専門家の罠


ほとんどの医者は専門がありますが、
最近の流れでは、その専門化をおすすめようとしています。
(専門医制度の整備など)

それぞれの病気を適切に振り分け(振り分ける医師も専門医化する)、振り分け先の専門性を発揮すれば、早く適切に処理でき、問題を効率的に解決できると考えているのでしょう。

専門医のように、1対1の現象に答えを出す技能の高め方は、人間はなんとなくわかっている。
反復練習と経験です。
バッターボックスに立って、ピッチャーからの球を打ち返しますよね。
医師を養成するのも同じようにすれば良い。
ランキングを作って、序列化してあげれば、ある意味ショービジネスのようなインセンティブを与えられ、なお良い。

しかし、現実には、外来に来る患者は、ヘテロ(まぜこぜ)なんですよね。神経内科だからといって、脳の病気「しか」来ないわけではない。むしろ脳の病気以外(を複数持っている)の人たちが多いわけです。

カオスがやってくるんですね。

振り分け、専門科と言った、オブジェクト指向プログラミングのようにブロック化して、無限とも思えるケースに対応し、かつリスクを抑えるのは、現実を甘くみすぎていると感じます。ブロックごとの隙間があって、リスクが増大するかもしれません。(専門外=関わらないことで、非典型的な患者がたらい回しにされて、状態が悪くなる、など)

ボールが100個で、選手も100人、しかも個数も人数も入れ替わるし、手を使ってもOK、審判も1000人いていっていることバラバラという近未来サッカーでうまくプレーするにはどうするか。

現実世界に求められているのは、大量の情報を統合して、可能性の高い方向性を予想できる能力です。そして、そういう人間をどう養成するか、人間自身がわかっていないんじゃないでしょうか。