ジャン・ジュネ『シャティーラの四時間』――虐殺を受け入れているのは、外から見ている我々ではないか――

1.沈黙のうちに行われた虐殺

 1982年9月、ジャン・ジュネはベイルートを訪れている。当時は長期にわたって続いていたレバノン内戦がいったん凪になっていたころだった。が、すぐさま状況は一変し、ジュネは惨劇の中に身を置くこととなる。
 1970年にいわゆる「黒い九月」事件でヨルダンを追われたPLOを始めとしたパレスチナ人たちは、その後レバノンに難民として身を寄せていた。これによって国内にイスラム教徒が増えたのを懸念したキリスト教マロン派は対立姿勢を強め、PLOとの間で一触即発の状況にまで発展する。そして1975年、マロン派の民兵組織ファランヘ党の集会が行われていた教会に向けて、PLOの支持者が発砲したのをきっかけに内戦が勃発した。
 内戦は混乱を極め、自国軍だけでは到底収めきれなくなったレバノン政府は1976年にシリアに軍事介入を要請する。シリアは当時イスラエルとの間でベイルート以南に主力部隊を駐留しない、という協定を結んでいた。が、この介入の過程でそれに抵触してしまい、イスラエルの怒りを買ってしまう。ファランヘ党から分派したレバノン軍団の要請もあって、イスラエルは徐々に内戦への介入を強めていくこととなった。
 そして1982年6月、駐英大使が狙撃された事件にPLOの関与があったとみなしたイスラエルはレバノン侵攻を決定(注1)。PLOが拠点を置いていたベイルートを包囲する。包囲戦に耐えきれなくなった結果、8月にPLOは停戦に合意しベイルートからの撤退を余儀なくされた。敗北を喫したパレスチナではあるが、停戦を受けて多国籍軍が派遣されたため、難民たちは安全に他国へと脱出できるようになった。ジュネがベイルートへの訪問を決めたのはこの時で、到着したのは9月12日だった。
 その間にレバノンでは選挙が行われ、ファランヘ党からバシール・ジュマイエルが大統領に選出される。しかし、大統領就任を目前にした9月14日、彼は爆弾テロによって暗殺されてしまった。首謀者はシリア社会民族党の党員だったのだが、イスラエルはこれをPLO残党の犯行と断定し、サブラとシャティーラにあるパレスチナ難民キャンプを包囲する。そして16日、イスラエル国防軍の照明弾を合図に、レバノン軍団の民兵たちがキャンプ内に突入し難民たちの虐殺を開始した。虐殺は18日までにかけて、文字通り三日三晩かけて行われたが、その間イスラエルは一切警告することなく傍観するだけだった。
 ジュネは18日の時点でシャティーラで何かが起こっているとの知らせを受け取っていたが、メルカヴァ戦車に阻まれ、その日のうちに現地には向かえなかった。翌19日、虐殺が終わった後になってようやく彼はシャティーラに到着する。そこにはまだ処理しきれていない遺体が多数横たわっていた。

最初に見た死体は五十歳か六十歳位の男だった。傷口(斧でやられたようだった)が頭蓋を開いていなければ、冠のような白髪がこの頭を飾っていただろう。黒ずんだ脳の一部が地面に、頭の脇にこぼれていた。全身が凝結した黒い血の沼に横たわっていた。ベルトは締まっていなかった。ズボンはただ一つのボタンで止まっていた。死者の足も脚部がむき出しで、黒、紫、モーヴ色をしていた。おそらくは夜中、あるいは明け方に寝込みを襲われたものか。逃げる途中だったのか。死体が横たわっていたのはシャティーラ・キャンプの入り口のすぐ右にある小さな路地で、この入り口はクウェート大使館の真向かいだ。してみるとシャティーラの虐殺は、つぶやきのなか、もしくはまったき沈黙のうちになされたのでもあろうか。なにしろ水曜の午後以降この建物を占拠していたイスラエル人たちは、兵士も将校も口をそろえて、何も聞こえなかった、何も気づかなかったと言い張っているのだ。

ジャン・ジュネ『シャティーラの四時間』インスクリプトp12-13

 ジュネは4時間シャティーラに滞在し、虐殺の跡を見て回っている。「およそ四十の死体」、しかも「その全員――はっきり言う、全員と――が拷問されていた」死体を直視し続けた時間は、相当なダメージを与えたに違いない。それでなくとも彼は咽頭癌に侵されていたために体力・精神力の衰えは顕著だった。シャティーラからアパルトマンに帰ったのち、「まる一日自室に閉じこもっていた」ジュネは「それから、できるだけ早く帰りたいと言い出し」、飛行機でパリへと戻った。

2.虐殺を望んでいるのはイスラエルだけでなく……

 しかし、まもなく気力を取り戻したのだろう。翌月になるとジュネは執筆にとりかかり、「シャティーラの四時間」を書き上げる。その後、サブラ・シャティーラの事件はすぐさま少なからぬジャーナリストによって報道が行われた。虐殺の主体となったファランヘ党はもちろんのこと、虐殺を近くで見ていながら何の介入も行わなかったイスラエルに対する非難も高まることとなる。それにともなって、ジュネは貴重な証言者として様々なメディアからコメントを求められる身となった。当初彼はすべてのインタビューを断っていたが、1983年12月、例外的にウィーンのジャーナリストであるリュディガー・ヴィッシェンバルトの申し出だけは受け入れている。
 インタビューの中でヴィッシェンバルトは、「たんなる傍観者であるわれわれが持ってしまう」「非現実的な見方」についてジュネにコメントを求めている。ヨーロッパにいる限り、パレスチナとイスラエルの間で生じる戦闘の犠牲者は数字だけでしか伝えられず、非現実的にしか感じられない。しかしいざサブラ・シャティーラで起こったような「じつに注目を集める事件があってはじめて、現実の死者がいること、死にかけ、死んでしまった、殺された人びとが問題であることが納得される」。このようなギャップをどのように埋めればいいのか。こうした問いかけにジュネは正面から返答せず、相手の盲点を突くような回答を示している。

ジュネ| そうだね、私がパレスチナ人のことを取りあげていろいろ言っているのは、何もあなたがたの非現実感のためではない。むしろ私にしてみれば、すべてを非現実に変えてしまうあなたがたのことを強調しておきたい。あなたがたがそうするのは、その方が受け入れやすくなるからだ。現実のキャンプに本物の手紙を運ぶ女よりも、非現実的な死者、非現実的な虐殺のほうが、結局は受け入れやすいものだ。虐殺を受け入れ、それを非現実的な虐殺に変えてしまうのは、とりわけあなたのような人ではないかね。きのうあなたはライラ・シャヒードのもたらした虐殺された人びとの写真を見たわけだが、あなたはその時はじめて本物の、スタジオで撮られたのではないドキュメントを見たということも、あながちありえないことではない。というのも、あなたがたの新聞、挿絵やジャーナリストの描写によって伝えられているあらゆる資料が、あたかもスタジオで撮影されたごとくに見られているからだ。きのうあなたが見た写真はハリウッドから来たものではない。

同p89-90

 筆者は最初にこの文言を読んで強い衝撃を覚えた。ここには、今般のパレスチナの苦境を外から見ている我々の問題点があらかた記されている、と。ただ、その内実をくわしく説明するためには、それなりの量の文章を付け加えなければいけない。
 整理しよう。ヴィッシェンバルトはふだんはレバノンで起きているような戦闘は現実でないものだと捉えていたが、虐殺を通してようやく現実のものだと思い知らされた、としている。一方でジュネは、あなたを始めとした部外者はいまだなお虐殺を現実のものとしては捉えていない、むしろ受け入れやすくするために非現実的なものに変えている、と突き付けている。
 こうした部外者の中には、40年の時を超えて、今日パレスチナで起こっているジェノサイドの報に接している我々も含まれるだろう。
 たとえばガザ地区では度重なる空爆が実施され、あろうことか病院にまで爆撃が及んでいる。多数の死者がでているばかりか、負傷者の治療に必要な物資も不足し、助かるはずの命でさえ助からない状況は、悲惨というほかない。こうした出来事を前に、我々は「とても現実とは思えない」という常套句を口にする。これだけでなく、テレビやインターネットを通じて伝えられる映像も常軌を逸している。爆撃の跡を調査していたジャーナリストの元に空から爆弾が飛んで来たり、一つの担架に包帯を巻いた乳幼児が数人乗って搬送されたり、イスラエルのブルドーザーが逃走していたパレスチナ人を容赦なく轢き殺したり……そういった様子はとてもではないが、まともな精神で視られるものではない。
 だが、いったん距離を置いて、こう疑問を呈すことも可能ではないだろうか。それらの情報や映像は果たしてパレスチナで起こっている現実を現実的に捉えているだろうか? そもそもそれらの情報や映像が流通しているのは、我々にとって受け入れやすい非現実的なものだからこそなのではないだろうか? と。
 念のために言うとこれは、それらの映像を撮影した人々が外から見ている我々をだましているのではないか、などという話ではない。たしかに、現在メディアやSNSではパレスチナで起きている状況をめぐって、様々なフェイクニュースや偽の映像が飛び交っている。それはそれで警戒を強めなければいけないが、今回取りあげるべき話題ではない。
 そうではなく筆者が訴えたいのは、我々はそうした情報や映像になぜ魅せられているのかをよくよく考えてみるべきではないか? という話だ。
 現在パレスチナで起きている事態は間違いなく傷ましい。が、我々はなぜそうした傷ましい事態に興味を向けているのだろうか? それが被害者への同情心をかきたてるからだろうか? あるいは、我々の正義心をかきたてるからだろうか? 戦争そのものへの憎悪を湧き立たせるからだろうか? おそらく、どれも正解だろう。だが、それと同時に我々はパレスチナで起きている事態が退屈な現実を忘れさせてくれるほど非現実的な出来事だからこそ関心を持っているのではないだろうか? もっと言うと、我々はそうした非現実的な情報や映像を求めているからこそパレスチナで起きているジェノサイドに関心を持っているのではないだろうか? 
 
急いで付け加えると、筆者は今日の人々がパレスチナに向けている善意を否定するつもりは全然ない。だが一方で、むごたらしい出来事に憐みの目を向ける姿勢と、退屈な現実の憂さ晴らしをするために他国の戦闘に目を向ける姿勢は十分に両立しうることは指摘しておかなければいけない。
 ジークムント・フロイトは、第一次世界大戦中に書いた「戦争と死に関する時評」で原始人には死について矛盾に満ちた態度をとる特徴があると指摘している。

 原始人は非常に奇妙な仕方で死に対処した。それは、全然統一的なものではなく、むしろ、まさに矛盾にみちていたのである。一方では原始人は死を深刻に受けとめ、それを生の終結と認めてその意味で死を利用したが、他方ではまた死を否認し、問題にもしなかったのである。このような矛盾が可能であったゆえんは、他人とか他国人や敵対者とかの死に対して原始人が、自分自身の死に対するのとは根本的に異なる態度をとった、という事情にある。他人の死は原始人にとっては当然のことであり、憎しみの対象の絶滅とみなされ、そして原始人は、その死を惹き起こすことに何らの躊躇をも感じないのであった。彼は確かに激しい気性をもち、他の動物よりも残酷であり、悪性でもあった。彼はこのんで殺人をおかし、しかもそれを自明のこととしたのである。同種の存在を殺したり、食いつくしたりすることを防ぐための本能を他の動物はもつといわれるが、原始人はそれを持たなかったのである。

ジークムント・フロイト「戦争と死に関する時評」『フロイト著作集5』p412-413

 原始人は自分の死となると深刻に考えるが、一方で他人の死についてはむしろそれを望むような態度さえ取りうる。これと似たような矛盾した感情が、部外者が戦闘を外から眺めるときにも沸き立っている可能性も否定できないだろう。頭ではこの死は深刻なことだと考えている、だが一方で、所詮この死は深刻なことではないから非現実的なものとみなしてもなんら構わないと思っている……そんな考えをもちながら我々はパレスチナの状況を見つめているのではないだろうか?
 実際、こうした疑問は筆者が独断で抱いているわけではない。ほかならぬパレスチナで起きている出来事を世界に伝えようと奮闘している人々もまた、同様の感想を抱いている。ガザ在住ジャーナリストのプレスティア・アラカドはインスタグラムで以下のように投稿している。

正直なところ、ガザやパレスチナで何が起こっているかについて報告したり投稿したりする意味を見失っています。まるで、私は人々が消費するための映画のシーンを投稿しているのではないか、と感じざるを得ません。彼らは〔ガザやパレスチナの映像に〕退屈したら他の何かを見ているのではないでしょうか。 今起こっている出来事を止めるための行動力がありながら、ただ黙って見ている人を絶対に許しません。

https://www.instagram.com/p/CzjDd7Ksoyi/?utm_source=ig_web_copy_link&igshid=MzRlODBiNWFlZA==

 メディアはガザを始めとした各地で繰り広げられている現実の中から、視聴者にとって受け入れやすいような非現実的な情報や映像を取り捨て選択しながら報じている。そして我々は、それを退屈な現実を紛らわしてくれる非現実的な出来事として消費している。そうした環境においては、現地の人々の訴えですら非現実的にしか捉えられない。それこそが今に至るまでパレスチナの置かれている状況を解決に導けていない原因の一つなのではないだろうか。
 あらためてジュネに戻ろう。彼はシャティーラに国際赤十字のブルドーザーがやってきたときのことを、以下のように描写している。

死臭は家屋から、あるいは拷問死した人々の体から出ているのではない。私の体、私の存在がこの臭いを発しているようだった。

『シャティーラの四時間』p48-49

 くさいのはむごたらしく殺された遺体ではなく、それを生者の立場からただただ傍観するしかない自分の「体」や「存在」ではないか。目の前の現実を直視せずに非現実的なものとして処理しようとする態度こそ、本当にくさいものなのではないか。そのような自覚こそがジュネをしてこのような文章を書かしめたと思われる。
 これを今日の出来事に引き付けるのならば、こうも言いかえられるだろう。確かに現在パレスチナで繰り広げられている戦闘は醜い。だが、それと同様に、遠い国で起こっている戦闘を安全圏で消費している自分もまた醜い存在なのではないか。そんな自覚こそが今日の我々にとって必要なのである。

3.非現実的な出来事が終わった後、我々は現実を直視できるか?

 本稿を書いている段階では停戦の見通しは立っていない。人質の解放と引き換えに数日間の停戦がなされるのではないか、との報は入っているが、イスラエルはこれまでも停戦を拒絶しているからどこまで信じていいのかわからない。いずれにせよ、一刻も早い停戦が求められているのは疑いないところだ。
 もっとも、それで話がすべて丸く収まるというわけではない。言うまでもないだろうが、虐殺はこれまでも何度も行われてきた。1948年、1967年、1982年、二度のインティファーダ、2008年、2014年、そして2023年……こうした大きな出来事に限らず、それ以外にも小規模の戦闘は繰り返されてきた。最初の頃はさほど関心を持っていなかった国際社会だが、徐々にパレスチナに対する関心は広がり、イスラエルに抗議する声も増えてきた。しかしながら、これは自戒も込めて言うのだが、そうした関心が持たれるのはあくまでも戦争のような非現実的な出来事が起こった時だけであって、それ以外の時期には人々はほとんど興味を持っていなかったのではないだろうか? そして、仮に今回の戦闘が停戦に至ったとして、我々はまたしてもパレスチナに対する興味を失ってしまうのではないだろうか? 筆者はそんな疑念を抱かざるを得ない。
 現に、日本では複数のパレスチナ関係の本が出版されているが、今回のジェノサイドを受けていくつかの書籍の在庫がなくなり、重版をかけなければ書店に並ばない事態が起こっている。


 もちろんそれ自体は多くの人々がパレスチナに関心を持っている証拠なのだから、歓迎すべきなのだろう。だがそれは同時に、今回の出来事が起こる前は人々がほとんどパレスチナに関心を持っていなかったことも証だてているのではないだろうか。
 これらの本はパレスチナの歴史やそれに付随する大規模な出来事を取り扱っているだけではない。いかにイスラエルが平時においてガザ地区や西岸地区に対し非道な行動を行っているか、いかにパレスチナの人々が抵抗できないまま屈従を強いられているか、いかにイスラエル内にいるアラブ人が不当な処遇を受けているか、といったことも取りあげている。つまり、これらの本には非現実的な情報だけでなく、パレスチナ人がふだんどんな現実を生きているのか、といった情報も記されているのだ。人々がそうした情報に大して興味を抱かなかったからこそ、これまでそれらの書籍の在庫が中途半端に余り、重版もかけられない状態になっていたのではないだろうか?
 もしかしたら、今回の出来事を受けて世界の意識が変わり、パレスチナをめぐる状況が急速に改善する可能性も十分にあり得る。筆者の疑念が杞憂に終わる可能性もないわけではない。だが、その可能性はかなり低い、と思わざるをえない。第一、世界が一貫してパレスチナの現実に興味を持ち続けていたのならば、とっくに問題は解決していたはずなのだ。
 どれだけの人々が、ガザ地区では抗議デモを行っていた非武装の人々がイスラエル兵によって銃で撃たれ足を失い、義足をつけていると知っているだろうか?
 どれだけの人々が、貧困と抑圧にあえぎ疲れた結果イスラームでは禁じられている自殺を選んでしまう人々さえ増えていると知っているだろうか?
 どれだけの人々が、エルサレムではイスラエルにだまされて自らが住んでいる土地を売り払う羽目に陥ったパレスチナ人が複数いると知っているだろうか? 
 どれだけの人々が、西岸地区には分離壁やユダヤ人専用の道路が張り巡らされているせいでパレスチナ人の連帯が妨げられていると知っているだろうか?
 普通に考えれば、平時においてもなおこれだけの迫害が起こっていると周知されているのなら、イスラエルはとっくに国際社会から追放されているはずだろう。
 にもかかわらずまたしてもジェノサイドが起こってしまったということは、我々がパレスチナの現実に継続的に興味を持てなかったことを意味すると言わざるをえない。これらの現実は、多数の人々が殺されるジェノサイドに比べると地味で興味を惹かない話題なのだろう。非現実的な情報や映像を好む人にとってはつまらなく、長い時間聞いていられない話なのである。(注2)
 ジュネは先程のインタビューの中でこうも述べている。

ジュネ|〔……〕一人一人の人間の反抗はなくてはならないものだ。人は日常のなかで小さな反抗を遂げるものだ。ほんの少しでも無秩序をきたすやいなや、つまり特異で個人的な自分だけの秩序をつくり出すやいなや、反抗が遂げられるのだ。

同p99

 こういった「小さな反抗」は、必ずしも他人の目を惹くような非現実的なものとは限らないだろう。きわめて現実的で、つまらない、にもかかわらず本人にとっては痛切な反抗であるかもしれない。それに対して、一体どうしたら我々は関心を向けられるようになるだろうか?

脚注

注1 実際に駐英大使を撃ったのはイラクの支援を受けた過激派組織アブ・ニダル機関だった。この組織のトップであるアブ・ニダルはパレスチナ出身であり、ファタハに所属していた過去もある人物である。しかし、イスラエルとの平和的解決を模索していた指導部と、徹底抗戦の構えをとっていたニダルは対立していた。その後マフムード・アッバースの暗殺計画を立てたのが露見したことなどもあって、ニダルはファタハから離脱した。これらの背景を踏まえれば、駐英大使の狙撃とPLOの関連を認めるのは不可能だ(当然、PLOは関与を否定している)。しかしながら、こうした情報を伝え聞いていたにもかかわらず、当時のイスラエル首相メナヘム・ベギンを始めとした首脳部はそれを無視してレバノン侵攻を決定する。彼らがPLOとニダルの関係性を熟知した上であえてそのような決定に至ったのか、それとも単に理解力に欠けていたために二ダルがパレスチナ人ならPLOとも関係があるに違いないなどと短絡を起こしてしまったのかはわからない。いずれにせよイスラエルが駐英大使の狙撃を、PLO撲滅のための格好の口実と捉えたのは疑いえないだろう。

注2 もちろん、人間が関心を持てるトピックの総量は限られている、という事実は十分に理解する。昨今の情報社会において、膨大な情報を詰めこまれたれた挙句アパシーにまで陥ってしまう人々が増えているのは周知の事実だが、今日の世界には単に処理すべき情報が多いだけでなく、関心を向けなければいけないトピックが溢れすぎている。パレスチナだけではない。ウクライナ、スーダン、ミャンマーなどでは依然戦争や内戦が続いている。ウイグルやロヒンギャなどの少数民族の迫害も現在進行形の出来事だ。それらの問題に関心を寄せつつ同時にパレスチナの現実にも目を向ける、というのは我々にとってあまりに難しい。まことに腹が立つ。それらの戦争や迫害が起こっていることにも腹が立つが、それらすべてに等しく大きな関心を向けることができない自分自身にも筆者は腹を立てている。


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