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日記(母の日、怒ったこと)

花屋さんの前で何やら人だかりができてて、覗いてみるとカーネーションが見えた。ああ、母の日か。というのを土日で2回くらいやった。

母の日に何かを送ったりするという発想は私にはない。世間から見れば親不孝なんだろうなとおもいつつ、何かをプレゼントするつもりはない。母も私が何かするなんて期待してないとおもう(もちろんプレゼントしたら喜ぶだろうけど)。

私は自分を親不孝者だとおもうことはない(薄情者だとはおもう)。小中高ときちんと学校に行き、入った大学も自慢はできないにしろ、人に言えないようなところではない。就職もきちんとした。正直もうこれ以上何かを言われる筋合いはないとおもう。

両親におもうことがないわけじゃないけど、文句のようなものは特にない。もともと人に文句を持つタイプじゃないけど、完璧な子育てなんて無理だから。でも恨んでるわけじゃないんだけど、私のある種の生きづらさはそこに起因しているのではないかっておもうことがたまにある。やっぱり大抵の呪いの根源は家庭環境にあるとおもう。

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今日、久しぶりに不快になった。いつも穏やかかと言われればそうでもないんだけど、誰かに対して不快になることってそんなない。まあ、人には人の事情があるしなって思う。

ほんとに超些細なことなんだけど、私の努力をなかったことにされたというか、馬鹿にされたというか舐められたというか、そんな風に感じて一日中ぷんぷんしてた。ぷんぷんという表現は可愛すぎるので、一日中イライラ唸ってた。

冷静に考えてみると(冷静になる前からわかってはいたけど)向こうは悪くないし、私が勝手に怒ってるだけ。

私は怒ってるときって、自分が何に対してどうして怒っているのかずっと頭の中で考えてるんだけど、今日わかったのは「下に見られてるな」っていうのがまず一つ。もう一つは「括られる」ことへの不快感だった。

下に見られてる、舐められてるのを不快に感じるタイプなんだ私、っておもった。私は拙い愛嬌で生きている節が昔からある。それと「舐められる」って表裏一体というか近い部分にあるからなんだとおもう。

だからそういうことに敏感なんだろうなっておもう。いままでいじめられなかったのは運がよかったからで、これからもその可能性はあるってずっとおもってて、ダメな舐められ方をしてはいけないって気をつけてる。

括られたくないというのは「君たちは○○なんだから」みたいな言い方がすごく嫌いなだけ。「君は」だったら、お前が私の何を知ってるんだって思うだけでまだ許せるんだけど、「君たちは」みたに一括りにされるのが嫌だ。私は私だ!こちとら血反吐はいて一人で生きてるんだよ!ってなる。

でもやっぱりいちばんは私の努力を否定されたような気分になったからだとおもう。向こうにはそれは伝わってないし、伝えるべきことじゃないし、そもそも努力と認められるべきことじゃないし、きっと笑われるようなことだけど、私はがんばったんだよ。ほんと大したことじゃないんだけどさ。

誰もわかってくれないとおもうから曖昧な書き方をしてる。こういうことってよくある。誰からも理解されないから話せないけど、たしかにツライこと、そしてそれをがんばったこと。

こういうことを子供のころの私は両親に理解してもらいたかったんだとおもう。保育園のころ、めちゃくちゃ泣いたときの記憶って未だに覚えてるんだよね。仕方なかったっていまの私にはわかるし、たぶん当時の私もわかっていたけど、理解してほしかったんだよ。きっと。いまになってそうおもう。

マシュマロ


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