしれない。

僕が毎日幸せに生きていけているのはあの日出会った子ども達と子ども達が全力で楽しめる場所を作った大人達(スタッフ、保護者さん)のお陰です。

2020年ももうすぐに1ヶ月が過ぎようとしています。今年はYouTubeに全力を注ぎ込み滋賀のバスケキッズ全員がT&Sを知っている、関わっている文化を創ります。
今年で滋賀を変えます。来年からは関西を視野に入れ活動していく。

                  コニー

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