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タワーの耐震改修 ―都市のシンボルを地震から守る― ①タワーの歴史

樫本 信隆
日建設計 エンジニアリング部門 構造設計グループ
ダイレクター

東京タワー、東京スカイツリー®、名古屋テレビ塔(現 中部電力MIRAI TOWER)、神戸ポートタワー、横浜マリンタワー。
これらに共通するものは何でしょうか?
「都市のシンボルとして親しまれている」のはご存じだと思いますが、「いずれも日建設計が設計または改修設計したタワー」なのです。
2012年に竣工した東京スカイツリー®は、最先端の技術を用いて高い耐震性能を有していますが、竣工後60年以上を経過している東京タワー、名古屋テレビ塔、神戸ポートタワー、横浜マリンタワーも、耐震改修を実施して地震に備えています(神戸ポートタワーは現在耐震改修工事中)。
タワー(ここでは一般の超高層ビルではなく、鉄塔をタワーと呼びます)の生い立ちを振り返るとともに、その耐震性能向上の方法について、2部構成でご紹介します。

タワーの歴史

18世紀の産業革命により建築材料や技術が発達すると、建築物の高さは飛躍的に高まりました。
フランス革命100年を記念してパリで開催された、第4回万国博覧会のシンボルとして1889年に竣工したエッフェル塔は、それまで150m程度だった建物高さを一気に飛び越し、初めて高さ300mを超えた建造物です。
一方シカゴで発達した超高層建築は、1930年台にはニューヨークを中心に高さ300mを超える超高層建築物が建設されるようになりました。

日本でも明治時代以降の文明開化の波に乗り、浅草に12階建ての高層建築物が1890年に竣工しました。人気アニメ「鬼滅の刃」にも登場する、浅草の凌雲閣です。しかし、煉瓦造(上部木造)の凌雲閣は1923年の関東大震災により半壊し、撤去されました。また、この直前の1920年に施行された市街地建築物法(建築基準法の前身)では、建築物の高さを31m以下に抑える、いわゆる100尺規制が規定されました。これにより、日本で超高層ビルを目にするのは1960年代まで待つことになります。

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写真1 東京タワー竣工当時の東京

一方、1925年にラジオ放送が開始、1953年にテレビ放送が開始されましたが、これらの放送用電波を発信するための鉄塔が各地で建設されました。
この鉄塔に大きな足跡を残したのが、早稲田大学名誉教授の内藤多仲博士です。内藤博士は耐震構造の発展に大きく貢献したほか、多くの鉄塔を設計して「塔博士」とも呼ばれ、氏の設計の中心となった名古屋テレビ塔(1954)、通天閣(1956)、さっぽろテレビ塔(1957)、東京タワー(1958)などは、今でも街のシンボルとして親しまれています。
このうち、名古屋テレビ塔や東京タワーには創立間もない日建設計工務(現 日建設計)が関わっており、東京タワーでは内藤博士の指導の下、設計を担当しています。戦後復興期から成長期への転換期に建設された東京タワーは、エッフェル塔を抜いて333mの高さを誇り、時代を盛り上げることに一役買いました。

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写真2 名古屋テレビ塔(左)、東京タワー(右)

もともと鉄を使った建築物の設計に長けていた日建設計でしたが、これらのタワーの設計実績は神戸ポートタワー(1963)の設計に受け継がれ、その後も数多くのタワーの設計を手がけることになります。
なお、名古屋テレビ塔、東京タワーは電波塔として建設されましたが、神戸ポートタワー、横浜マリンタワー(1961、設計:清水建設)は展望台・モニュメントとして建設されました。

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写真3 神戸ポートタワー(左)、横浜マリンタワー(右)

1963年に建築基準法の高さ制限が撤廃されたことを受け、日本でも60年台後半から超高層ビルが多く設計・建設されるようになりました。コンピューターが実用化され地震に対するシミュレーションの技術が発達したのもちょうどこの時期でした。
1980年代、90年代には各地で展望台・モニュメントとしてのタワーが数多く建設され、日建設計でも千葉ポートタワー、福岡タワーなどのガラスを身にまとったタワーを設計しています。
2000年代に入ると、地上波テレビ放送がアナログ放送からデジタル放送に移行することが決まり、これに伴い新たなタワーも建設されました。日建設計が設計を手掛けた東京スカイツリー®、瀬戸デジタルタワー、水戸デジタルテレビ送信所などは、いずれもデジタル放送用電波塔として建設されています。

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図1 日建設計が設計したタワー一覧

タワーの耐震設計の歴史

東京タワーや名古屋テレビ塔などをはじめ多くのタワーが建設された1950年~60年代初頭は、まだコンピューターが実用化されておらず、地震の観測事例も乏しかったことから、手計算で試行錯誤しながら耐震設計を行っていた時代でした。
四角い超高層ビルと異なり、上に行くほど細い形やつづみ状の形を持つタワーは、地震時の揺れ方が複雑になりますが、このような特徴は後にコンピューターによる解析技術が発達してから、ようやく解明されました。
それでも、これらのタワーの設計は未知なるものへの果敢な挑戦として、その当時に可能な限りの英知を結集して実現されたのです。

その後、コンピューターの急速な進化や地震観測事例・被害事例の蓄積に伴い耐震設計技術が発展し、1981年には建築基準法の耐震設計法も新しくなりました。いわゆる新耐震設計法です。
80年代以降のタワーは、当時の超高層ビルと同様に地震のシミュレーションを行いながら設計がなされています。
建物の耐震設計も、社会の成熟や耐震設計技術の発展に伴い、ただ地震に耐えるだけでなく、地震時の建物被害を抑える制振や免震と言った技術が取り入れられるようになりました。これらは80年台後半から徐々に採用されはじめましたが、阪神・淡路大震災や東日本大震災などの大きな地震を契機に広く取り入れられるようになっています。
東日本大震災直後に竣工した東京スカイツリー®では、心柱制振と言う制振システムを考案して取り入れており、大地震や暴風にも耐えられる設計としています。

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図2 耐震・制振・免震構造の比較

タワーの耐震改修

1950~60年代初頭に竣工した東京タワー、名古屋テレビ塔、神戸ポートタワー、横浜マリンタワーは、竣工後60~70年程度経過し、東京タワー、名古屋テレビ塔、神戸ポートタワーは登録有形文化財にも指定されています。
これらのタワーは耐震技術が十分に発展する以前の設計であることから、耐震改修により耐震性能のグレードアップを図る取り組みがなされています(神戸ポートタワーは現在工事中)。
トレーナーがその人の体の状態を見極め、足りない部分を改善することで肉体改造していくように、日建設計はそのタワーの特長やTPOに合わせた耐震改修設計を行って来ました。
次回は、それぞれのタワーの耐震改修の手法をご紹介します。


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樫本 信隆
日建設計 エンジニアリング部門 構造設計グループ
ダイレクター
2000年入社。東京タワー耐震改修、大手町フィナンシャルシティサウスタワー、成田国際空港第3ターミナル、豊洲市場など。構造設計一級建築士。

TOP画像 篠澤建築写真事務所 / 篠澤裕
写真1 LICENSED BY TOKYO TOWER
写真2(左) 滝田フォトアトリエ 滝田良彦
写真2(右) ©TOKYO TOWER
写真3(左) 社団法人神戸港振興協会
写真3(右) (株)エスエス 東京支店





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