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イラスト名建築ぶらり旅 with 宮沢洋&ヘリテージビジネスラボ④

計算ずくのゆるり感、山縣有朋は名建築家?

今回の行き先
無鄰菴(むりんあん)

「無鄰菴(むりんあん)の庭園を見ると、山縣有朋は優しい人だったということが分かります」。えっ、山縣有朋って、歴史の教科書で怖い顔をしているあの人? 「名建築ぶらり旅」なのに庭園?……と、今回も、並みの建築好きとは違う方向から切り込んできた案内役の西澤崇雄さん(日建設計ヘリテージビジネスラボ)。だからこの連載は楽しい。

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歴史的建物とともに暮らす豊かなライフスタイルを伝える「イラスト名建築ぶらり旅」。4回目の今回は、京都・東山の麓(ふもと)、南禅寺参道前にある国指定名勝の無鄰庵庭園を訪ねた。内閣総理大臣も務めた明治・大正時代の政治家、山縣有朋(やまがたありとも、1838~1922年)の別荘である。1894年(明治27年)から1895年(明治28年)頃にかけて造営された。近くには京都市動物園や、岡崎地区の文化施設ゾーン(例えば京都市京セラ美術館)がある。

庭園と母屋・洋館・茶室の3つの建物によって構成される。庭園は七代目小川治兵衛(1860年~1933年)により作られたもので、「近代日本庭園の傑作」とされる。小川治兵衛は近代日本庭園の先駆者とされる伝説の庭師だが、この庭園は山縣が細かく指示を出しており、「山縣が小川の才能を開花させた」ともいわれる。

「無鄰菴」ってどんな意味?

ということで、今回は、建築は脇役で主役は庭園である。「無鄰菴(むりんあん)」といっても、関東の人にはなじみが薄いかもしれない。まず、無鄰菴とはどういう意味なのか。

山縣有朋は「無鄰菴」と名付けた邸宅を生涯に3つつくった。初代は山縣の郷里、長州・下関の草庵。これが名前の由来で、「訪問したことを隣家にことづけようにも、隣家が見当たらないほど田舎だ」という意味なのだという。

2代目無鄰菴は、京都の木屋町二条の別邸(現・がんこ高瀬川二条苑)、そして3代目がここ京都・南禅寺参道前の無鄰菴だ。山縣が3代目無鄰菴をこの地につくった背景には、南禅寺下河原一帯を別荘地として発展させようとしていた当時の政財界の動きがあったといわれる。やっぱり怖い政治家っぽいですよ、西澤さん。「まあ、とにかく見てください」。私が絶対気に入るはずという自信があるようだ。では、入ろう。

西側の入り口を入ると、すぐに木造2階建ての母屋(設計者・施工者とも不詳)がある。母屋の玄関を上がり、坪庭をぐるっと回って東側の座敷へ。「おおっ」と思わず声が出る。

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これは屋内にいながら、印象としては「100%庭」。東と南の2面が全面開放。横長のスクリーンを見るように上下が暗がりで切り取られ、緑が鮮明に浮かび上がる。普通のスクリーンと違って、中心が鼓形に折れているので、矢印に導かれるように視線が中心に集中する。

芝生を多用し、見事な視線の“抜け”

視線の先に広がる庭も、日本庭園でよく見る「うっそうとした緑」と「ゴツゴツした岩」ではない。東西に細長い庭の真ん中部分がほとんど芝生で、スカッと抜けているのだ。芝生面は、丘とも呼べないような微妙な起伏がつけられ、その間をそよそよと川が流れる。置かれた石も平べったい。里山のような穏やかな風景だ。西澤さんが「山縣有朋は優しい人」と言ったのは、こういう意味だったか。

案内してくれた植彌(うえや)加藤造園・知財企画部部長の山田咲さんはこう言う。「今見ると、古くからの自然のように見えますが、辺り一面が畑や松林だったそうです」。なるほど、だからこういう視線の抜けがつくれたのか。もともと森だったら、なかなかこうはできまい。「日本庭園のメインの視対象に芝生を使うということ自体、当時の京都ではとても珍しかったようです」(山田さん)。

この施設は京都市の所有だが、2016年から指定管理者制度で植彌加藤造園が管理運営している。入園料は600円。せっかく来たなら座敷で一服がおすすめ。飲み物とスイーツのセットが付いた「喫茶付き入場券」は1600円だ。


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母屋の2階から見下ろすのも気持ちがいい。この部屋は、時間借りして独り占めできる。

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写真1 母屋2階

「ここを1日借りて、庭を眺めながら本を読むという方もいらっしゃいました」と山田さん。うーん、それは贅沢。

建物から見るための庭?

あくまで筆者の主観だが、この庭園は、「建物から見る」ことを最優先してつくられていると思う。面倒くさがりの人は、庭園を散策せずに、涼しい母屋の中から庭を見るだけでも魅力の80%は味わえる。“建築体験としての庭”なのだ。そういう意味では、「名建築ぶらり旅」という連載にふさわしい。

なぜそう思うかというと、1つは、庭の配置。母屋から見て手前(西)側を芝生で開放的につくり、奥(東)にいくほど両側(南北)から高木がせり出してくる形にした。これは限られた敷地で遠近感を強調するためだろう。そして、東側の緑の上には、庭のパースペクティブと呼応するように「東山」の稜線を見せる。

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もう1つは、庭から見たときの母屋2階の屋根の形。寄せ棟の北側が垂直に切り落とされたような形なのである。

母屋の外観_IMG_1464

写真2 母屋の外観

最初からこんな変な形の屋根をつくる棟梁がいるとは思えない。これは、母屋の建設途中か、あるいは建設後に思い立って坪庭をつくったからではないか。なぜそんなに坪庭をつくりたかったかというと、おそらく、玄関から坪庭ごしに、庭園が見えるという、「チラ見」の演出がしたかったからだろう。そのくらい山縣は西側からの見え方に自信を持っていたのだ。

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遠近感や起伏を巧みに利用

とはいえ、その魅力を100%、いや120%味わうにはやっぱり庭を散策したい。

「飛び石」「砂利道」「結界」といった日本庭園の“作法”は奥が深過ぎて門外漢の筆者には語れない。それは現地で案内のスタッフに聞いてほしい。だが、そういう作法を知らなくても、建築好きにはいろいろ発見がある。

例えば、水の流し方。琵琶湖疏水からの取水口は敷地の東端にあって、水はそこから滝のように一気に落とされた後、緩やかな傾斜でいったん池のように広がり、母屋近くでは細いせせらぎとなる。池は、母屋の座敷からは見えそうで見えない。これは庭園を散策したくさせる誘導だろう。

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写真3 滝

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写真4 池

そして、池やせせらぎの水深が驚くほど浅い。どこも水底が見える浅さだ。よく埋もれないなあ、と思っていたら、山田さんが教えてくれた。これは頻繁に庭師が箒で泥を除去しているのだという。そして、川底は土ではなくモルタル。一見、穏やかな里山に見えるが、限られた水量を効果的に見せる“考え尽くされた庭”なのだ。

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写真5 せせらぎ

筆者はひねくれ者なので、山縣が「優しい人」だったかは分からない。だが、山縣が並外れた建築的センスの持ち主だったことは分かる。たぶん、建築家になったとしても名を成したのではないか。

市民を巻き込み、文化財を「育む」

ところで、無鄰菴は「国指定名勝」という文化財でありながら、運営者の植彌加藤造園に対して「2020年度グッドデザイン賞」や「2021年度日本造園学会賞」が授与されている。明治期のものなのにどういうこと? 

グッドデザイン賞も日本造園学会賞も、市民を巻き込んだ運営が評価された。1つは「無鄰菴フォスタリング・フェロー」という制度。市民ボランティアに庭の文化財としての価値を研修し、施設の中でそれぞれのペースで活動してもらう「ともに庭を育む」体制を築いている。

もう1つはさまざまなイベント。お茶や和菓子のイベントはもちろん、写真展やアート展など意外な企画も実施している。

洋館では明治の転機となった「無鄰菴会議」

イベントでは茶室や洋館も活躍する。洋館について少しだけ触れておくと、このレンガ造2階建ての建物は、1903年(明治36年)4月21日、「無鄰菴会議」という歴史的な会議が開かれた場でもある。折り上げ格天井が特徴的な2階応接室で、山縣有朋、伊藤博文、桂太郎、小村寿太郎の4人により、日露戦争前夜の外交方針を話し合う会議が開かれた。この部屋は通常障壁画の保存上窓が閉め切られているが、会議の開かれた4月21日は特別に換気も兼ねて外光を入れて公開している。

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実は今回、西澤さんが無鄰菴を案内してくれたのは、日建設計ヘリテージビジネスラボが無鄰菴の3棟の建物(母屋、茶室、洋館)の耐震調査を担当しているからだ。いずれ何らかの工事が実施されると思われるが、そのときにも「工事の様子を庭から見学できるようにできれば」と山田さんは話す。文化財の新しい見せ方として、ぜひ実現してほしい。

■建築概要
無鄰菴
所在地:京都市左京区南禅寺草川町31番地
敷地面積:3,394㎡(文化財指定面積)
建築主:山縣有朋
作庭:七代目小川治兵衛
造園期間:1894~1896年

<母屋>
竣工:1896年(明治29年)
設計:不詳
施工:不詳
構造・階数:木造、平屋建て一部2階建て
<洋館>
竣工年:1898年(明治31年)
設計:新家孝正
施工:清水満之助
構造・階数:レンガ造、2階建て
<茶室>
竣工:1895年(明治28年)頃に移築
構造・階数:木造・平屋

■利用案内
休場日:12月29日から12月31日までの3日間
交通アクセス:京都市営バス 京都岡崎ループ「南禅寺・疏水記念館・動物園東門前」下車徒歩4分、「神宮道」または「岡崎公園・美術館・平安神宮前」下車徒歩約10分。京都市営地下鉄東西線・蹴上駅から徒歩約7分。京都駅からタクシーで約20分。
開場時間:4~9月は午前9時~午後6時、10月~3月は午前9時~午後5時(最終入場は、閉場時間の30分前まで)入場料:600円(小学生未満は無料、市内在住の小学生や70歳以上の方は無料)
無鄰菴カフェ:午前9時~午後4時30分
公式サイト:https://murin-an.jp/


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取材・イラスト・文:宮沢洋(みやざわひろし)
画文家、編集者、BUNGA NET編集長
1967年東京生まれ。1990年早稲田大学政治経済学部卒業、日経BP社入社。建築専門誌「日経アーキテクチュア」編集部に配属。2016~19年、日経アーキテクチュア編集長。2020年4月から磯達雄とOffice Bungaを共同主宰。著書に「隈研吾建築図鑑」、「昭和モダン建築巡礼」※、「プレモダン建築巡礼」※「絶品・日本の歴史建築」※(※は磯達雄との共著)など


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西澤 崇雄
日建設計 新領域開拓部門ソリューショングループ ヘリテージビジネスラボ
アソシエイト ファシリティコンサルタント/博士(工学)
1992年、名古屋大学修士課程を経て、日建設計入社。専門は構造設計、耐震工学。
担当した構造設計建物に、愛知県庁本庁舎の免震レトロフィット、愛知県警本部の免震レトロフィットなどがあり、現在工事中の京都市本庁舎整備では、新築と免震レトロフィットが一体的に整備される複雑な建物の設計を担当している。歴史的価値の高い建物の免震レトロフィットに多く携わった経験を活かし、構造設計の実務を担当しながら、2016年よりヘリテージビジネスのチームを率いて活動を行っている。



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