脚本「かごめ」第一場

■第一場
  1996年の冬。東京都内某所医院、入院患者の一室。部屋は清潔。小さなベッドで眠る産まれたばかりの赤ん坊。時谷尚子は赤ん坊の横にある大きく質素なベッドで横たわっている。入院者用の薄い色の服。顔は青白く疲労の色が濃いが、毅然。それに付き添う父親の時谷裕次。
  裕次は、子供ようなくしゃくしゃの笑顔で、赤ん坊を起こさないように小声であやしている。尚子はそれを聞きながら穏やかに微笑んでいる。
裕次「美羽ちゃーん。おやしゅみでしゅか? おなかしゅいてないでしゅかー。おしっこ大丈夫でしゅかー。」
  裕次は妻の尚子の方を見て、通常の声の大きさで話す。
裕次「美羽はきっと母親似の美人さんになるよ。ほら、目と眉の形なんかそっくり。な? 」
  ベッド上の尚子は、黙って優しく微笑み、裕次に目で合図。裕次は心得て、尚子の半身を起こし、美羽がよく見える体勢に。身体が冷えないように上着を背中からかける。尚子は美羽を見る。
尚子「‥そうね。口元もわたしに似てるかも。‥よかったねー美羽ちゃん。パパに似なくて。」
  裕次は苦笑して頭をかく。尚子は悪戯っぽく笑うが、すぐに苦しい表情に。裕次は心配そうに尚子の肩を抱き、背中をさする。
裕次「大丈夫か? 看護師さん呼ぶか? 」
尚子「‥うん、大丈夫。」
裕次「‥すまなかった。」
尚子「謝らないで。あなたもわたしも、どうしても子供が欲しかったら、覚悟して産んだんじゃないの。‥もう駄目かと何度も思ったけど。何とかわたしの身体はもってくれた。‥これでよかったのよ。」
裕次「そう、‥そうだったな‥。」
尚子「この子の中に、あなたとわたしが生きている。将来、この子が産む子供の中にも、やっぱりあなたとわたしが生きている。‥この子を通してわたしたちは永遠に一緒にいられるの。‥もうわたし、何も思い残すことはないわ。」
裕次「変なこと言うなよ。‥早く退院して、3人で家に帰るんだろ? 」
尚子「‥ごめんなさい。‥そうしたいけど、もうわたしの身体はもたない。わかるのよ。」
裕次「そんなこと、‥言うなって! 俺はおまえがいないとダメなんだよ! わかってるだろ? ‥どうしてなんだ。‥どうして‥。」
  裕次は力なくうなだれる。優しく背中を撫でる尚子
尚子「あなたは世界一優しくて、まじめな人。でもとても傷つきやすい人で、ちょっと心配。‥わたしが亡くなったら、‥早く次のパートナーを、‥支えあえるような人を探すのよ。わたしからの最後のお願いね。」
裕次「‥神様。」

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