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推定無罪は的外れ?

カンニング竹山 池袋暴走事故初公判 メディアでの報じ方、キケンじゃないか?〈dot.〉(AERA dot.)
#Yahooニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/0d7bb0a00d0c2a4651127e4722582b54d7a0de8b


私の拙い話を聴いてください

この件で「推定無罪の原則」を持ち出すのは的外れなのでは? と、私の果汁がたっぷり入ったオレンジ色の頭は感じてしまったのです

裁判で無罪を主張するのは問題ありません
判決が確定するまでは有罪じゃないのだから犯人扱いするなと、おしゃられるのならそうなのでしょう

でもです

今回の件の場合は、

『自分の行為で人の命が失われた』

という事実があるのです

この場合の自分の行為とは、車に乗りエンジンをかけて走り出したという行為です

これは有罪であろうと無罪であろうと、変わらない事実なのです

自分に置き換えてみると、車の問題だろうがなんだろうが、自分がしてしまった罪の大きさに、いてもたってもいられず、自責の念にかられ、日常生活もままならない状態で、とにかくとにかく謝ることしかできないでしょう

でもです

会見で怒りを隠そうともせずに悔しそうに語る遺族の姿を見ていると、そこまでの謝罪が被告人から行われているとは到底思えないのです

この状況では、法的にまだ無罪、といことよりも前に「人としてどうなんだろ」と私は思います

遺族が許すことはないでしょう、それでも、少なくとも遺族の怒りが収まるくらいの謝罪は、人として必要なのではないでしょうか?

裁判を通して、遺族は、さぞ悔しいだろう、悲しいだろう、と想像せずにはいられません

つまるところ、少なくとも私は、判決に関係ない推定無罪の原則の手前のところで怒りを覚えているのです

なので、推定無罪の原則を持ち出されて「ちょっと的外れかな〜」と感じてしまったのは、そういう理由からだったのです

「推定無罪の原則」はとても大事なことです
それだけに的を射た議論をお願いします



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