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皆勤賞から考える休むことの意味と必要性

今日のテーマは、保健室で「休む理由」って必要ですか?です。

最近、私は実家から子どもの頃の賞状や通知表が入ったファイルを返してもらいました。そのでも特に印象的だったのが「皆勤賞」で、休みが一度もなかった人が表彰されるものでした。

昔の担任の先生がこう説明していた記憶があります。「字が上手な子は硬筆や習字で選ばれたり、絵が上手な人は作品で入賞したりできる。けど、そういう秀でた才能がなかったとしても、皆勤賞だけは誰でも頑張れば取れるから、全員が一枚はもらえるはずの賞状だ。」

しかし、最近は学校で皆勤賞という言葉をほとんど聞かなくなりました。休まずに学校に通うことが賞賛されるということは、反対に、休むことにネガティブなイメージを与えます。「休んだから皆勤賞をもらえなかった」と休むことがペナルティに感じる人もいます。たとえ学校を休まなくても、保健室で少し休むこと対してもペナルティに感じる子どももいます。私自身も、保健室の先生として子どもを、どのくらい休ませるべきかという葛藤をいつも感じていました。必要な休みと甘やかしの境界線は非常に難しいものです。

休み方のバランスは大人でも難しい

これは過去にInstagramで投稿した内容の一部です。
「保健室で休む理由って必要ですか?みんな普通は学校に行く。当たり前に授業を受けている。体調不良じゃないのに、すぐ休みたがるなんて怠けだ。疲れているくらいで学校を休ませる家庭は、甘やかし過ぎのただの過保護。だから不登校になる。なんて思っている養護教諭はいるんだろうか。熱があるわけじゃない。風邪もひいてない。だけど今日はしんどいから休みたい。そういう気持ちに誰しも一度なったことがあるはず。そんなときの正解って我慢して頑張るの一択しかないのかな?休み方のバランスなんて、大人もまだまだ模索中。一緒に考えて行こうよ 。」

「休む」ことは1つの関数だけでなく、複数の要素が絡み合って判断する必要があるので、大人でも完全に理解するのは難しいです。だから、保健室で子どもがすぐに言語化したり判断をすることはできないと感じていました。

今までの社会は具合が悪くても少し我慢して行くのが当たり前という風潮から、コロナの影響で具合が悪い場合には早めに休むという価値観が一般的になってきました。でも、まだまだそれは歯が痛くなったら歯医者に行く程度で、本当は痛くなる前に予防的な検診に行くことが重要です。痛くなってからでは、治療の選択肢も方法も限られてしまいます。だから定期的に検診を受けることや自己メンテナンスが大切だということと同じように、心が折れて取り返しがつかなくなってしまう前に、休み方のバランスを練習していくことが、保健室の新しい役割ではないかと思います。

誤解されがちですが「なんでもかんでも休ませましょう。」「頑張らせない方がいいですね」とすべて甘やかすポジションで話しているわけではありません。休むことにも段階があって、家庭や専門家と相談しながらその子にあったアプローチをする必要があるという考えです。大人も子どもも休む練習が足りてない。若年層の死因の1位が自殺の日本で、我慢を教えるよりも、休んででも生きるように伝えていくのは、保健室の新しい役割だと思います。

教師向けのあらゆる参考書、本で「教師としての働き方」はたくさん見かけるけど「教師としての休み方」なんて本は一度も見たことがありません。大人自身が自分に合った休み方を学びつつ、子どもにどう伝えていくかは、本当に難しい課題です。子どもが原因不明で休みたいと言っている場合でも一概に決めるのではなくて、観察し、様子を見ることが重要だと思います。

これはあくまで個人の考えですが、本来休むことは罪悪感を感じるべきではないと思います。休むことは、子どもたちが心身ともに健康に成長するために必要なことで一緒に考えていく必要があるのではないでしょうか。


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