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忍辱 第一場

■第一場
 2014年春、土曜日、昼。晴。東京都三田市琴吹町四丁目にあるトチノキ公園で町主催のフリーマーケットが開かれている。
会場内は、古い時代のポップスが鳴らされている。
 舞台中央は、井上信世・愛実がシートを張り、クラシック系のCDや書籍を売っている。愛実は明るい色の服装。
 その上手側隣に、遠藤と佐々木のシート。ぬいぐるみやマグカップを売っている。下手側の隣に阿部と木村のシート。キャラクターグッズ、ゲームソフトを売っている。渡辺は客として、商品を手に取って思案顔。
 下手側の奥に井上時太郎、田中倫幸、大杉が集まって使い捨てコップに注がれたビールを飲んでいる。倫幸の服装は上下トレーニングウェア。戸塚は中央奥でバーベキュー。肉と野菜を焼いて弾ける脂の爽快な音。上手側の奥には鈴木がいる。コップに飲み物をつぎ、テーブル上に置いたり、配ったり、一人で忙しそう。
 その他にも様々な人が隙間隙間にシートを張って、何かしらを売ったり、あるいは飲み物片手に談笑している。(舞台の広さにもよるが、人数はできるだけ多く。賑わっている雰囲気が欲しい。兼ね役、エキストラ可)
彩未 「今日天気いいねー。まるで夏みたい。愛実って本当に晴れ女ねー。」
愛実 「‥なんかそうらしいね。町内会長さんからも電話もらった。町内の大事なイベントで、お外でのフリーマーケットなんだから絶対来てくれ、って。」
彩未 「来週は高校の文化祭だから、その日もよろしくね。」
静香 「愛実は太陽神。作物に栄養を与え、人間の心に明るさを灯す。」
愛実 「なによそれ? 」
 信世が陽気に声をはりあげる。まるでバナナのたたき売り口調。
信世 「さーさみなさん! わが井上家の出し物は! クラッシックのCD、書籍、エトセトラ。全ては、わが娘のかっての愛用品! 皆さまにはぜひとも、お買い上げいただきたく~! 」
 みな可笑しそうに笑う。大杉が周囲に聞こえるように返す。多少酔っている。
大杉 「おいみんな、町一番のべっぴんさんの愛用品だと! これあ、すぐに売り切れるぞ。はよう買わねば、買わねば! 」
 何人かは笑ったり、苦笑したり。
愛実 「お母さん、やめてよ恥ずかしい。‥ここにいるの、みんなご近所さんなんだから。」
信世 「ええ? ‥だから気兼ねないじゃないのさあ。」
倫幸 「大杉! 信世さんに飲み物持っていってやれ。」
大杉 「町内会長殿、了解。」
 大杉はおどけて軍隊風の敬礼。
信世 「あら、すみません。 」
渡辺 「あ、大杉さーん、わたしにも頂戴! 」
大杉 「はいはい順番な。使いっ走りさせたら、わしの右に立てるやつはおらんぞな。」
鈴木 「他に飲み物欲しい人あったら言ってくださいね。お酒、ジュース、お茶もありますよ。」
木村 「今日、あっついねえ。‥ジュースくださーい! オレンジあります? 」
阿部 「わたしも! できればアセロラがいいなあ。」
倫幸 「手塚さん、肉はどうですかな? 」
手塚 「もうちょいです。いい感じに焼けてますよ。生焼けにならないように、でも焼きすぎて肉汁をこぼさないように。‥よーし、いいでしょう! 皆さーん、お肉焼けましたよ~! さあ、はよう食わねば、食わねば~! 」
 大杉の真似をして言ったつもりだったが、ぎこちない。
倫幸 「こらあ。大声出したら、つばが飛散しますぞ。」
 倫幸は手塚のもとに行き、肉の様子を注意深く見る、位置を替えたり、火を微妙に調節する。
倫幸 「よし、‥これで完璧ですな! 」
時太郎 「会長さんも、大声、つば。」
 倫幸は指摘の意味に気づかず、笑顔で時太郎のいるところに戻る。
遠藤 「やっほーい! にくができたよ。 」
佐々木 「早く食べたいね。」
彩未 「なんか、おなかすいたねえ。」
静香 「わたしも。朝抜いちゃったし。」
 遠藤・佐々木・彩未・静香は肉を焼いたところに向う。使い捨ての箸と紙皿で肉や野菜を取る。
 粟田絹代と粟田哲修が入場。哲修は車椅子。地味な黒のセーターと茶色のチノパン。陰気にうつむいている。絹代が賑やかな雰囲気にひかれ、ゆっくり会場に入っていく。
 哲修は絹代の袖を掴む。
哲修 「余計なとこ寄んなよ! 」
 絹代は目で哲修をなだめ、哲修は仕方なく袖を離す。二人は会場の中をゆっくり進んでいく。倫幸が絹代に気づき、話しかける。
倫幸 「どうぞいらっしゃいませ。わが琴吹町主催のフリーマーケットです。‥失礼ですが、ご町内の方でしたかな? 」
絹代 「‥一応そうですね、今日引っ越して来たばかりなんですけど。」
倫幸 「ああ、いや失礼しました。わたし、琴吹町の町内会長をしております田中といいます。お見掛けしない顔だと思いましてな。」
絹代 「町内会長さんでしたか。はじめまして、わたくし、粟田と申します。今後とも何卒、よろしくお願いいたします。」
倫幸 「こちらこそ。」 
 鈴木はソフトドリンクを持って、会釈しながら二人に差し出す。絹代は恐縮しながら笑顔で受け取るが、哲修は首を横に振る。
 哲修は絹代から離れようと、会場の中を先に進む。鈴木は飲み物の種類を変えて哲修に差し出すが、哲修はやはり首を横に振る。怪訝な顔の鈴木。それを見て絹代はため息をつく。それから周りを見渡して独り言。
絹代 「町の人がたくさん集まって。‥久しぶりね、こんな景色。」
大杉 「今年も盛況になりましたなあ、会長。」
倫幸 「皆さんに楽しんでもらえて何よりですな。でも、わしの子供の頃の琴吹町は、もっと賑やかだった。‥盆踊り、花火大会、運動会。大人も子供も老人も、みんな一緒になって、大笑いして、たくさん食べて。‥今は、めっきり人も少なくなって、昔を知っとるのはわしくらい。‥寂しいもんだ。」
時太郎 「ああ、花火大会。‥初めて東京に出てきたばかりで、心細い思いしてた頃でした。‥会長さんに誘って頂いて、すんなり町の輪に入れて。あのときは本当に助かりました。」
倫幸 「娘の愛実ちゃん、そのころはまだヨチヨチ歩きでしたなあ。それが今、‥たしか16ですか。美人になりましたなあ。‥琴吹町の掃き溜めに鶴が舞い降りたようだと町内の話題になっとりますな! 」
大杉 「子供の頃は痩せてて、いつも青白い顔してましたなあ。でも、今は健康になって、身体も立派に成長して。」
 鈴木がビール瓶を持って倫幸にお酌をする。
鈴木 「会長さん。掃き溜めのお酌で申し訳ないですけど、受けてくれますか? 」
倫幸 「こりゃいかん! 」
 二人は笑いながら酌をかわす。
倫幸 「鈴木さんも、こちらに嫁入りしてきたときは、まばゆいほどの美しさでしたな。若いころの多岐川裕美そっくりで。」
鈴木 「まあ。‥そういうことはもう少し早く言ってくださいな。‥死んだ主人さえ、そんなこと言ってくれませんでした。」
 一瞬真っすぐに倫幸の目を見て、その場を離れる鈴木。鈴木を目で追いながら独り言のように言う倫幸
倫幸 「今でもお美しい。」
 哲修は車椅子を時々動かしながら、冷めた目で品物を見ていたが、愛実のいるスペースで止まり、CDを覗き込む。愛実は、よく透る明るい声を哲修にかける。
愛実 「こんにちは! 」
 明るい声につられて、哲修は思わず小声で反応。どもり口調。
哲修 「‥こ、‥ここんにち、は。」
信世 「こんにちは。いらっしゃい。」
愛実 「何か気になるものありますか? 遠慮無く見てってくださいね。」
 哲修は意味もなくセーターの袖をさすり、おそるおそる一枚のCDを指さす。
哲修 「‥そ、そこの。」
愛実 「ん? このCD、ですか? 」
哲修 「‥そそ、‥そう。はら、‥はらちえこ! 」
 哲修の声が裏返る。愛実は指されたCDを哲修に手渡す。
愛実 「原智恵子、わかるんですね。おどろいたあ。」
哲修 「‥い、一応、‥中学、ブラスバンド、でした、から。」
愛実 「へえ。‥でも原智恵子、クラシック好きでも知ってる人、なかなかいないですよ。‥嬉しいな。」
 徐々にどもりが取れてくる哲修。しかし緊張は取れない。
哲修 「ひょっとして、‥ピアノ、しているの、ですか? 」
愛実 「そう。原さんはわたしの憧れなの。‥あの柔らかなタッチ、まるで女神が踊っているような艶やかな旋律が、観客の心を虜にする。‥わたしも原さんみたいなピアニストになりたい。」
哲修 「‥俺も、原さんの、‥ショパンの、第一、聞いたこと、ある。すごかった。」
愛実 「‥あああ! わかってるう! あれはもう原さんの定番ね! でもこれは知らないでしょ? ラフマニノフの前奏曲集。20歳の時にパリで録音したものだって。レアものよ~。YouTubeにも絶対無いやつだから。」
 愛実は話しながらそのCDを哲修に手渡す。哲修はCDの表紙、裏表紙を見る。
哲修 「ラフマニノフ、アシュケナージのはよく聞いた、けど。‥原さんのタッチで、聞けたら、それも素敵だろうなあ。」
愛実 「本当によくわかってるねー。‥ねえ、どうしてそんな詳しいの? 」
 愛実と哲修はその後も話を続ける。
 絹代は様子が気になって、哲修の横に移動。
信世 「どうぞいらっしゃい。見ていきませんか? クラッシック音楽ものがありますよ。」
絹代 「あ、すみません、わたしにはクラシックは高尚すぎて。」
信世 「そうですよねー。わたしも苦手。 」
絹代 「あら? 」
信世 「旦那がクラッシック好きでさあ。娘もそれに感染しちゃって。毎日モーツアウトだの、ベートー、ビエン? だの聞かされて。‥わたしは日本のものがいいんだけどねえ。演歌とか、浪曲とか。」
 絹代は苦笑。信世はその後も気さくに絹代に話しかける。
愛実 「あのう、まだ時間大丈夫かな? いきなりでごめんだけど、もうちょっと話そうよ! ‥原智恵子の話ができる相手なんてなっかなかいないから、ストレスたまっててさ。 思いっ切り、語りたいのよ! ‥迷惑でなかったら、だけど。‥あ、飲み物持ってくるからさ! 飲みたいものある? 」
哲修 「え? ‥家で父が待ってるんだけど、す、少しくらいなら。」
愛実 「やったあ! わたしは愛実、井上愛実っていうの! よろしくね! 」 
哲修 「あ、俺、哲修。粟田哲修です。」
 愛実はさっと右手を差し出し、握手を求める。どぎまぎしながらそれを受ける哲修。
愛実 「で、飲み物何する? 」
哲修 「‥じゃ、コーラで。」
 愛実は鈴木のところから、2人分のコーラを持ってきて、一つを哲修に渡し、おどけて乾杯。やっと哲修の顔に笑顔。絹代は、哲修の明るい顔に驚き、じっと見つめ、そっとハンカチで涙をふく。哲修は気づかずに愛実と談笑。
大杉 「愛実ちゃん、片輪者の子とえらく親しくしとりますな。」
 大杉は不審な表情。時太郎は苦笑。
時太郎 「ちょっと感じが似てますね。高田さんところの啓次郎君に。」
倫幸 「わたしこの子と結婚するの、って言っとりましたなあ。幼稚園のときでしたっけ? 」
 倫幸と時太郎は快笑。


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