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傷つくこと

私は最近いつ傷ついただろうか。誰かを傷つけることについてはよく考えるけど、自分が傷つくことについてはないがしろにしてきたというか、特に気にしてこなかった。私は常に傷ついていると思っていたから。

でもよくよく考えてみると、これは傷ではなくただのストレスなのかもしれないと思った。風邪も怪我もツラいのは同じだけど、どちらも違うようにストレスと傷は違う。

例えば誰かに怒られたときに痛いと感じるのは傷なのだろうか。イマイチそこらへんの違いがよくわからない。私は怒られるのが苦手で、見てるだけで気分が沈むし、自分が怒られた日には死にそうになる。

ただそれを傷ついたと言っていいのだろうか。私はダメなやつだみたいに落ち込むことはないし、何かを言われてもその言葉自体に何か思うことはない。ただただ怒られたという事実に沈むだけ。

そもそも私は誰かに明確な悪意みたいなものを向けられたことがない気がする。そういう風に生きてきたし、これからもそうだと思う。そして心無い言葉のようなものも言われたことがない気がする。

それって私が心を開示してないからだろうなと思うけど、どうなんだろう。そもそも人との接触が少なすぎるからな気もする。

じゃあ、どんなことを言われたら傷つくだろうって考えてみたけど、あんまり思いつかなかった。でもまあ、外見のことを言われたら傷つくと思う。自分のコンプレックスに触れられたら傷つくんだろうな。

そういう意味では内面はコンプレックスのような部分がないのかもしれない。「お前の文章はつまらない」と言われても「誰だ、お前」って思えるような気がする。性格悪そうとか言われても、たぶんなんとも思わない。

信頼している人に言われたらどうだろう。私の言う、信頼している人というのは私から話しかけにいける人のこと。数は少ないし、ネットだろうがリアルだろうがあまり関係ない。

その人たちに「お前の文章はつまらない」と言われたら、たぶん落ち込む。ただ私に向かって言ってくれるなら傷つきはしないかなと思う。信頼しているから。性格悪そうは言われたら、逆にうれしい。私の性格を推測できるほど、私のことを考えてくれたのってなる。

たぶん傷つくのは陰口だと思う。私は陰口が苦手で、それを信頼している人にされたらさすがに傷つくと思う。

私は信頼している人にだったら、何を言われても傷つかないような気がする。落ち込んだり、反省したりするだろうけど、特に何かを思ったり嫌いになったりすることはないと思う。むしろ逆に傷つけられたいというのは変だけど、思ったことは真っすぐ言って欲しいなと思う。

自分が何を言われても大抵大丈夫だから、人の傷に鈍感になってしまうことがある。これを言ったら不快に思うだろうか、傷つけてしまうだろうかとよく考える。だから信頼していない人には自分の考えのようなものをわかってもらおうとは思わないので、ありきたりな毒にも薬にもならないようなことしか話さない。

ただ信頼している人には私のことを知ってほしいし、認めてほしい?ので言葉をよく選んでいるつもり。当たり前だけど傷つけたり、不快に思ってほしくはない。けど、私の考えや思いを受け取ってほしいとも思う。

傷つくこと、もう見つけた。私の心に近い思いを否定されたときだ。「私はこう思う」ではなく「それは間違ってる」と。そして誰かを傷つけてしまったとき。

マシュマロ


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