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イラスト名建築ぶらり旅 with 宮沢洋&ヘリテージビジネスラボ⑭

脱・建て替え時代の全天候型広場

今回の行き先
新宿住友ビル三角広場

この連載で2回目に取り上げた「名古屋テレビ塔」(現名称は「中部電力 MIRAI TOWER」)が国の重要文化財に指定される見通しとなった。かつては木造の寺社仏閣や戦前のレンガ建築が指定されるイメージだったが、戦後の建築も重要な「ヘリテージ」であると伝えているこの連載にとって、うれしいニュースだ。
 
個人的にもう一つうれしいのは、1954年完成の名古屋テレビ塔が、「建った当初の姿」ではなく、放送用スペースのホテルへの改修や免震装置の追加など、新しい使い方のためにかなり手が入れられていることだ。寺社仏閣と違い、戦後の建築は、使い続けてこそ意味がある。そのためには時代に合わせた変化も必要。名古屋テレビ塔が重要文化財となったのは、国(文化庁)がそういう姿勢を後押ししている証左と見ることができる。

この流れでいくと、超高層ビルが重要文化財に指定される日が来ても不思議はない。日本初の超高層ビル「霞が関ビルディング」(1968年完成)は歴史的重要性から見て最有力候補として、今回訪ねた「新宿住友ビル」(1974年)も、「使い続けるために変化を遂げた超高層ビルの先駆け」として同様に有力な候補になると筆者は勝手に考えている。同ビルは2020年、大規模な改修工事を終え、最先端の都市的建築に生まれ変わったのだ。

タワーの足元にガラスの大屋根

新宿住友ビルは、本連載ガイド役の西澤崇雄さんが所属する日建設計の大先輩たちが設計を担当した。鹿島・竹中工務店・住友建設の3社JVの施工により、1974年に竣工。印象的な三角形の外観から「三角ビル」の愛称で親しまれてきた。

写真1 竣工当初の航空写真
写真2 改修後の外観写真

今回リポートするのは、2020年7月にお披露目となったイベントスペース「三角広場」だ。ビルの足元に、ガラス屋根で覆った、全体で約6,700㎡の屋内大空間を新設した。見た目にはわからないように、タワー部の揺れを抑える制振改修も同時に行った。
 
改修の基本構想と総合監修は、所有者である住友不動産が自ら行った。基本設計と実施設計を原設計者である日建設計が担当し、実施設計・施工を大成建設が担当した。施工期間は2017年9月~2020年6月。3年弱を要する大工事だったが、工事のためにビルを休館することはなく、オフィステナントの移転すらしていない。いわゆる“居ながら”で行う超高層ビルのリニューアル工事は珍しい。

ガラスの大屋根は、ビル足元の空地全体を覆っている。「三角広場」と名付けられた、だれにでも利用できる大きなまとまったスペースができたのは、かつて北側の2階にあった屋外駐車場や車寄せなどを、外周部の車路躯体を残して解体できたからだ。
 
1980年代半ば以降、大型ビルの足元に「アトリウム」と呼ばれるガラス張りの大空間が増えた。ガラスの大空間は見慣れてきたとはいえ、途中に柱がないこれほど大きなガラス屋根を見たのは初めてだ。ガラス面が比較的低い位置に広がるので、ガラスに包まれている感が強い。

タワーに寄りかからず自立するアトリウム

建築関係でない人は驚くかもしれないが、このアトリウムは構造的に独立している。超高層ビルに寄りかかっているのではなく、ガラスの大屋根部分だけで自立しているのだ。これは、既存のタワーに地震の影響を与えない。広場内に見えるタワー壁面は、既存の壁ではなく、新たに増築した部分なのだ。

1カ所だけガラスの大屋根に覆われていない部分が設けられている。保存樹のクスノキが、ガラス屋根の構造体の間から顔をのぞかせている。

写真3 保存樹廻り

このクスノキは竣工時の位置にあり、これを残したまま工事を進めた。ただでさえ難しい工事なのに、この保存樹を残すためにどれだけ神経を使ったかを考えると、施工者たちに頭が下がる。

写真4 南東側のアトリウム内

プロジェクトのスタートは四半世紀前

現地を案内してくれたのは住友不動産ビル事業本部企画管理部チーフエンジニアの山田武仁氏。山田氏に聞いた話で特に驚いたのが、プロジェクトのスタート時期だ。「大屋根構想」の検討は、なんと四半世紀前の1996年から始まっていたという。
 
タワーの足元の広場は西新宿の高層ビルが立ち並ぶ影響で、風雨やビル風に悩まされていた。20年たった頃にはすでに、「東西地区間回遊」や「地上地下の回遊」によって街のにぎわい再生を図ることが重要課題となっていた。その解決のため、日建設計を交えてガラスのアトリウムが検討された。だが、当時のイメージ図を見せてもらったが、都市計画や基準法などの制約条件から、アトリウムにできる範囲が限られている。
 
「大屋根構想」に強い思いを抱き、理想像と実現に自ら陣頭指揮を執っていたのは、住友不動産の高島前会長であったという。
自身も一級建築士である山田氏は、当初からずっとこのプロジェクトの担当で、日建設計と大屋根の案を考えてはプレゼンし、その度に「理想像とは何か、これを追求せよ」と突き返されていたという。

居ながら工事を可能にしたアイデア

「この方法ならいけるかも」と山田氏が手応えを得たのは、タワー本体の改修方法に道筋が見えたときだった。前述のように、今回の工事は三角広場の新設とタワー部の揺れを抑える制振改修を同時に行っている。2011年の東日本大震災の教訓から、大地震時の長く大きな揺れ(長周期振動)を抑えるニーズが高まっていた。しかし、そうした改修では、制振装置を加えるためにオフィスフロアをつぶしたり、工事中にオフィステナントをいったん別のフロアや別のビルに移すなどするのが一般的である。
 
ここでは新たな制振システムを用いた。49階と2階を長い鋼製のロッド(棒)でつなぎ、2階部分に揺れのエネルギーを吸収するダンパーという装置を設置するものだ。ロッドは直径267mmで、長さ約170m。各コーナーに4本ずつ計12本配置した。

この手法はどの超高層ビルでもできるものではない。新宿住友ビルには、3カ所のコーナー部に設備メンテナンス用のバルコニーがあり、その床に穴を開けてロッドを貫通させることを発案した。ダンパーは2階と低い位置なので外部から設置したため、テナントを移転させずに工事を進めることが可能になった。
  
今回はこれまでになく技術的な話になったが、伝えたかったのは、事業主のビジョンの重要性だ。長く使われる建築は、建築家の思いだけでは実現しない。技術の突破口を開く原動力となるのは。「理想」を追い求める事業主の思いだ。もし、このビルが構想当初の法規内でできた案でアトリウムを増築していたら、それはそれで話題になったとは思うが、「帰宅困難者の受け入れ」といった現代の都市的ニーズには答えられてはいなかっただろう。
 
「超高層ビル解体」のニュースが当たり前になりつつある昨今、「巨大な超高層ビルこそ長く使い続けるヘリテージである」というメッセージを、この三角広場は発信している。

■新宿住友ビル
所在地:東京都新宿区西新宿2-6-1
敷地面積:1万4,446.46㎡
<当初>
延べ面積:17万6,443.21㎡
構造:鉄骨造・鉄筋コンクリート造・鉄骨筋コンクリート造
階数:地下4階・地上52階
高さ:210m
施工期間:1971年11月~1974年3月
発注者:住友不動産
設計・監理:日建設計
施工:鹿島・竹中工務店・住友建設JV
<三角広場・全体改修>
施工期間:2017年9月~2020年6月
延べ面積:18万195.16㎡
アトリウム面積:約6,700㎡(うちイベントスペース約2,600㎡)
天井高:約25m(有効22m)
最大収容:約2,000人
発注者・基本構想・総合監修:住友不動産
基本設計・実施設計・監理:日建設計
実施設計・監理・施工:大成建設

TOP写真 ©️DINO-A-LIVE AMAZING DINOSAURS ART EXHIBITION ON-ART Corp.
写真1 新建築社
写真2 (株)エスエス


取材・イラスト・文:宮沢洋(みやざわひろし)
画文家、編集者、BUNGA NET編集長
1967年東京生まれ。1990年早稲田大学政治経済学部卒業、日経BP社入社。建築専門誌「日経アーキテクチュア」編集部に配属。2016~19年、日経アーキテクチュア編集長。2020年4月から磯達雄とOffice Bungaを共同主宰。著書に「隈研吾建築図鑑」、「誰も知らない日建設計」、「昭和モダン建築巡礼」※、「プレモダン建築巡礼」※、「絶品・日本の歴史建築」※(※は磯達雄との共著)など

西澤 崇雄
日建設計エンジニアリング部門 サスティナブルデザイングループ ヘリテージビジネスラボ
アソシエイト ファシリティコンサルタント/博士(工学)
1992年、名古屋大学修士課程を経て、日建設計入社。専門は構造設計、耐震工学。
担当した構造設計建物に、愛知県庁本庁舎の免震レトロフィット、愛知県警本部の免震レトロフィットなどがあり、現在工事中の京都市本庁舎整備では、新築と免震レトロフィットが一体的に整備される複雑な建物の設計を担当している。歴史的価値の高い建物の免震レトロフィットに多く携わった経験を活かし、構造設計の実務を担当しながら、2016年よりヘリテージビジネスのチームを率いて活動を行っている。



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