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忍辱 第三場

■第三場
 前場の翌日、午後3時、曇り空。
 舞台下手に井上家。玄関扉と居間が見える。居間には三人掛けほどの長さのクッション。中央に粟田家。玄関扉と居間が見える。玄関扉には「陀」の字を◎で囲った形の印章が刻まれている。居間には4人用の食卓テーブル。上手に富田家。簡素な玄関扉と、居間と思しき狭い空間のみ見える。(上記セットを、以後「基本セット」と表記する)
 井上家門前で倫幸と時太郎が立ち話。
 倫幸は持参のウーロン茶(ペットボトル)の蓋が手が滑ってなかなか開かずにイライラ。ようやく開けて腹立たし気に一口飲む。タオルで手と顔の汗を乱暴にふく。
倫幸 「刺されたのは佐々木洋子さん、二丁目七番地にお住まいの。」
時太郎 「‥ここから歩いてすぐのところじゃないですか。‥そんな近所の人が。」
倫幸 「いきなり男に飛び掛かられて、腕をぐさり! とやられたらしい。まあ幸い命には別条無いらしいが、ひどいもんだ。‥ただ、気になるのは、他人から襲われるような恨みなど買った覚えがない、そう言っとるんですな。」
時太郎 「‥どういうことですかね? 」
倫幸 「動機なき、ってやつの可能性もあると、警察は言っとりましたな。‥たまにニュースで出てくるあれですな。‥麻薬とかで、頭がおかしくなったやつが誰彼かまわず、無差別に人を襲うやつ。‥今後、第二第三の被害者も出るかもしれん、ということですな!」
 二人は深刻な表情。若干の間。
倫幸 「防犯活動、町の見回りも必要かもしれん。‥実際そうなったら、当然、井上さんにもご協力頂かにゃあならんですなあ。あんたもこの町の一員ですからな。」
 倫幸はじろりと時太郎を見る。時太郎は迫力におされて、たじたじとする。
時太郎 「そりゃあもちろん。‥うちにも家族はいるし、愛実はまだ高校生ですしね。もちろん協力しますよ。」 
 そこに、富田省吾が入場。手には景品が入ってる手提げビニール袋。パチンコで大当たりして、陽気な表情。歩きながら缶ビールを飲み干し、ポイと投げ捨て。
 倫幸と時太郎は会釈。省吾は無表情に二人をちらりと見て、面倒くさそうに、まるでうなずいてるような小さな会釈をして、自宅に入る。倫幸は不快な表情。
時太郎 「相変わらずですね、富田さん。」
倫幸 「まったく、ろくなやつじゃない。町内会に顔出さん。会費も払わん。マナーもなっとらん。」
 倫幸は空き缶を拾う。そして、少しためらいがちに話す。
倫幸 「‥これは言っていいのか、‥どうかわからんが。」
時太郎 「‥なんです? 」
倫幸 「実は、警察務めの知人がわしにこっそり教えてくれたんですがな。犯人は、この町に住んどるもんの可能性がある。そう言っとるんですな。」
 箒とチリ取りを持った信世が自宅から入場。
信世 「あんた、そこ掃除するよ。‥あら会長さんこんにちは。‥二人して深刻な顔して? どうしました? 」
時太郎 「すまん、大事な用件なんだ。掃除はちょっと後にしてくれないか? ‥ああこれ、うちのゴミ箱に捨てといてくれ。」
 倫幸が拾った缶を時太郎が受け取り、信世に渡す。
 信世は少し怪訝な顔をしたが、うなずき、自宅に戻りながら、陽気に浪曲「清水の次郎長」の一説を鼻歌。
信世 「親からもらった、五尺の身体~♪。」
 信世が玄関扉を閉めるのを待って、時太郎が話す。
時太郎 「この町の誰かが犯人? そんな。‥何を根拠に? 」
倫幸 「公園の脇にある隧道、犯人がそこを通って逃げていくのを被害者が見とるんですな。‥その隧道、ご存じですかな? 狭くて、天井は低くて、夜は真っ暗で‥。」
時太郎 「はい、GPSでも出てこないから、ワープトンネルって呼ばれてるあれですよね。」
倫幸 「そんな目立たんトンネルを使ったということは、土地勘のある、‥つまり地元民の可能性がある。そういうことらしいですな。」
 時太郎は、思わず辺りの住居、マンションを見渡す。
時太郎 「‥犯人が、すぐそこに住んでる人かもしれない。」
倫幸 「まあ、あくまで、その可能性があるかも、という話ですがな。」
時太郎 「いやでも、可能性あるなら、頭に入れておくべきですよ。防犯活動やるときも、そういう情報が有ると無いとでは、だいぶ違ってくるんじゃないですか? 」
倫幸 「‥言われる通りかもしれませんな。‥わしは、犯人が他所者なことを願っとりますが、‥もしこの町の者だったら、‥わしが生まれ育ったこの町を汚す者を、許すわけにはいきませんな。」
 粟田唐玄がゆっくりと自宅から入場。白に近い色の服装。手土産を持っている。
唐玄 「お話し中、失礼いたします。よろしいでしょうか? 」
  時太郎と倫幸は話に熱中して、唐玄の声でようやく存在に気づく。
倫幸 「どちら様かな? 」
唐玄 「わたくし、昨日隣に引っ越して参りました、粟田というものです。これからどうぞよろしくお願いいたします。これはほんの挨拶代わりで。」
 唐玄は倫幸に手土産を差し出す。倫幸は明るく苦笑。
倫幸 「いやいや、わしじゃあない。こちらさんだ。」
時太郎 「わたしが隣に住んでおります、井上と申します。」
唐玄 「あ、これは失礼いたしました! ‥あなたが井上さんでしたか。」
 唐玄は手土産を丁寧に差し出す。時太郎は笑いながら受け取る。
時太郎 「‥あ、こちらは‥。」
倫幸 「琴吹町の町内会長やっとる、田中倫幸と申します。今後ともよろしく。」
唐玄 「こちらこそ。どうぞよろしくお願いします。先日は妻と息子が、お肉やらお飲み物やらご馳走になったようで。」
 唐玄は、時太郎の方を見て、お辞儀。
唐玄 「‥特に息子は、久しぶりに楽しい時を過ごせたようです。本当に、ありがとうございました。」
時太郎 「ああ、そういえば、娘がそちらの、‥息子さんですよね? 仲良く話してたようですね。」
倫幸 「楽しんでいただいて何よりでしたな。‥しかし、その夜にあんな事件が。‥あんたの引越し早々、大変なことが起こりましたな。」
唐玄 「? ‥引越しは特に何事もなかった、ですが? 」
倫幸 「引越しのことじゃあない。まさか知らんわけじゃないだろ? 」
唐玄 「‥はあ。」
時太郎 「実はその日の夜、町内で女性が襲われたんですよ。」
唐玄 「‥そうなんですか。なにしろ、最近は引越しでバタバタしてまして、ろくにテレビもネットも見れてませんでして。‥そういえば、スマホの地域設定も、まだこっちにしていなかったな。」
 あまりピンと来ていない唐玄に、少しいらつく倫幸。
倫幸 「まあ、とにかく、ニュースを見ておくことですな。大変な事件が起きとるんです、今この町では! 」
唐玄 「‥はい。」
 場を和ませようとした時太郎は、軽い話題を探しながら、きょろきょろと辺りを見わたす。
時太郎 「ええと、‥そうだ粟田さん、琴吹町にはどのようなご縁で引っ越されたのですか? 」
唐玄 「実は昔、叔母がこの町に住んでましてね。高校のころはよく遊びに行って、このあたりもよく歩いてました。‥盆踊りにちゃっかり参加してたこともありまして。」
 倫幸の表情の硬さが少し取れる。
倫幸 「ほお。」 
唐玄 「家族で東京に引っ越そうとなったとき、わたしはこの町のこと思い出しましてね。いい貸物件もたくさんありまして。不動産屋と一緒にあっちこっち歩き尽くしまして、やっとここに決めたわけです。」
時太郎 「‥それじゃあ土地勘、‥ここの街並みや道にはだいぶお詳しくなったことでしょうね? 」
唐玄 「さあ、そこまで言えるかどうか。‥何か気になることでも? 」
時太郎 「あ、いいえ。‥ご自宅があちらですね。綺麗にリフォームされましたね。‥はて、玄関のところにあるマークは、何でしょうか? 」
倫幸 「家紋、ですかな? 珍しい紋様ですな。」
唐玄 「あれは、陀頼教の紋章です。」
倫幸 「ダライキョウ? 」
唐玄 「陀頼教、仏陀の陀に、信頼の頼をつなげて陀頼と読みます。私ども一家の信仰です。あれは信仰の象徴で、‥まあキリスト教の十字架みたいなもので。」
時太郎 「陀頼教。‥初めて聞く名前ですね。いわゆる新興宗教ってやつですか? 」
唐玄 「そうですね。父がチベットの原始仏教と日蓮宗に凝ってましてね。とうとう自分なりの教義まで作ってしまって、陀頼教と定めたのですよ。‥父の代には信者がまあまあいましてね、法話とか結構頻繁にやってましたねえ。」
時太郎 「すると、ひょっとして、その宗教を広めるために、こちらに引っ越されたのですか? いや、ウチは勧誘されても困りますよ。代々、‥仏教ですから。」
倫幸 「わしも、蒼龍寺の檀家をやっとる。それに、町の平穏を任されとる身からしても、あまり派手な勧誘などされると困りますな。」
唐玄 「いやいや! 栄えてたのは昔のこと。今は殆ど家族だけでやってる小さいところです。‥まあ新興宗教の中には、オウムみたいなところもありますけど、ウチのはそんないかがわしいものではありませんよ。」
倫幸 「あんたがそう思っとるかどうかは関係ない。町の人がどう感じるかだ。‥まして事件のことで、皆ピリピリしておる時だ。妙な活動は自粛していただきたいですな。」
 倫幸は、ペットボトルのお茶を少し飲む。また蓋が開きにくく、眉間に皺。
唐玄 「‥失礼ですが、信仰は毎日の生活と深くつながっているものなのです。自粛、とは、どの部分をおっしゃられてるのでしょうか? 」
 倫幸と唐玄は互いの顔を真っすぐ見る。倫幸は不快さを表に出す。険しくなった雰囲気に時太郎は慌てる。
時太郎 「ま、まあまあやめましょう! 玄関先で話し込むのは。せっかくの祝日に。」
倫幸 「あ、これは、ご自宅の前で失礼した。‥すまん粟田さん、ちょっと言い過ぎましたな。」
唐玄 「いえ、‥まだ引っ越してきたばかりで不慣れなこともあります。なにとぞご容赦くださいませ。‥それでは失礼いたします。」
倫幸 「うむ。」
 三人は軽くお辞儀。唐玄は自宅に戻る。
倫幸 「新興宗教とは、また変わったもんが来おったな。よりによってこんなときに。」
 良玄が居間の中でまたビールを飲んでいる。
時太郎 「わたしは、土地勘があるところがちょっと引っかかりましたけどね。」
倫幸 「時々、引越しで変なのがやってきて、この町の平和を乱す。あの男もそうでなけりゃいいんだが。」
 良玄が派手なくしゃみ。家の奥に歩く。
 愛実が自宅玄関から入場。ほぼ同時に、哲修も自宅玄関から入場。下手(井上家がある)方向に向かう。
愛実 「お父さん行ってきます! 会長さん、こんにちは! 」
※倫幸 「おう、愛実ちゃんお出かけか? 」
※時太郎 「どこ行くんだ? 」
 哲修は、倫幸と時太郎に気づき挨拶する。 
哲修 「あ、‥こ、こんにちは。」
※倫幸 「おう、こんにちは。」
※時太郎 「哲修君だったね。こんにちは。」
※愛実 「お父さん、わたしちょっと買い物行ってくる。すぐ帰るから。」
 愛実は哲修の存在に気づく。
愛実 「あ、哲修くん? こんにちは! 」
※時太郎 「わかった。気を付けて行けよ。」
※哲修 「あ、‥こんにちは。」
愛実 「お隣さんだったのね、びっくりした。お出かけ? 」
哲修 「‥うん、いや、さ、散歩。」
 時太郎は倫幸は互いに会釈して、時太郎は自宅に戻る。倫幸も舞台から退場。
愛実 「そっか。わたしこれからお買い物。駅前のソマリヤピアノ店。次に弾く曲を探さないといけなかったのに、すっかり忘れてて。‥そうだ。もしよかったら、一緒にきてくれない? 」
哲修 「‥いいよ、遠慮する。」
愛実 「なんか用事でもあった? 」
哲修 「ないけど、街中まで行くんでしょ? ‥俺がいくと、何かと時間かかるよ? これだから。」
 哲修はちょっとうつむき、車椅子のタイヤをポンとはたく。
愛実 「そんなの気にしないよ。時間あるし。」
哲修 「ほんと? 」
愛実 「うん。だって、ピアノに詳しい哲修くんがいてくれると、とても助かるし。」
 哲修は嬉しそうな顔になり、うなずく。
愛実 「じゃあ、行こうね。‥あ、そういえばさ、東口にある翼屋珈琲店、チーズケーキが絶品らしいのよ! ねえ、帰りに寄っていい? 」
哲修 「え? ‥うん。」
 哲修は、まるでデートみたいだな、と思い、ぽうっとしたところで、愛実が車椅子の背後にまわって強めに押す。驚く哲修。
哲修 「わわ! あんまり強く押さないでね。」 
愛実 「いいからいいから。車椅子押すの初めて。結構楽しい! 」
 愛実はあっけらかんと笑う。哲修は気が気でない。二人は舞台上から退場。
 唐玄は再び自宅玄関から入場。手土産を持って、もう一軒の隣の家、富田家に向う。インターホンを鳴らす。反応がない。続けてインターホンを鳴らす唐玄。
 富田家では、夫の省吾が、先ほどの服装で、面倒くさそうにインターホンに出る。
省吾 「ダレ? 」
唐玄 「あの、隣に引っ越してきました、粟田と申します。ご挨拶に‥。」
未来 「あーうち、そういうのイラね。」
 インターホンを切る省吾。唐玄は呆気に取られ、小首をかしげる。仕方なく手土産に、挨拶状を添えて、玄関扉脇に置き、自分の家に戻る。
 未来が居間に現れる。部屋着用の古いセーターとズボン。
未来 「さっきのインターホン、誰だったの? 」
省吾 「さあ。わけわかんねーこと言ってたから、なんかの勧誘じゃねーの? 」
 玄関に手土産があるのに気づく未来。持ち帰って、省吾に見せる。
省吾 「なんだ、それ? 」
未来 「お隣に入った人だったのね。‥何が勧誘よ、もう! あとで一緒にご挨拶に行こうね。礼儀の無い夫婦だと思われるの嫌だから。」
省吾 「だりい。やだね。」
未来 「あんたって、本当、没交渉なんだから。」
省吾 「付き合いは家族やダチだけでいーよ。」
未来 「あんた、町内会も一度も行ったことないもんねえ。‥昨日のフリマ、わたし行きたかったんだけど。」
省吾 「町内会! ‥あー、俺が一番嫌いなやつだよ。‥なんでどいつもこいつも群れるんだろなあ? そうしないと不安なやつらばっかなんだろなー。」
 省吾は、暗い表情に変わる。
省吾 「‥気味がわるいんだよ、ああいうのを見てると。」


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