「永遠の観光客」


二週間前、高山祭りに訪ねた。長い運転の後さすがにコーヒーがほしかってんで、民家にあるおしゃれな珈琲館に入った。席に指導された後、どうせ日本語わからないようにすぐ英語メニューを渡された。注文した時に、注文を確認するより、先に店員さんが、「日本語上手ですね」と言った。
。。。
雨天なんで、祭行列もしなくて、屋台も出さないようになった。ほんで、神社の境内にある屋台会館の方向へ足を運んだ。ゆっくり、江戸風景のある街並みをめぐって歩きながら、いろんな店をのぞいて行った。手作り味付け味噌の屋台を見つけて、おいしそうな味噌を選ぼうとした途端、
それを売っているおばさんがこう言った
「〇〇さん、外人さんが来たよ。通訳して。」
「通訳なんていらんわ。それに、外人さんって何やそれ。。。敬意を振っているが、実は、無礼な言葉やないか」と心の中に叫んだが、黙っとった。
「カツオ出汁とかみたいな動物性による食品がない味噌ありますか?」と質問した。
屋台の経営した女の人は「日本語上手ですね」と言い返してから、「ゆず味噌にはありません。あ。それに辛みそも大丈夫です。」と続けた。
あたしが苦笑して、「ほんなら、一個ずつおねがいします。なんぼん?」と尋ねた。
。。。
風呂敷や手ぬぐいなどといった布を売る店のディスプレイに見て柴犬と紅葉柄がある手ぬぐいがあってんで、買おうと思うて店に入った。その手ぬぐいについて、「柴犬と紅葉の柄のある布が欲しいですが、」と尋ねたや、目の前の箱にあったため、「ア!これや」をつぶやいて、手に取った。
店員さんが、今度先に商品について、「それがよろしいですか」そして、「日本語上手ですね」といいづけた。あの言葉なしで、済むと思ったのに、
。。。
レトロ館に行ったら、
夢中に古いプレイボイを立ち読みしているおじさんに話しかけて、
「50年間で、そのプレイボイって男性性による女性像や性的な扱いが変わってないな、いやあえて現在もっと性的になってんかもしれんな」
最初に話しかける時にあまりにも突然すぎる社会問題的な発言とわかるけど、
つまり、こんな私は変人やと自覚してんが、
「びっくりした。日本語上手ですね」と彼がその会話の中に入れた。

高山という有名な観光地に来てから、4時間、ほぼ一時間一回ずつ、ほとんど口をきいたや、言われた。あの発言。

計算すると「日本語上手ですね」と何百回言われてきたと思う?

日本で二回留学し、7年間日本に住み、日本語文学修士課程を卒業し、16年間日本語で生活してきたあたしには、どんっだけ不快な発言なのかをわかるよな。

あまり上手やない方にも言われた発言をあたしに使うのが、どうして違和感がある。

ですから、虚無の誉め言葉に聞こえる。

そして、この発言の裏にある差別的な思い込みがある。

こんな顔、つまり、和人の民族に見えない顔があるから、

日本語を話せないという思い込みや。

顔、あるいは人種で、何かを決めつけたり、

人種に対する偏見や思い込みを持ち、それに従って扱いを変わったりするというのは、

単純に言うと、人種差別だ。


もちろん、国籍はまだ米国であるが、

和人の民族に見えない顔のある日本国籍の方はいっぱいいる。

その人も何回もこんな経験をする。こんなくだらぬ経験、いわば差別、が共通点やで。

あるイタリア系日本人の友がこう言った

「私はこの顔だから、いつも自分の生い立ちを説明するのを強いられている。外国人として扱われることも少なくはない。」

もう一回いう、人種差別だ。



だからこそ、正直にだいぶ前から、もうあきてんねん。いや、聞くだけで、ちょっと怒る。

びっくりせずに、皆が他の日本人と変わりのない扱いしてほしい。

褒めようとしているのが分かるけど、気持ち悪い。

最初から、日本にいるから、顔に関係なく、日本語を話しかけてほしい。

そして、その方が理解してないなら、英語や他の外国語などに切り替えってもいい。

顔、いわば人種、の理由だけにして、扱いを変わらないでほしい。


どうしても褒めるなら、名誉のある、詳細な言葉を使ってくれればうれしい。

例えば、3年前に日光東照宮の紅葉を見に行って、

あんこ入り揚げ餅みたいな名物を買ったら、

こう褒められて「お日本語がご流暢ですね」。

さすがに、うれしかった。

なぜかというと、敬語だけではなく、「流暢」という特定な能力レベルを指す意味がある

言葉をいただいたからだ。

あたしは、移民者であって、単なる外国人やない。


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