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雑談(文通、下品、死生観)

文通

雑談。特に何を書くとかを決めないで書き始めるとき、書き始めたらテーマがいくつかに分かれてしまったとき雑談ということにしてる。一人でこう話してるのも雑談と呼ぶのかはわからない(そもそも書いてる)。

ふと思っただけだけど、note内で誰かと文通のようなものやったら楽しいかもしれない。マガジンとかそういうのを使ってやってる人はいそう。そこらへん詳しくないからできるのかわからないけど。

文通とまではいかなくてもお互いに(もしくは何人かで)同じテーマでものを書くのは楽しそうだなって思った。誰か誘って。


共通の知り合い

noteって共通の知り合いみたいな人がいないなと思った。ツイッターで私はある物書き界隈に属していると思っているのだけど、noteには界隈?みたいなものがない。一対一の関係の人しかいない。もしかしたら私が知らないだけで共通のフォロワーさんがいるのかもしれないけど、ツイッターほどわかりやすくないというか、そもそも交流するように作られてない。

noteにも界隈みたいなものがあるなら属してみたい気持ちがあるし、そういう上手いことフォロワーさん同士を繋げるみたいなことを誰かやってほしいなと無責任に思う。


noteの書き方

最近考えたことを古い順にアウトプットしていく。

私の考えが一番まとまるのは書いてるときで、こことここ繋がりそうだなって思って書き始めると、頭で考えてたときには見つからなかった共通項が見つかったりする。あと新しい考え事の種が見つかったりする。

noteを書くときはぼんやりとしか構成とか考えないで書き始める。オチもそこへの道順もほとんど決まってない。だからオチがありそうな方向を目指して書き続けて、面白いものがあったら寄り道してみたいな感じ。

すると思いもよらないところに辿りついたりして、それが楽しくてnoteをいつも書いてる。今日はどこへ行けるんだろうって。みなさんがどんな風にnoteを書いているのか気になるので、コメントでも記事でも書いてもらえたら嬉しい。

これは寄り道。


下品に生きる

もっと下品に生きてもいいんじゃないかと最近考えていた。自分で自分のことを縛っているなって、そんなこと100年前からわかっていたんだけど、だから定期的に考える。

例えば下ネタを言わないとかそういうことなんだけど、あんまりいい例えが出てこない。別に私は下ネタが好きなわけでも嫌いなわけでもない。ツイッターとかで流れてくるのを見て爆笑したりするし、不快感とかはない。

でも自分で言うことはないし、誰かに言われても思いきり笑うことはできないと思う。言いたいわけじゃないからそれはいいんだけど、他人の下ネタに対して笑わないことを課してるのは呪いだよなって思う(愛想笑いくらいはする)。

清楚って言うと変だけど、いわゆる純粋とかそんな風に言われてきたタイプの人間で、いつしかそうでなきゃいけないと思い込んでいた。もちろんそういう部分もあるから無理してるとかじゃないんだけど、自分を解放?してあげてもいいのかなって思う。

もう少し人の目を気にせず生きていきたいなっていつもいつも思う。


こだわりがない

こだわりがない、熱くなれるものがない、努力できない。

こだわりって私を取り巻く性質?とは関連が深い言葉でよく目にする気がする。例えばINFJはこだわりが強いみたいな(勘で言ってます)。私にはこだわりというこだわりがないよなぁってふと思った。強いて言うなら合理的であることくらい。

譲れないものみたいなものがほとんどない。大抵のことはどうでもいいと思ってるし、自分のやり方?みたいなものもない。臨機応変という言葉が好きだし、自分に何かを課すことはあまり好きじゃない。

だからか、何かに熱中した経験がなくて、そういう人を見ると羨ましく思う。昔部活めっちゃ頑張りましたとか、そういう話を聞いて、部活がんばる人いるんだって驚いたりする。部活なんて大多数がテキトーにやってるものだと思ってたのに、みんな意外とがんばってたりしてほんとうに驚く。

努力ができない。辛いなって思ったらすぐにやめてしまうというか、辛くない方へ行ってしまう。もちろん学校とか仕事とかどうしようもない辛さは我慢できるけど、逃げられる辛さには我慢できない。

まあ、でも努力に関してはみんなできていないだろうって勝手に思ってる。何かしらに熱中して生きていきたいなって思う。


死生観

これでラストかな。一時間くらい書いてるし。

私の死生観は軽いなって思う。まだ私は20前半のガキンチョだから、年とともに考えだって変わるだろうと思う。たぶん19くらいからこんな感じで考えていて、精神の年齢はそのあたりで止まっている気がする。

人はいつか死ぬのだから、死はそれ以上でもそれ以下でもないだろうって思う。生と死は対極にあるものじゃなくて、根本的には同じもので、生の中に死があって死の中に生がある。

私は希死念慮とともにこれからも生きていくんだろうなって思う。まだ5年とかの付き合いだけど、今では良い友達みたいな関係。私は彼(彼女?)のことが嫌いじゃないし、いつかいなくなってしまうならそれは淋しいなとも思う。

ファッションメンヘラじゃないけど一種のアイデンティティなんだと思う(最近よくアイデンティティについて考える)。死を軽く持つことは。

死後の世界は無であってほしい。でも意外と天国じゃないけど、私たちがアクセスできない別の次元(精神世界のような)に行ったりするのかもしれないなと思う。

前にもどこかで書いたけど軽く生きたい。ふらっと飛んで行ってしまうような人になりたい。

マシュマロ


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