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流れ行く景色と共に

 一つのことに集中する事が苦手だった。
 今だってそうだ。文字を起こしている最中でも、動画を再生したり、ゲームをしたり、すぐ他の事に意識が向いてしまう。そのため、一つのことを終わらせるのに、人並みよりも時間を要してしまう。

 住まいだってそうだ。同じ部屋数、間取り、家具、陽当たり。窓から見える景色も、インターホン越しに見える景色も、何もかもが変わらない。
 そんな生活に飽きてきてしまっている。
 ならば引っ越せばいいというアドバイスは野暮である。金銭と欲望を天秤にかければ、金銭に傾くのは言うまでもない。
 けれど、もし、万が一にもそんな機会が巡って来るのであれば、私は川の上に住んでみたいと思う。

 川は常に流れ、雨が降れば流れが加速する。
 夜寝て、朝起きた頃には知らない景色が広がっている。その度に、目を輝かせて呟くだろう。

「ここはどこなんだ!?」

 同じ言葉を魚に投げかけてみる。
 初めは言葉が伝わらなくても、川の上に住む僕の噂は、あっという間に広がるだろう。

 そうだなぁ。川の上に住むのであれば、橋にかかってはいけない高さだから、平屋かな。
 幅にも制限があるから、横長ではなく、縦長に。
 沈んでしまわないように家の下には浮き輪でもつけよう。それから、匂いを存分に楽しみたいから木造建築で。
 電気は通っていないけど、水力と風力、太陽光から供給するとしよう。
 洗濯とお風呂は川でできるし、水分補給も、ろ過すれば問題ない。
 速い流れでぐちゃぐちゃにならないように、家具はしっかりと固定して。
 なんだか、船みたいだな。

「もうすぐ、海です」

 魚から声が聞こえてきた。
 海。
 人生のような川の流れに乗って進んでいた僕は、気づけば海を目の前にしていた。
 潮の匂いが鼻を刺激し、塩分を含んだ水が私の舌をいじめてくる。
 見たことのない景色を求めていたら、海に着いてしまった。
 しかし、これはまずいことである。
 だって、海の上は景色が変わらない。

 寝ても覚めても景色が変わらなくなってしまった私は、何もやる気が起きず、布団の上で波に揺られていた。

「こちらへ来ませんか?」

 後頭部から声が聞こえてきた。
 魚のような、でも、人間のような、不思議な声だった。
 急いで立ち上がり、ドアを開けて、海中を覗く。
 覗いて、覗いて……気づけば海に顔を突っ込んでいた。

「こちらです」

 声の方を向くと、人魚がいた。
 絵本や都市伝説でよく見られる人魚だ。上半身が人間で、足がヒレとなっている、あの。

「私は人間です。そちらへはいけません」

 話して、変な間が空いてから気づいた。海中で口を開いているにもかかわらず、うまく話す事ができていたのだ。

「さぁ、こちらへ」

 人魚は手で招いた後、さらに深くへ泳いで行く。

 バチン、バチン、バチン、バチン、

 破裂音がしてから、家が段々と沈んでいる事に気づいた。
 けれど、気づいても動じることはなかった。
 だって、私は、本当は、海の中で生活してみたかったのだから。海中でもうまく話す事ができるし、呼吸も問題なかった。
 今の私なら、海の中で生きる事ができる。
 少なからずの恐怖心を抱きながらも、沈んでいく家の速さに身を任せる。
 下半身から徐々にひんやりと冷たいのが伝わってくる。
 頭まで潜ると、その冷たさが当たり前であるように、体に馴染んでいた。
 川の上で過ごしていた頃とは段違いに景色が輝いていた。
 太陽の光を浴びるサンゴ礁や、魚の鱗、魚の泳ぎで生まれる泡。全てが私にとって新鮮で、かけがえのないものだ。
 魚になったような感覚に陥り、その景色に見惚れていると、ふと、我に帰る。
 それから、変に安心感を抱いた私は家の中に入り、普段通りの生活を始めた。
 食事を摂り、歯を磨いて、雑誌を読み、ゲームをして、眠たくなったら眠る。
 海中であっても、差し支えなかった。

 ガッタン

 揺れと共に家の着地を知らせる。
 外へ出てみると、言葉では表せないほど素晴らしい景色を背景に、人魚がやってくる。

「同じような景色に見えても、それは同じではありません。空の雲の形は全て異なります。晴れている時も、雨の時もあります。新しい建物や植物だって、昆虫だって、魚だって、人間だって、その場に留まり続けるわけではありません。姿形は変わって来ます。だって、あなた……」

 私は気づけば地に足をつけていなかった。

「環境に合わせて、姿を変えているではありませんか」

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