nico

さらりと感じるままに*ココロに響いた言葉たち*

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最近の記事

イメージすることの大切さ

夜中に目が覚めて そこからなかなか寝つけなくなると どうでもいいことが浮かんでくる。 しかも、ネガティブなこと。 そんな時は 時計の長針はあっと言う間に2周していて 玄関のポストに朝刊を投函する音が聞こえてくる。 眠れない・・ 眠りたい・・ どっちでもいい・・ 眠れる・・ そこから いつの間にか眠っていたりする。 望まない結果をイメージしない。 望む結果をイメージしよう。 人生は 自分自身に言い聞かせてきたことの 積み重ね。 望むことを自分に言い聞かせて

    • 母娘ゆえに

      母と話していると 本心がポップコーンみたいに ポンポン浮かび上がってくる。 昔々のことなのに 消化できないでいることを その都度、思い知らされる。 上辺だけで良い娘を演じていても メッキが剥がれる瞬間は、割と早い。 そんな自分に、観念。 母との付き合い方を変えてみた。 微妙な遠慮を加えながら話すと 母からも似たような遠慮が感じられる。 今更ながらの、母娘関係。 女同士ゆえの 難しさもある。 クリアできるだろうか( ºΔº )

      • 東京日和

        東京に行くと元気になれる。 賑やかで華やかで 魅力的だし、パワーがあるから。 久々のひとり飲み。 カウンターでお寿司を食べたり ひとりで居酒屋に入ったり ひとり飲みもだいぶ慣れた。 良いのかどうかは 分からないけど( ´艸`) 友達と旅したこともあるけど ひとりの方が自由を感じられる。 アラカンになったことで 自分の考えをもっと尊重したいww と、思うようになった。 その結果が "旅をして遊ぶ"ことに繋がった。 私個人として過ごす時間をもっとたくさん 贅沢なく

        • こころの中の霧

          本当はノートに書き出す方がいいんだろうけど 霧というより、煙のようなモヤモヤを書き出すと 冷静に書けない。 それに、 残しておくことで家族に発見される確率が高い。 ということで こちらのnotoに書き出すことにしました🤣 画像の風景のように すっきり晴れ渡るこころを目指して 自分の本心を探り、明らかにしていくことから 始めることにしよう。 現実は、自分の思い込みが目の前に現れている それだけのこと。 そこに余計な飾りを付けるから 観るところ、感じるところが増えて 思考

        イメージすることの大切さ

          冬の豊かさは、心身で味わうもの✨

          冬の豊かさは、心身で味わうもの✨

          潤いもほどほどがいい

          家中が潤い過ぎていて 梅雨明けが待ち遠しい。 洗濯物みたいに 心までカラッとしそうだ。

          潤いもほどほどがいい

          4年前の"わさお"

          昨夜テレビで"わさお"の特集を観ました。 旅立った後に撮った写真の中のわさおが 仔犬みたいに本当に可愛らしくて 穏やかな表情に救われた気がした。 我が家にもワンコがいるので つい重ねて見てしまうんだよね💦 そして今朝 Facebookの過去記事が上がってきた。 ******************** 2016年7月12日 4年前の今日 わさお&つばきちゃんに会っていたのだった。 昨夜はテレビで 今日は画像で 懐かしさを味わってます✨

          4年前の"わさお"

          本日も

          良き1日。 「お久しぶりですねー♫」とカフェで声を掛けられ ひとりも良いけど このさり気ないやりとりが 嬉しゅうございました♡

          本日も

          「何か始めなければ」

          焦っていたなー そう思う。 主婦じゃなくて "働く主婦"がいいとか "仕事も家庭も出来る人"でいたいとか。 近年は個人ビジネス情報が溢れていたので 経済的自立を考えてもいたし。 ただ、誰もがビジネスとして成功する訳ではなくて やはりそこには それぞれが持つ性質が関係してくる。 私に足りないものは 情熱 熱量 努力 である。 そんなわたしを生きることを決めて 生まれてきたんだなーと 数秘から学びました。 欠点というか、ネガティブに感じるところ

          「何か始めなければ」

          徒然に

          一区切りついたことがあり 昨日は、ゆったりした気分で外ランチ。 豆苗と明太子のパスタが思いの外美味しくて 1週間ぶりの解放感とともに ゆっくりと味わうことができた。 日常が 戻りつつある。 外の世界に。

          徒然に

          認めるものと見つめるもの

          時々 「あー、美しいものが見たい」 そう思うことがある。 そんな時は 今まで見てきた私の世界に 美しいものがあまりなかったのだ あったとしても それを美しいと思えるゆとりがなかった。 つまり、美しくないものに感情を向けたかったんだなー と、気づく。 "美しい"という概念はそれぞれだけど 私が思う美しさとは 感動を伴うもの、ことである。 父が亡くなり 遥か昔のことに想いを馳せる機会を得て 「こんなものか、私の人生って」 そう度々、呟いている🤭 父が逝った後に残ったもの

          認めるものと見つめるもの