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自己中だと得をするこんな世の中

定期的に更新するなど言いつつ、またひと月以上たっている、愚か。
お久しぶりです。
書くことは山ほどあるような気がするが、それをすべて消化して言葉にするほどの体力がない。
消化できていないことがどんどん体内(脳内?)に溜まっていっている。

最近思っていること。
ある程度自己中でないと、自分の人生をうまくいかせることってできないのかもしれない。
というか最近生活していて、ちょっとそれは(モラル的に)どうなの?とか、それはナシじゃない、、?と思うようなことをする人が結構いる。
しかも、そういう人に限って、私が欲しいものを手にしていたり、自分の目標を達成して成功体験を積んでいるように見えるから少し悔しい。

まあ、簡単に言うと、自分のやりたいことはちょっと強引にでもやって、誰かがやらないといけないような全体的な仕事は、絶対自分に回ってこないように、休んだりさっと帰ったり、そういうことする人っているじゃないですか。
で、こっちが雑務をやっている間に課題を終わらせていたり、ゆっくり休んでいたり、みたいな。
しかも、そういう人ってそういうのが気にならない友人がいるので、別に集団から浮いたり叱責されたりしないんですよね結局。
そういうのが気にならない友人、というのは、同じようなことを平気でやるタイプの人間と、そういう人間が残したような雑用をすべてやってあげてしまう「尽くしたいタイプ」の人間のことです。

私はむかついてキレるタイプの人間なのですが、そういう人って少ないしなんかみんな負の感情を表に出さずにやっていて、「心広、、(自分が狭い、、?)」となることが多いです。
でも明らかに全員でブチ切れるほうがよくない?
普通に調子乗っている奴が得をする世の中悔しい。

でも結局世の中って真面目にやっている人(なおかつ気が弱い人)が損をする仕組みになっているじゃないですか。
いじめ、パワハラ、色んなニュースを見て思う。
周りの人が苦しんでいることが気にならない人、そもそも気付かない人はつよい。


自己中ってめちゃくちゃいいように言えば、自分第一優先ってことだ。
なんとなく周りに合わせがちで、損な役回りになりがちな私からしたら(そして要領悪くてパンクしがちな私からしたら)うらやましい特性でもある。

ただ、私は生きていくうえで、自分のことを好きでいたい、ある程度気に入っていたい、というのが1つモットーである。
なんとなく自分がブレそうなとき、この選択をした場合、そんな自分のことを気に入っていられるか?というのは私の判断基準の1つだ。

まあつまり結局、周囲の物事に目をつぶって、自分第一で目標を追いかけたところで、そんな自分は好きではないし、適性もないからできないんだろうな。
別に私は聖人君主なんかでなく、色んなことを根に持つただの暗い女だけれど、それを自覚したうえで自分の譲りたくない部分ははっきりさせろよというだけの話だ。
自分のことを好きなまま、自分のことは見失わず、やりたいことは実現する。
バランス感覚を鍛えつつ、自分がぶれないように頑張れ私

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