正しいか間違いかは、小さな「わくっ」が教えてくれるかもしれない

私は今、何も持ってない。


そして、最近ずっと考えていることがあります。

それは、


「正しい」と「間違い」の基準はどこにあるんだろうか。


ということ。


例えば大学生の私が、このまま就職をするか自分を見つめ直すために一旦休むかっていうこのふたつの選択があったとして、その分かれ道の先にもそれぞれまた分かれ道があるとします。

就職を選んだら、いい環境でのびのび仕事ができたり、逆に自分の自信をなくしていってしまうこともあるかもしれない。大学を休むことを選んだら、休んでる間にやりたいことが見つかったり、逆に何も見つけられない自分を嫌いになっていくかもしれない。これだけじゃなくて、分かれ道はずっと私たちの前に「また来たよ〜」ってやってくるし、その選択肢も限りないから、結果がどうなるかなんてほんとに誰にも分からない。自分でも自分の人生がどうなるか全く分からない。


だからこそ、何を基準にしていいのかも分からないし、それぞれの正しいも違うから、そういう周りの言葉とか自分の気持ちをごちゃまぜにして考えれば考えるほど、ますます迷路から抜け出せなくなる。


今の私がまさにここで、迷いに迷っています。迷路の1番楽しいところです、たぶん。


それで思ったんです。


「自分の心が少しでも『わくっ』と鳴る方を選べばいいじゃないか」

と。


こんなことを言ったら、いや何を当たり前のことを言ってるんだい、それが簡単にできたらこんなに苦しんでないよ、こんにゃろう!

と思われそうですが、正直私も今迷路中なので絶対にこうするべきだなんて思えてません。


ただ、自分で自分の人生を先回りして知ることができないなら、外から見た基準とかは一旦置いて、小さくても曖昧でも、今の自分の「わくっ」に素直になってもいいのかもしれないなあ。

という気持ちでいます。


不安は0にはできなくて、この選択で良かったのか考えることは止められなくて、

それでも、正しいとか間違いとかの基準は、自分の「わくっ」が生まれたかどうかにしてみると、自分の中の小さい芽を大事に育てられるのかも。

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