脚本 「かごめ」 第十場

■第十場
  前場から五時間後。トキオの自宅。夕食を終えたところ、父の亀井仁はテーブルでビジネス書を熱心に読んでいる。母の恵は、鼻歌を歌いながら食器を洗っている。姉の奈央は、テーブルから少し離れたところでテレビを見ている。トキオは、テーブルに座り、先ほどの出来事を考えている。
  テーブルの上は、各人の湯飲みがあるのみ、清潔。あかるい色のテーブルクロス。
トキオ「うちの家庭って、普通だ。」
仁「ん? どうした? 」
トキオ「父さん。世の中に、‥あの、‥上手くいってない家庭ってたくさんあるでしょ? ‥虐待とかさ。‥どうしてみんな普通にできないのかな? 」
  仁は苦笑する。
仁「普通って言うけどお前、結構大変だったんだぞ。な? 母さん? 」
  仁は苦笑する。恵は振り返り、苦笑する。
恵「そうね。‥親がもっと頑張ってれば、子供たちにもっといい暮らしさせてあげることもできたかもしれないしねー。ごめんね。」
トキオ「そんな意味じゃないよ。」
  トキオはちょっと脹れる。仁と恵は明るく微笑。
仁「トキオ。母さんは、結婚する前、かなりやりてのキャリアウーマンでな。社長から表彰を何回も受けていた。将来は会社初の女性役員に就く、とまで言われてたんだ。」
トキオ「ええ? そうなの? 」
  奈央は、視線をテレビからトキオと父に移す。
仁「でもな、結婚した。子供は欲しい。暖かい家庭を作りたい。‥どうすればそれができるのか、随分母さんと考えたり悩んだりしたけど、‥結局、夫婦二人とも働きながら子供を育てることは、そのころの俺たちの力では、どうしても無理だ、ということになった。」
奈央「そのころは育児休暇もなかったんでしょ、確か? 」
恵「そうね。女は結婚して子供を産んだら仕事を辞める、というのがまだまだ多かった。‥でもわたしは仕事を続けたかったからね。辞めるのが嫌で、いっぱい泣いた。あなたたちを産まずに仕事を続けようか、そう考えたこと何度もある。‥わかる? わたしは、あなたたちを産む前に殺してしまおうか? そう考えてたこともあるのよ。」
  明るく真剣に語る恵。ぎくりと身体が反応するトキオ。奈央は冷静に母親の顔を見つめる。 
仁「普通の家庭は、自然に出来上がらない。‥恐ろしいほどのストレスに耐えるか、何かを捨てるか、誰かを犠牲にするか。‥我が家の普通は、母さんの犠牲と、裕福さを諦めることで、ようやくできあがった。‥だけど無理して壊れていった家庭もたくさんある。‥何かの統計によると、日本では年間約1%の世帯が、児童相談所に虐待の相談をしているそうだ。‥これは恐ろしい数字だ。生徒数100人しかいない学校でも、毎年一人、誰かは虐待を受けている計算になるからだ。‥こういう悲しさ、難しさについて、もっと世間の理解が広がってくれるといいんだがな。」
  妻の犠牲を思い出し、苦い表情になる仁。トキオは美羽の父のことをずっと考えて、呆然としている。
恵「トキオ、お友達のこととかで何か困ったりしてるの? もし相談したいことあったら母さんなり父さんなりに、きちんとなさい。‥昔は、他所様の家庭のことに口を出すなんてこと滅多になかったけど。‥人の命が関わっていることに、ためらいを持ってはいけないからね。」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?